#3 そして至る死
【#3】
「仲睦まじく微笑ましい限りです。これでやっと張り合いが生まれるというものですね?」
二人の背後に現出したクラウンハンズは、待ちわびたかのように舌なめずりをする。
「残念ながら」
「そんな余裕はない、ね!」
二人は振り向きながら言い放つ。その表情は決然と希望を抱いていた。
「行くよ、アディスハハ!」
「うん!」
アクセルリスの合図を皮切りに、戦いの第二幕が開ける。
「しゃあッ!」
初っ端から最高速で敵に迫る。
「む、早い……!」
危険を覚えたクラウンハンズはその身を液状化させる、が。
それは残酷を取り戻したアクセルリスの前にはあまりに遅かった。
「ぎゃあァッ!」
右の鋼拳が腹部を穿つ。水平に吹き飛び、鮮血の牢に強く叩きつけられる。
「ぐ、うう……こしゃくですね」
苦しむクラウンハンズの身が檻と同化し消える。
「アディスハハ、備えて!」
「うん! 大丈夫だよ!」
脈打つ血牢。その鼓動はクラウンハンズの移動を示す。
「私に任せて!」
アディスハハは両手を合わせる。直後、彼女の足元から牢中の地を埋めつくように草花が生い茂る。
植物を用いた感知魔法。その網からは虚空の血脈を廻る吸血魔嬢であろうと逃れられない。
「────右っ!」
その言葉を耳にしたアクセルリス。返す言葉も一瞥もなく、駆ける。
「──な」
「もらったッ!」
出現したクラウンハンズ──その表情は驚愕に歪む。
「ぐ」
再血液化も間に合わず、その顔面が掌握される。文字通り。
「おらぁ!」
「ぐぅぁ……!」
力を籠めた鋼の掌。クラウンハンズはそのまま引き摺り出され、地に転がる。
だが彼女への責め苦は留まらない。
地表に生い茂っていたアディスハハの植物が蠢き、クラウンハンズの肢体を絡め取る。
「く……こしゃくな」
その身を血に還元することで離脱を試みる──が。
「──ッ!?」
クラウンハンズは見てしまう。空を舞う残酷。銀色の残光を走らせる凶つ星。
すなわち、アクセルリス。彼女が構える、処刑の如き手刀。
『それ』はクラウンハンズが液状化するよりも速く彼女を殺すだろうし、そのことを彼女自身も極限まで鈍化した意識の中で理解していた。
だからこそ、彼女は賭けた。
ザン。
世界を裂く音が響く。
「……」
アクセルリスの一撃は、確かに罪人の首を断った。
だが。
「……!?」
異常を察したアクセルリスがその場を離れようと試みるが、クラウンハンズの血がその手を固定し離さない。
「手応えは……あったのに……!?」
「ふ、ふふ……賭けには……勝ったようですわね……」
クラウンハンズが言う。口からは血が止めど無く流れ、瞳は微動を繰り返し虚を見る。
「死ぬよりも早く、血液を繋ぎ合わせて生き長らえたとでも……!?」
「試したことは無かったので……一か八かでしたが……」
血に濡れたまま微笑む。彼女から流れる血がするすると伸び、狙うはアディスハハ。
「ひっ……!」
「アディスハハ、逃げ……っ!」
アクセルリスはそう叫ぼうとしたが、己に纏わりつく血液に阻まれた。
そう。既にその口を覆うほどに、クラウンハンズはアクセルリスを侵食していた。
「きゃぁ!」
元より牢獄の内、逃げる先も無い。アディスハハの身にも鮮血が絡まっていく。
「とはいえ……私も最早長くはない身」
「道連れ狙いか……!」
声なき声でアクセルリスは抗う。だが、クラウンハンズは予想だにしない答えを返した。
「そのような野暮な事……あまりにも美しくありません」
「じゃあ何をお゛っ」
血の触手がアクセルリスの首筋を突き刺す。アディスハハにも、同時に。
「あ゛……?!」
「う……!?」
そして何かを注ぎ込むと、血の拘束は彼女らを解放する。
「ッ……アディスハハ!」
「う……ん。大丈夫、大丈夫だよ」
身を寄せる二人。見たところ、二人とも別条はないようだが。
「お前何を」
「貴女方の友情……それはそれは美しいものとお見受けしました」
