1815話 タカシ vs アイリス
一方その頃、天守閣最上階。
ひときわ強い風が障子の隙間を鳴らし、足音をかき消した。
「……ここだね」
アイリスは静かに戸を開ける。
そこにタカシがいた。
玉座代わりの座布団に胡座をかき、外をじっと見下ろしている。
「タカシ」
呼びかけに、ゆっくりと顔がこちらを向く。
輪郭も、口元の癖も、見覚えがある。
ただ、その瞳だけは違っていた。
彼女の知るタカシよりも、はるかに暗く、冷たい光が宿っている。
「侵入者か。防衛網を破ってここまで来るとは、なかなかの腕を持つ。だが、敵には変わりない」
「やだなあ。敵なんかじゃないよ。ボクはアイリス。君の――」
「黙れ」
言葉が切り裂かれる。
刃のような声だった。
容赦も、猶予もなかった。
「お前など知らん。ここは桜花城の天守――その最上階。火御子と俺だけの、聖なる空間だ。気安く立ち入っていい場所ではないぞ」
タカシの声音には、狂信者めいた硬さがあった。
他のすべてを切り捨て、自分と“何か”とのつながりだけを絶対視するような、鋭く閉ざされた響き。
「火御子……? ちょっと待って。タカシ、本当に覚えてないの?」
アイリスの目が揺れる。
その声には驚きよりも、疑念が滲んでいた。
自分が見ているものは、本当に”タカシ”なのか。
それを確かめるための問い。
「何を、だ」
「大和に来る前のこと。サザリアナでのこと。武闘大会でボクと戦ったこと。そして、初めて一緒に過ごした夜のこと……」
タカシの眉が、わずかに動く。
胸の奥をかすめるような鈍い痛み。
だがすぐに、別の熱がその違和感を焼き潰した。
「くだらん幻想だ。俺は過去を捨てた。今の俺には、火御子さえいればいい」
「……過去を捨てた? まさか、記憶を……?」
言いかけて、アイリスは、ふっと息を吐いた。
冷たい風が頬をなぞる。
驚愕と、そして妙な納得が胸の中で重なっていく。
「だから、ずっと連絡なかったんだ……。記憶を失って……ボクのことも、全部消えちゃったんだ」
言葉がこぼれ落ちるように洩れた。
過去の時間が、今の彼には存在していない。
ならば、どれだけ待っても連絡がないのは当然だった。
言葉にしたことで、胸の奥にぽっかりと空いた穴がじわじわと広がっていく。
「情に訴えても、無駄だ」
タカシが立ち上がる。
その動きに、かつての柔らかさはない。
まるで糸で操られた操り人形のような硬質な動き。
それでも、動きに一分の隙もないのは、彼が依然として熟練の戦士である証だった。
「俺は火御子の意志に従い、天下を統一する。ただそれだけだ。その本拠地であるここへ攻め入ったとお前は――敵だ。排除する」
言い放たれた言葉に、一切の迷いはない。
まるで、すでにプログラムされた台詞を読み上げているかのようだった。
「……やっぱり、おかしいよ、タカシ。その言い方も、目も、全部」
アイリスは目を細め、ゆっくりと首を振る。
その動きには、静かな怒りが滲んでいた。
視線の奥に宿る光は、諦めではなく、決意。
「何となく嫌な予感はしてたけど、話し合いだけで済むかもって楽観的な期待もあった。タカシが『ただいま』って笑ってくれるなら、それで全部終わりでよかったのに」
「『ただいま』……?」
その言葉に、タカシの瞳が一瞬揺れる。
小さな波紋のような感情が、冷え切った瞳の奥に浮かぶ。
その響きだけが、遠い記憶を呼び起こしかけた。
だが――
その揺らぎを打ち消すように、タカシの体から熱が噴き上がった。
まるで心の奥で、何かを強引に焼き尽くそうとするような反応。
「余計な言葉だ。迷いを生む。――黙れ」
その瞬間、床に刻まれた術式が赤く灯る。
炎の紋様が螺旋を描き、タカシの足元から轟くように吹き上がった。
「やっぱり、まずはそこからだね」
アイリスは小さく肩を回し、深く息を吸い込んだ。
そして、静かに両の手のひらを胸の前で合わせる。
戦う覚悟は、もう決まっていた。
「タカシ。ごめんね」
「何に、謝る」
「一度、叩きのめすことに。無力化してからじゃないと、まともに話もできなさそうだもん」
語調は柔らかいが、言葉は鋼のように強い。
逃げる。
嘆く。
そんなものは、彼女の選択肢にない。
選ぶのはただ、一つ。
“取り戻す”ため、戦うこと。
「やれるものなら、やってみろ」
タカシの背に、炎の尾が揺らめいた。
放たれる闘気はただ強いだけでなく、異質そのもの。
天守全体が、軋むように震えた。
「じゃ、夫婦喧嘩――第一ラウンド、始めよっか」
アイリスが片足を引く。
そのまま、空を裂くような鋭い構えを取った。
「……その舐めた口、すぐに塞いでやる」
タカシの声が低く、静かにうなった。
二人の気配が、天守閣にぶつかり合う。
「タカシ、思い出して。――ボクのことも、君自身のことも」
「うるさい。邪魔するものは、すべて焼き尽くす」
言葉と同時に床が割れ、炎が咲く。
その炎の中へ、銀の髪が迷いなく踏み込んだ。
こうして、城内のあちこちで火花が散る中、全体の勝敗を左右する本命のカード――アイリスとタカシの一騎打ちが、天守閣最上階で静かに幕を開けた。




