1809話 桜鬼
広間の床板がうなり、梁が低く応えた。
灯の朱が揺れて、影が土俵のように広がる。
相撲ロボ”千秋楽”が腰を落とし、脚の関節が鳴った。
「【爆裂頭突き】ですわ!」
千の声が、広間に跳ねた。
額の房飾りが一瞬だけ水平になり、巨体が線になって迫る。
空気が押しつぶされ、畳の目が後ろへ流れた。
「力勝負なら、望むところです! ふんぬっ!!」
ミティは右足に重心をかけ、わずかに半歩、前へ出た。
剛腕が肩口を掴み、流す。
巨体は斜めに滑って柱を擦り、火花をはぜさせた。
「甘いですわ!」
千が操縦席から叫ぶ。
その声と共に、千秋楽が回転の反動で片足を踏み替えた。
鈍重に見える巨体が、円を描くように動く。
「【張り手乱舞】!」
空が揺れた。
鉄板の掌が空を裂き、連打の嵐となって押し寄せる。
一撃ごとに床が跳ね、音が雷鳴のように響く。
「退いて、ミティ! 【ファイアーウォール】!!」
ユナの朱が跳ねる。
掌の炎が弧を描き、薄く伸びた火壁が張り手の面を焼く。
熱で鈍った一瞬、ミティは身を沈め、胸板へ肘を叩き込んだ。
重い音。
だが装甲は厚い。
鋼鉄の肉体は、容易に崩れない。
「わたくしの番ですわね」
静かに、だが誇らしげにリーゼロッテが進み出る。
彼女は無駄な動き一つなく、袂をたくし上げる。
手にした木札がぱちりと鳴ると、その背後にふわりと湯気が立った。
立ちのぼる蒸気とともに、広間に香ばしい出汁の匂いが漂い始める。
「起きなさい、【おうどん湯の巨麺兵】!!」
木札が一瞬だけ光り、床に複雑な術式が浮かび上がる。
そこから白く艶やかな巨麺が、まるで鍋の中から引き上げられるように現れた。
麺はとぐろを巻きながら湯気を纏い、甲冑のように揺れる膜で身を包んでいく。
蒸気がしゅうしゅうと音を立てる。
白き巨麺はついに立ち上がり、ぬめりながら、どっしりと広間に降り立った。
その全身は麺──だが侮るなかれ。
巨体は見る者に確かな威圧を与え、ただの妖術とは呼ばせない迫力を持っている。
「それが華河藩の血統妖術ですか……。しかし、わたくしの”千秋楽”も負けてはいません! 【チョンマゲ大砲】!!」
千秋楽の頭頂部が、ぱかりと音を立てて割れた。
蒸気の咆哮とともに、金属の弾丸が次々と吐き出される。
それらは目にも留まらぬ速度で雨のように降り注ぎ、白き麺の胸板を容赦なく穿った。
「ああっ……! わたくしのおうどんが……」
リーゼロッテの瞳が揺れた。
弾が麺を貫くたびに、出汁のしずくが飛び、香りが散る。
まだ巨麺兵は崩れない。
だが――
「仕上げですわ! 【千秋楽・百列弾】!!」
今度は胸部から。
がしん、と鉄の扉が左右に割れ、中から大小の丸弾──団子に似た球体が飛び出した。
それは一発ごとに唸り、太鼓の連打のように空気を打ちつける。
「打ち返します! 【ミティ・ホームラン】!!」
ミティの声が凛と通る。
彼女のハンマーが空を切り、次々と飛んでくる球体を捉えていく。
弾を跳ね返すたびに、金属音が高く弾けた。
百列の終わりが見えた、その刹那──
ユナがそっと指を弾く。
「弾けて混ざれ!」
炎が花弁のように空中に散り、風を起こした。
その逆風が、弾の軌道を乱す。
数発が千秋楽の肩をかすめ、金属が鈍く、苦しげな音を立てた。
「リーゼ、今よ!」
「了解ですわ!」
巨麺兵が両腕をひゅるりと伸ばし、千秋楽の脚へ巻きつく。
塩気を含む湯が床に広がり、足元がきしむ。
千秋楽の腰がわずかに泳いだ。
「くっ……。やはり、一筋縄ではいきませんわね。打開策は……」
操縦席の中で、千が苦く唸る。
その指が一瞬止まり、視線が左右を泳ぐ。
焦りではない。
戦況を読む、あくまで冷静な目だ。
「お困りのようですね」
静かな一声が、広間に響いた。
張り詰めた空気の中で、その声は刃のように鋭く、そして冷たい。
現れたのは、紅葉だった。
「ここで会ったが百年目。高志様の”昔の女”は、今度こそ完全に撃滅します」
「ふん……。”与えられた力”に溺れるあなたに、それができますか? 先日の戦いを忘れてしまったようですね」
冷ややかにミティが応じる。
言葉の端には、わずかな苛立ちと警戒が滲んでいた。
「”思い出話”は結構。ここは私たちの本拠地――桜花城。とりわけ、植物妖術使いたる私にとって、その恩恵は計り知れません」
紅葉の目がすっと細まり、唇が呪文を形づくる。
その周囲の空気が、明らかに変わった。
妖力が動き出す。
「――天地の狭間に舞う花よ。血に染まりてなお、美しくあれ。陰を抱き、陽を裂き、咲け――【桜鬼】」
詠唱に呼応するように、城の中庭から風が吹き込む。
その風が連れてくるのは、満開の桜の香り。
同時に、植えられていた一本の古桜が、ぎぃ、と音を立てて枝を伸ばす。
その枝が紅葉の体を包み、幹が背を守り、花びらが鎧のように舞い落ちた。
それはまさに、桜の鎧。
柔らかでありながら鋼よりも硬く、美しさと戦意が同居する。
「なるほど……。ただの強がりというわけではなさそうです」
ミティが低く呟く。
視線は真っ直ぐに紅葉を捉え、その拳にわずかに力がこもった。
「いいじゃない。前回は不完全燃焼だったのよ」
ユナが口元に笑みを浮かべる。
その笑みは炎のように熱く、しかしどこか楽しげでもあった。
「わたくしの巨麺兵で打ち倒して差し上げますわ」
リーゼロッテの声は、あくまで優雅。
けれど、その瞳の奥には、戦う者の覚悟がしっかりと灯っていた。
紅葉が走る。
千秋楽が咆哮する。
迎え撃つ三人が、正面からその力を受け止めた。
城の奥から、古い歌が聞こえてくる。
一音、また一音。
低い鼓動が床を伝い、戦場の拍に絡みつく。
呼吸が合うたびに、遠い鐘の音が一つずつ加わっていく。
押し合い、引き合い、絡み合い。
誰も退かない。
退けない。
戦いは、さらに激しくなっていく――。