首を押さえながらフラフラと立ち上がるクラウンハンズ。流れる血は止まらない。
「その友情が如何ほどのものか……この眼で確かめさせて頂きますわ」
「どういうことだ」
「今貴女方の体内に、私の血液を注ぎました」
血濡れた唇で言葉を紡ぐ。
「私の血は特別です。程なくして貴女方の身体を体内から食らい尽くすでしょう」
「な……」
「ですが。先ほど申した通り。私が望むのは道連れではない」
クラウンハンズは己の首から流れる血を掌に集め、そこに魔力を注ぐ。
そうして生み出されたのは、一つの錠剤。
「これが私の血を打ち消す魔力の結晶……有り体に言ってしまえば解毒薬です」
「それを奪い取れってことか」
「はい。ですが解毒薬はこの一つのみです」
「──!」
二人の表情が変わる。アクセルリスは目を見開き、アディスハハは青ざめる。
「さあ。さあ。さあ! 私からの最後の試練でありますわ!」
血牢がその存在を維持できなくなり崩れてゆく。だが、逃げることは許されない。
「あ……あ……!」
恐怖に絶望したアディスハハは、力失いその場に縛り付けられる。
アクセルリスはそんな彼女を一瞥し。
「──おおおああああっ!」
駆ける。その目には解毒剤のみが映る。
「ああ、何と醜い! 生に執着するあまり血走ったその眼! 美しくない!」
解毒剤を持つ左手を下げ、刃へと変化させた右腕で迎え撃つ。
「何とでも言え! 私は生き残るんだッ!」
鋼と血の剣による激しい斬り結び。
すでにクラウンハンズの肉体は不安定な状態にある。だが彼女はそれを逆手に取り、刃持つ右腕を3本ほどに枝分かれさせ、予測困難な太刀筋でアクセルリスを阻む。
「ぐっ……ぐ……!」
極めて戦い辛い状況。だがアクセルリスには既視感がある。疫病の魔女プレゲーとの戦いだ。
命のリミットが近づく中、アクセルリスは必死に記憶を掘り起こそうと試みる──が、上手く頭が回らない。
否。頭だけではない。その肉体も呻き声を上げているのが彼女にはまざまざと理解できてしまう。
「う……あ……!?」
その表情を見、クラウンハンズは邪悪な笑みを浮かべる。
「効いてきたようですわね? 私の毒が」
伸ばされた血がアクセルリスの腕を縛りあげる。
「ぐ……ッ!」
「激しく動けば動くほど。思考を巡らせば巡らせるほど。私の血は急速に貴女の身体を蝕みますわ……!」
「ふ……ざけ……!」
もがきながら、自由な片腕を解毒剤へと伸ばす。だが届かない。
「限界の様ですね? アクセルリスさま」
「まだ……だ……!」
抗う。どこまでも。だが、心身ともに浸蝕は十分すぎるほどに。
「あ……ああああああああっ!」
残酷な叫び。最早万事休すか。
その時だった。
アディスハハに降りていた静寂の帳が切り落とされる。
「…………うあああああああああああっ!」
叫ぶ。アディスハハが叫ぶ。
叡智なき野生のように。理性なき野獣のように。
駆けた。
ただまっすぐ。何も考えずに。
そして──飛び込んだ。
「ぐゥ……っ!?」
全体重を乗せて、クラウンハンズの胴へしがみつく様に飛び込んだのだ。
予想を超えた介入に、クラウンハンズの動きが止まる。そして拘束も緩む。
「ッ!」
その隙は、たとえアクセルリスでなくとも十分なものだっただろう。
「貰ったッ!」
「ぅあっ……!」
拘束から抜け出し、クラウンハンズの手中から錠剤を奪い取る。そしてもう片腕でアディスハハを掴み、迅速に離脱する。
「……とった」
「……では」
朱に染まったクラウンハンズの顔が狂乱の笑みを見せる。
「では。では! さあ。さあ! さあ! お見せください、アクセルリス! 貴女の選択を!」
「……言うまでもないだろ」
そう言うと、アクセルリスは躊躇することなく錠剤を口に入れた。
クラウンハンズはそれを見て、大きく目を見開いたのち、すぐに細めていった。
(やはり──やはりです)
ゆったりと鈍化してゆく意識の中、クラウンハンズは嘲笑う。
(嗚呼、つまらない……つまらない! 分かり切った結末でした)
