#3 雄弁の銀、欺瞞の金
【#3】
──だが。
「そこまでだ」
流れを止めたのはソルトマーチの声。
「お、満足か?」
「うむ、十分だ。バースデイ、ご苦労だった」
「おう、おう。気にすんなってこの程度! 私に取っちゃスリルが楽しめるゲームみたいなものだしよ!」
バースデイは地に手を付ける。大地に吐き出されるようにして眼の無い飛竜が生まれ落ちる。
「じゃあ、私は先に戻るぜ。アンタも気を付けろよ」
「待て!」
「アクセルリス。お前と決着を付けるのは後々だ。また会おう!」
制止も届かず、バースデイはたちまちの内に姿を消した。
「……ちぇっ、一石二鳥にはならなかったか。まあいいや。今日の主目的はソルトマーチ、お前だからな」
逃げた魚に深入りすることなく、アクセルリスは残酷に目の前の魚を獲りにかかる。
「アディスハハ、もう大丈夫だよ」
「うんっ!」
アディスハハが傍に戻ったのを見、そしてソルトマーチに対して宣告する。
「さあ。『対話』の時間だね」
「然り。鋼の魔女、アクセルリスよ」
二人の魔女は睨み合う。
極限まで張り詰められた空気の中、互いが互いの様子を伺う沈黙が続いた。
「──アクセルリスよ。汝が戦う理由は生きるため。そして、その強い生存欲求が汝の強さに直結している」
「そうだよ」
「ならば、問おう。その強すぎる生存本能は、残酷さは、生まれ持ったものなのか?」
「──」
ソルトマーチはそう言った。アクセルリスにとって、触れられたくないはずの過去。そこに土足で踏みあがるがごとく。
だがアクセルリスは動じず、ただ冷静に返した。
「多少はあったんだと思う。ただ、日常の中でそれが目立つようなことは無かった。いわば、蕾のような状態だったのかも」
過去を想起し、一つ一つ噛み潰すように言葉を続ける。
「それが花開いたのは、15歳のころだ」
「《頽廃の岡の大戦火》だな?」
「……あの日、全てを失った私は、ひたすら自分が生きることだけを考えて生きた。ただひたすらに」
銀の瞳に陰りが生まれる。
「生きるためだったら、なんでもする。なんでも。殺して、喰って、生きて、殺して、喰って、生きて。ただそれだけの私があの時にはいた」
「それが汝の全てか?」
「全て、だと?」
「その強い生存本能は魔女になる前から持っていた、と?」
「そうだ。私が大戦火を生き延びて魔女になったのも、『生きたい』っていう気持ちがあったからだ」
「ふ──」
ソルトマーチは笑う。
「何が可笑しい?」
「気付かないか、魔女という存在の業に」
「──それは」
「それはつまり」
何か言いかけたアクセルリスを遮る様に、ソルトマーチは言った。
「汝の生存本能が此れ程肥大化したのは、魔女になったからなのだ」
「──」
その宣告にアクセルリスは口を紡ぐ。
「魔女になる副作用。知らぬはずも無かろう。得られた称号により、その精神性が変容することを」
返答を待たずに続ける。
「汝もまた例外ではなかった。《鋼》という称号は、汝の生存本能を鋼のごとく強固なものにし、深層心理に根付かせた!」
隠されし真実を暴く様に、罪人を捌く様に、ソルトマーチは言う。
「汝はそれを元来のものだと錯覚していた。だが違う。所詮それは、思い込みのまやかしに過ぎなかったのだ!」
御旗は高らかに欺瞞を謳う。
(あ──あいつ)
そしてトガネは青ざめた。ソルトマーチは何という所業をしてしまったのか。
己がかつて危惧した恐怖。アクセルリスにとって魔女による精神の変容が逆鱗に触れるものである可能性を、踏み抜いていった。
だが。
「何言ってんの?」
〈え〉
アクセルリスはあっけらかんとそう言った。
「……なんだと?」
ソルトマーチも虚を突かれたようにする。
