1818話 思い出した途端、急に冷めるんだ
「ぬ……ぐ……!」
タカシは頭痛にうめきながら、落下していく。
視界の端で、城内の戦いが切れ切れに映った。
三階付近――雷と炎と水と闘気が渦巻き、紅蓮竜の影が城壁を削っている。
小さな少女の巨大なハンマーが暴れ、赤髪少女の火矢が飛び交い、青髪のお姉さんが氷魔法を放つたび白い破片が散った。
――地面が迫る。
そう思った瞬間、背中に来るはずの衝撃が、来なかった。
代わりにふわりと風が巻き、懐かしい香りがタカシを包む。
落下軌道へ割り込むように飛び込んだ流華が、腕の中で抱きとめていたのだ。
「……そうか、そうだったのか。やはり俺は……」
流華の体温に触れた途端、タカシの混乱はようやく形を持つ。
火御子に縛られた「今」と、サザリアナで過ごした「過去」、そして桜花城で出会った仲間たちとの「現在」。
ばらばらだったものが一本の線で繋がり、何が上書きされ、何が捨てられかけていたのか――理解が追いついていく。
「…………」
だが、感傷に浸る暇はなかった。
確かに記憶は戻った。
ミティやアイリスと過ごした日々も、モニカやリーゼロッテの笑顔も、皆との旅路も、鮮明に蘇る。
それでもタカシはただ静かに息を整え、状況を整理し、「今やるべきこと」に意識を向けるだけだった。
涙も叫びもない。
落ち着いた眼差しで、城を見上げる。
「兄貴、状況はどうなってる?」
「……問題ない。全部、思い出した」
短く、静かに告げられた言葉。
けれど、それは雷鳴のように、流華の胸を打ち抜いた。
「思い出したって……まさか、記憶が?」
声が震えた。
半信半疑だった。
望んでいたはずの展開のはずなのに、どこかで怖がっている自分がいる。
もし本当に、すべてを思い出してしまったのだとしたら。
その時、彼は――自分たちをどう見るのだろうか。
「ああ」
流華は、その目を見て息を呑む。
操り人形のように虚ろで、何も映していなかったあの目。
そこに再び宿っていたのは、かつて自分が信じた「高志」の光だった。
真っ直ぐで、温かくて、それでいて痛いほどに強い光。
「ごめん」
その言葉は、思わず零れ落ちたものだった。
意図して口にしたわけではない。
けれど、喉の奥に長く引っかかっていた棘のような後悔が、ようやく形になったのだ。
「何がだ?」
タカシが少しだけ首を傾げた。
怒っているようには見えない。
むしろ、淡々とした問い。
咎めるでもなく、詰め寄るでもなく。
穏やかに尋ねてくるその姿勢が、余計に流華の胸に響いた。
「あの女たち、兄貴の昔の女だって言ってた。薄々、本当だって気付いてた。でも俺たち……兄貴が取られる気がして……」
嫉妬心。
大和の地でタカシを支えてきたのは、紅葉、流華、桔梗の三人だ。
戦闘能力という意味ではタカシにとって頼り切れる存在ではない。
それでも、現地の情報や人の温かみという点で、確かに支えになっていた。
そこに現れた、火御子という女。
洗脳系・幻視系の火妖術で、タカシをほぼ独占している。
流華が受け取れるのは、火御子が気まぐれに許可する“お情け”程度のわずかな愛情だけ。
さらにそこへ「昔の女」まで来たら――タカシが自分を見なくなるかもしれない。
流華がそう考えるのも無理はない。
闇の瘴気で欲望が肥大化している事情もある。
「気にすることはない」
「そ、そうか? 本当にごめんな、兄貴。不幸中の幸いで、死者とかは出ていないはずだ。今からでも戦闘を止めて、話をすれば――」
声の端には希望が滲んでいた。
これ以上、誰も傷つけずに済むなら。
兄貴の心が戻ったのなら、今からでも道はある。
心から、そう信じたかった。
けれど――。
「不要だ」
「え?」
「不思議なものだな。何が何でも思い出したいと思ってたのに……思い出した途端、急に冷めるんだ」
目の前の男は、まるで夢から覚めたような口調でそう言った。
感慨も、懐かしさも、怒りすらもない。
ただ、淡々と、過去を切り捨てるように。
「え……あ……。……え?」
流華の声は上擦った。
理解が追いつかない。
戻ったはずの記憶。
蘇ったはずの感情。
そのすべてが、まるで意味をなさないとでも言うような、その態度。
「俺には火御子と、お前たちがいればいい。そうだろう?」
タカシの言葉は静かだった。
だが、その奥には奇妙な熱があった。
燃えるような執念。
あるいは、絶望の先にすがるような執着。
「お、おう……もちろんだぜ、兄貴」
流華にとって、高志の選択は喜ばしいことのはずだ。
自分へ向けられる愛情が、今よりも少なくなることはない。
しかし、彼女はうまく笑えなかった。
「さぁ、全てを終わらせに行こう」
タカシは立ち上がった。
火御子の術式に刻まれていた呪縛は、アイリスの一撃と流れ弾の衝撃でひび割れている。
完全に解呪されたわけではないが、「自分で選ぶ」余地は戻ってきていた。
それでも、タカシが選んだのは――火御子だった。
まるで、それが当然のことのように。
二人は言葉少なに城内へ戻るルートを探りながら、三階の戦場へ向けて歩き出したのだった。