彼女の意識が鈍化する。死をすぐ背後に感じ取り、感覚が薄れゆく。
(残酷のアクセルリス……己の命の為ならばあらゆるものを犠牲にし得る存在。彼女がどのような選択を取るかなど、陽の目を見るより明らかでした)
自らが生き残るためならばアディスハハですらも犠牲にする。残酷のアクセルリスとはそういう者なのだ。クラウンハンズは己の中で反芻した。
(実につまらない──幕引きで──)
クラウンハンズは目を閉じ、此岸との別れを告げようとした────そのとき。
「──!?」
その目が見開かれる。
目を疑う光景、信じがたいものを目の前にして。
「な──な」
彼女の見たもの。
熱く、熱く。深く、深く。
キスを交わす、二人の姿。
アクセルリスはアディスハハを優しく、強く抱き留めたまま目を閉じている。
一方のアディスハハは状況が理解できていない風で、目を見開き驚愕の表情を。その顔は耳まで赤い。
「──何をしているんですの!?」
叫ぶクラウンハンズ。それはまぎれもなく悲鳴。
それには一切の関心を見せないまま、二人は口づけを交わし続けていた。
永遠のような一瞬。二人は唇を離す。
「~~~~!?」
今だ赤面のアディスハハを傍らに、アクセルリスは強い眼差しでクラウンハンズを見る。
「これが私の答えだ、クラウンハンズ」
「…………」
「お前は『解毒剤は一つだけ』と言った。だが、『一人分』とは言ってなかった」
そう。アクセルリスは解毒剤を口に含むと同時に、その半分を口移しでアディスハハに与えたのだ。それならば、一つの解毒剤で二人の命を救うことができる。
「……そこに気付かれるとは、流石です」
「だから私はその可能性に賭けるしかなかった。私もアディスハハも、両方助かる可能性」
「すばらしい」
クラウンハンズは一筋、涙を流す。血の涙ではない、純粋な。
「私の完敗です」
その出血が激しくなる。
「貴女方の友情。それは私がこれまで見てきた中でも至上の美しさを持つものです」
「そこまで言われるとなんか照れるな……ね、アディスハハ」
「え、え!? うん! ソウダネ!」
ここでやっとアディスハハは我に返る。
「ともすれば……私も、悔いを残すことなく」
「逝くのか」
「ええ、ええ。もとよりこの身、首を断たれた際に尽きたようなもの。僅かな猶予で珠玉の美を見ることが出来、私は幸せですわ」
ゆっくりと、目を閉じる。
「それでは──貴女方に、幸運があらんことを──」
それが、吸血の魔女にして美を探求した者、クラウンハンズの最期の言葉となった────
──はずだった。
「何満足して逝こうとしている」
「あ……え?」
クラウンハンズの意識が明瞭へと引き戻される。
「私の……傷が……!?」
驚愕のクラウンハンズ。その首の傷は、完治とは遠いものの、致命傷にもまた遠く。
「応急処置の治癒魔法だ。本部に戻ればシャーカッハに適切な処置を行わせる」
「バシカルさん!」
そう言いながら姿を見せたのは、冷徹なる執行官バシカルだ。
そして、その影には赤い光が。
〈最強の助っ人だろ!〉
「トガネ!」
再会を喜ぶ魔女と使い魔の横を通り過ぎ、バシカルはクラウンハンズへと迫る。
「貴様はAクラス外道魔女。そして魔女枢軸の一員。このまま勝ち逃げすることは許さない。醜く生き長らえ、我々に情報を提供し、そして罪を償え」
「嫌……嫌! 私は……いま最高に美しい瞬間だった! このまま生きて醜くなってゆくなんて……!」
「……違うよ、クラウンハンズ」
「え……?」
「生きるっていうのは、醜いからこそ美しいんだ」
「……」
真っ直ぐな瞳。アクセルリスのその言葉に裏はなく、正真正銘の真理だろう。
「私には……私には理解できません」
悲し気に俯き、首を振るクラウンハンズ。だがバシカルはそのようなセンチメントを認めない。
「来い」
その腕を掴もうと手を伸ばした、そのとき。
「!」
バッ、とクラウンハンズは顔を上げる。
「何だ」
「あ……あ……ア」
只ならぬ様子。バシカルは既視感を覚え、状況判断を下す。