「私の精神が魔女になって変わった? そんなの、最初っから気付いてたよ」
そう言う銀の眼に曇りも陰りも無い。
「だから、私が持っていた生存欲求も『多少』強くなった。その事にも気付いてる」
「多少、だと……?」
「うん、ほんの少しね」
「馬鹿な。人間の身で、生娘の身で──それこそまさに」
「『英雄』、かもね?」
「──ッ!」
ソルトマーチは狼狽える。
「多分、逆なんだね」
アディスハハが言った。トガネが反応する。
〈逆って? なにが?〉
「アクセルリスの強い生存本能が、《鋼》っていう称号を喚んだんだと思う」
〈そういうのもあるのか?〉
「アイヤツバスさんがそういう可能性もあるって言ってたよ」
「ま、そういう事でしょ!」
既にアクセルリスは己の存在、生、そして咎に精算を付けていた。
ソルトマーチの弁にそれが覆せるはずもなく。
「そういう訳で。お前の考察は見当違いの大ハズレだったわけだ。ガセネタでも掴まされたのかな」
「く……!」
歯噛み。初めて感情を露わにするソルトマーチ。それほどまでに、己が答えに自信があったのだろうか。
そして、アクセルリスの追撃は始まる。
「じゃあ、私の番」
決然と過去を切り裂き、ソルトマーチを残酷な眼差しで見下ろす。
「お前はなぜ英雄を目指した」
「……私は」
呼吸を整え落ち着きを取り戻したのち、ソルトマーチは語る。
「私は幼い頃、苦しい暮らしに身を置いていた」
「続けて」
「小さな町に隣接した、さらに小さな村。それが私の故郷」
ソルトマーチの眼は遠い昔を見ているようだ。
「私たちの村はその町からの暴政に苦しんでいたのだ」
「……」
アクセルリスの眼が細められる。彼女には話が見えてきたようだ。
「そんなある日だった。一人の魔女が、私たちの村に訪れた。彼女は私たちから話を聞いたのち、こう言った」
『あなた方は私が救おう。さあ、立ち上がるのだ。苛みの運命を壊しにいくんだ!』
「……そして私たち村人は、その魔女の元、武力を以て町への反逆を成し遂げたのだ」
沈黙の余韻、開いたのはトガネ。
〈その姿が、お前には『英雄』として残った……ってワケか〉
ここまで来れば彼にも分かる話だ。
「然り。そして私はその魔女のように──英雄になりたいと、強く思うようになった」
「そして魔女になり、英雄になろうと行動を始めたんだな」
「あの日、村を救った名も知らぬ魔女のように。弱き者、虐げられし者を救おうと。そして得た称号が《御旗》なのだ」
ソルトマーチは己の起源を強く語った。だが、アクセルリスは心揺らぐ仕草を見せない。
「弱きを助け、強きを挫く。その為には武力行使も惜しまないような英雄になるために、魔女になったと?」
「そうだ。それこそ我が称号《御旗》、私ソルトマーチ自身の存在証明だ」
「──それ、逆でしょ」
アクセルリスは吐き捨てるように言った。
「──なんだと?」
「さっき自分で言ってたじゃん。『魔女になることの副作用』。『称号による精神性の変容』って」
「何が言いたい!」
「本当は、武力解決なんて望んでいなかったんじゃない?」
「──ッ!」
ソルトマーチが揺らぐ。アクセルリスは言を紡ぎ続ける。
「ソルトマーチ。お前はただぼんやりと『英雄になりたい』と望んでいたんじゃないか?」
「……何を言う」
「ここからは私の推察」
アクセルリスの眼が、鋭く光る。
「『英雄になりたい』。その望みは、魔女となり《御旗》という称号を得て、そして過去の体験と照合されることで、今の考え方になった」
〈それって、つまり〉
「今お前が抱いているような過激な思想は、魔女になってから得たものだった。言うなれば……」
