1802話 メギド・ロア
赫刃と蒼渦の到来で、戦闘の激しさが跳ね上がった。
桜刃三戦姫の力をもってしても押され気味だった佐京桜花・大連合藩の部隊が、盛り返していく。
だが、それは一時的なものだった。
押し返すために必要な一歩が、大きな壁に阻まれている。
そんな重みが空気にまとわりついた。
「ふんっ!」
ミティは足裏で大地を探るように力を込め、槌を振るう。
目の前に立つのは、桜刃三戦姫。
だが、彼女たちは既に疲弊していた。
三人を相手に、ミティの立ち回りは冴える。
数で劣っていても、優位は崩れない。
「ふふん。火力は高いけど――術者が棒立ちじゃ、ね」
ユナの口元が、獣のように鋭く笑った。
朱の矢を番えるその手つきは、まるで舞うようにしなやかだ。
彼女の出自は赤狼族。
その血が与えた強靭な脚力と反射神経は、身のこなしにも表れている。
決して火魔法一辺倒ではないのだ。
「どうなることかと思いましたけれど、何とかなりそうですわね」
リーゼロッテは氷を編む指先を休めず、視線を周囲に巡らせた。
風の流れ、敵の動き、地形の僅かな起伏。
全てを分析し、最も冷酷に、最も効率よく凍結させる角度を定める。
彼女は優雅に見えて、その内に研ぎ澄まされた冷気を宿していた。
一方で――
しぃとくぅの動きは硬直していた。
固定砲台のような動きは、読みやすく、回避されやすい。
魔力を集中し一点に放つ彼女たちの戦術は強力だが、ミティたちには通用しない。
ユナの矢が赫刃の袖を焼き切り、リーゼロッテの氷線が蒼渦の足元を襲う。
赫刃は片膝を突き、蒼渦は姿勢を崩しながらも即座に滑るように退いた。
どちらも、致命は避けた。
しかし、劣勢は明らかである。
「想像以上に厄介……。でも、ここで退くのはない」
「あの日、私は死んだはずだった。拾ってもらった命……ここで使う」
赫刃が短く告げ、蒼渦が頷いた。
彼女たちは知っている。
局地戦に持ち込めば、突破口は必ず見える。
だが、そこに至るには、まず自らを危険に晒す覚悟がいると。
「二人とも、何を……?」
紅葉の胸が、ひやりとした。
桔梗は刀をわずかに寝かせ、刃先で風の向きを計る。
流華は踵をすり足で整え、砂を掴み直した。
紅葉たちは二人と深い付き合いはない。
だが、嫌でも気づいた。
流れが変わったことに。
ざらり、とした違和感。
それは決して錯覚ではない。
「――そろそろ決めましょうか。もたついて、また増援でも呼ばれたら面倒です」
「同感ね。誰が決める?」
「わたくしが凍らせましょう。それが最も、被害が少なくなりますから」
ミティたちはすでに勝利を確信していた。
彼女たちの口調は落ち着きを深め、声は静まりながらも確信に満ちていた。
しかし――その声が深まるほど、赫刃と蒼渦の眼差しは、逆に静かになっていく。
その瞳の奥に宿る光は、諦めではなかった。
静けさは、決断の前触れだった。
「しぃ」
「くぅ」
二人は互いの名を一度ずつ呼ぶ。
そこに弱音はない。
あるのは、準備が整ったという合図だけ。
赫の手が地表の焼け跡に触れる。
指先が、焦げた土をそっと撫でるように滑る。
蒼の指が空に残る白の継ぎ目――雲と空の狭間を掬うように動いた。
「”あれ”を使う」
「了解。訓練通りに」
このままでは敗北必至。
赫刃と蒼渦は、それを理解していた。
だからこそ、奥の手を選ぶ。
切り札というには、あまりにも代償が重い。
だが、いま目の前にある現実を打ち破るには、それしかなかった。
稜線に、風が逆立つ。
地を這う気流が、突如として逆流を始める。
二人は深く息を吸い、同時に吐いた。
「篝火は東に熾り、陽炎は天を撫す。われ、赫の名を掲ぐ」
「澄み水は西に満ち、白霜は地を鎮む。われ、蒼の名を継ぐ」
声が重なると同時に、詠唱が始まる。
赫の言葉が火を呼び、蒼の響きが水を招く。
第一句で、地表の砂が内側へと引き寄せられた。
まるで見えない重力が働いたかのように、地面が静かに収縮を始める。
周囲の兵たちが、一歩、また一歩と後退した。
第二句で、兵の影が細く、長く伸びた。
陽光の角度は変わらないはずなのに、まるで時が引き延ばされたように、すべての動きが一拍遅れる。
空間のテンポが崩れ、まるで異なる位相へと引き込まれるかのようだった。
紅葉の指先が震える。
恐怖ではない――何かが「始まる」ことを、本能が察知した証。
桔梗の睫が微かに揺れ、流華は唇を結んだ。
「剋は鋏、余を捨つ」
「和は鈴、余を寄す」
四句目。
その瞬間、空に縦の筋が二本、鮮やかに走る。
朱と藍――赫と蒼。
色の奔流が、天を切り裂くように交差した。
ユナは弓を構え、その間を見据える。
リーゼロッテは、筋の温度差を即座に察知し、魔力を微調整。
ミティは膝をつき、大地に手を這わせた。
三人の対応判断は、十分に早い。
しかし、詠唱の速度は、それをわずかに上回る。
「「二相ひとつ、枢を開け。干渉ただ一点、理をほどけ――」」
詠唱の最終句。
最後の鍵が、今まさに回ろうとしている。
空気が音を忘れた。
風の音も、呼吸も、心臓の鼓動すらも、どこか遠くへ行ってしまったかのようだ。
奥行きが消え、広さが閉じ、ただ一点へと集束していく感覚。
ミティは視線で合図する。
ユナは弦を深く引く。
リーゼロッテは両手を重ね、魔力を一気に高めた。
三戦姫が、それぞれの決戦姿勢を取る。
兵のざわめきが、喉奥で止まる。
詠唱が終わる直前。
赫刃と蒼渦は、互いの瞳を一瞬だけ覗いた。
敗北の色はない。
あるのは、劣勢を跳ね返すために自分たちの全てを賭ける覚悟。
「「――滅祇怒炉亜」」