「伏せろッ!」
バシカルの号令。一同がそれに従い、身を伏せた直後。
「ア────」
爆発。
赤黒い閃光と共に、クラウンハンズの肉体が爆ぜた。
その威力、周囲の崩落した建物はおろか、アクセルリスが展開した鋼の障壁をも砕くほど。
「皆、無事か?」
「私は平気です。アディスハハは?」
「私も大丈夫。アクセルリスが護ってくれたから」
「怪我もないようだな、良かった」
安否を確認したのち、彼女たちはクラウンハンズのいたところを眺める。
「今のって……」
アクセルリスが疑念を口にしかけた時、駆けよって来る声が一つ。
「みんな、どうしたの!」
「お師匠サマ!」
それはアイヤツバスだ。
「どうしてここに」
「アクセルリスの様子を見に来たのよ。そしたらトガネが状況を教えてくれて、急いだんだけどバシカルに先越されちゃって」
メガネの奥の眼がクラウンハンズの跡地を見据え、即座に察する。
「自爆、したのね」
「厳密には違うだろう。似たような例を私は見たことがある」
「というと」
「戦火の魔女だ」
その言葉に一同の表情が強張る。
「奴による仕業に違いない」
〈……たしかに、あのめっちゃ邪悪な魔力を感じるぜ。ほんの少しだけど〉
アイヤツバスは爆心地に寄り、その痕跡を探る。
「口封じ、なのかしらね」
「間違いないだろう。クラウンハンズは魔女枢軸の一員、戦火の魔女の正体を知っていた可能性も高い」
「……残念だったわね」
やや名残惜しそうにそう言ったアイヤツバス。ふと、何かを見つける。
「お師匠サマ、それは?」
その手に握っているのは、赤黒い結晶。
「何かは分からない。だけど……『これ』からとても強い戦火の魔女の魔力を感じる」
「それは……手掛かりになり得るという事ですか?」
「そうかもしれない。とりあえず、これは私が持ち帰る。研究部門として、ね」
「お前が持っていれば安全だろう。管理、そして研究は任せよう」
二人の魔女が話を付ける中、アクセルリスは俯き、その掌を眺めていた。
気づいたトガネが声をかける。
〈どうした?〉
「いや……また手酷くやられたなぁって」
銀の瞳が愁いを帯びる。
「枢軸の魔女はまだまだいる。毎回毎回こんなだと流石にしんどいかなーって」
〈主が泣き言か、珍しいな?〉
「泣き言、っていうのとは違う……と思うけど」
その手を握り、開く。何かを確かめるように。
「今回、私は焦りのあまり生を手放しかけてしまった。何度も」
〈そうだったのか?〉
「アディスハハを護るため、アディスハハを助けるため。思えば無理もないんだよ。私は、今までずっと私のために戦い、生きていたから」
〈それは、蕾の姉さんが主の中で特別な存在になったから……だな?〉
「その通り。賢くなったね、トガネ」
〈へへ、ありがとよ〉
溜息をひとつ吐き、空を仰ぐ。
「ねえトガネ、私も変わらなきゃいけないのかな?」
〈わかんねえ!〉
「言い切りやがった!」
〈それを決めるのは主自身だぜ。オレは見守ることしかできないさ〉
「……それもそうだ。なんかごめん」
〈ただ、ひとつ助言するなら……無理はするなよ〉
「無理?」
〈オレはいろんな主を見てきた。その中でも、主が一番輝いてたのは素の時だったからさ〉
「……照れるし」
〈だから、オレはそのままでもいいと思う。無理に変わろうとして曇った主は見たくないぜ〉
「トガネ……」
己の使い魔がここまでの成長を見せていたとは。アクセルリスは感慨に浸りながら、その助言を胸に刻む。
〈──ま、蕾の姐さんともうまい事進んでんだろ?〉
「そ、それはそうだけど」
〈……がんばってな〉
「……うん、ありがと」
そのとき、アイヤツバスから声がかかる。
「みんな、いったんクリファトレシカに戻るわよ。今回の報告とこれからの展望について会議を行うから」
「了解です。アクセルリス、大丈夫?」
「うん! 行こう、アディスハハ」
そうして彼女たちはその場を去った。
これから起こるだろう、過酷な未来を予感しながら。
【続く】