アクセルリスは軽く咳ばらいをし、言い放つ。
「所詮その英雄観は、思い込みのまやかしに過ぎなかったのだ! ……ってこと」
「貴様……!」
それは先程のソルトマーチの物真似だ。彼女の神経を逆撫でするには最適すぎた。
「……ここからは更に深読みになる」
淡々と言葉を続けるアクセルリスは、アディスハハですら不気味さを覚え口を紡ぐほど。
「お前は、その事実に薄々気付いていた。だが」
その様子はまるで、罪人を捌く法務官のように。
「その英雄観を盾としていたんじゃないか?」
「……何が言いたい」
「もしも、お前の心に微かな残虐性が眠っていて。それが魔女になることで目覚めたとしたら」
銀の瞳は、残酷と外道の境目を見極める。
「民衆叛乱という形で殺戮を行い、持っていた英雄観でそれを正当化していたんじゃないか、と」
「……ふざけるな……! 私が、そのような事を……!」
ついに激昂を見せるソルトマーチ。対してアクセルリスは一歩も引かずに。
「……きっとお前も私と似ているんだ。言うのなら、お前は『残酷』じゃなくて『残虐』」
「侮辱するのもそこまでにしろ! 私には邪な私情などない! あるのは弱き民を救うという大義のみだ!」
声を荒げる。アクセルリスは対照的に冷静さを抱いたままに。
「まあ、それが事実かどうかはどうでもいい。私の考えが行き過ぎただけかもしれない。だけど」
「だけど、何だと言う」
「お前のやり方は。民衆を率い、圧政を布く者に刃を向けるというやり方は」
アクセルリスの声に力が籠っていく。最高潮は、すぐそこに。
「英雄と呼ぶには、余りに野蛮すぎる。だからソルトマーチ、お前は──」
銀が、走る。
「──お前は、英雄になれない」
「──ッ!」
宣告。それを聞いたソルトマーチは、本能のままに剣を抜き──
──アクセルリスを切り裂く寸前で止めた。
「──やっと見せたね。殺意を」
アクセルリスは残酷に言い放った。
「……私は……私は……ッ!」
涙を零すソルトマーチ。その手から剣が離れ、地に落ちる。ソルトマーチもまた膝をつく。
「……お前の負けだ、ソルトマーチ」
静かな、あまりにも静かな勝利宣言だった。
アディスハハも、トガネも、それを粛々と聞いていた。
暫く、ソルトマーチの啜り泣きだけが響いた。
「──ここからは、ほんとうの話」
見下ろすソルトマーチの背に向かって、アクセルリスは優しく語る。
「お前の心を打ち負かすためにああは言ったけど、実のところ、お前の行いは英雄ではない、と言い切れるものではないんだ」
「…………」
「『英雄』……その言葉の定義は、曖昧なもの。だから、お前が目指したような形も十分にあり得るんだ」
その穏やかな語り口は、彼女の師を想起させる。
「じゃあなんでお前は私に負けたか。もう言わなくてもわかるよね」
「それ、は」
「お前は、心のどこかで自分のやり方に、疑念を抱いていた。本当にこれでいいのか、と。そうでしょ?」
「──」
ソルトマーチの心に衝撃が走った。真実を穿つ穿孔を。
「それこそが、お前が英雄になりそこなった理由だ。ソルトマーチ」
「…………そうか。そうなのか」
彼女は諦めたように顔を上げ、自らを見据える銀の瞳を見た。
その眼には、彼女が求めてきた『光』があった。
「汝の眼を見て、悟った。私は、負けたのだな」
そう言って幽かに微笑んだ。
「ありがとう。アクセルリスよ」
「お前に礼を言われる筋合いはないけどな。さあ来い。これからお前を拘束し、搬送する」
「委ねよう。私の命運を」
武器を、旗を捨て、その両手を前に出す。恭順の印。
「物分かりが良くて助かるよ」
アクセルリスは差し出された手に鋼の拘束を施そうと、一歩近づいた。
【続く】