表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1824/1840

1793話 幻術【炎花水月】

 炎が裂けた。

 圧倒的な熱量を持って押し寄せていた焔の奔流が、唐突に、音もなく霧散したのだ。


 空間が歪み、感覚が引き裂かれるような違和感が俺を襲う。

 周囲の光がねじれ、世界の色がひとつずつ剥がれていく。

 赤、青、緑――やがて全てが失われ、白だけが残った。


「……っ、これは……」


 まばゆい白光の中、俺は足元を確かめる。

 しかし、大地はなかった。

 空間が存在しているはずのその場は、ただの“白”で満たされ、上下左右すら曖昧だった。


 その中に、何かが、いる。

 視線を向けるまでもない。

 胸の奥、魂の中枢に触れるような感覚が、存在の重さを教えてくる。


「……タカシ様」


 その声は、懐かしさに満ちていた。

 甘く、やさしく、どこまでも穏やかで――


 振り向いた先に、いた。


 庭。

 陽光。

 花咲く縁側。


 そして、そこに立つ、彼女たち。


 ミティが、いつものように微笑んでいた。

 アイリスが、額に汗をにじませながら鍛錬に励んでいた。

 モニカが、穏やかに朝食の準備をしていた。

 ニムが、家庭菜園で黙々と土に触れていた。


 ――ああ、知っている。


 この場所を。

 この匂いを。

 この、あたたかさを。


 胸が詰まる。

 言葉が出てこない。

 でも、足は勝手に動いた。


 ゆっくりと、しかし確実に、愛する妻たちに向かって歩み寄る。

 

 ユナが駆け寄ってくる。

 マリアが上空から舞い降りる。

 サリエが目を細めて、静かに手を広げる。

 リーゼロッテがこっそりとつまみ食いしながら、こちらに向かってくる。


 俺は、彼女たちを迎えるように、両腕を差し出した。


「さぁ、今日も仲を深めていこう……」


 俺は笑いながら、自然に言葉を紡いでいた。

 もう何も恐れることはなかった。

 このぬくもりを抱きしめられる……そう信じていた。

 そして、いざ致そうとした瞬間――


「――っ!!」


 世界が反転した。

 抱きしめたはずのぬくもりが、あっという間に手の中から消えていく。

 腕に感じていた柔らかさ、指先が触れた肌の感触。

 それらはすべて霧となり、すり抜けていった。


 目の前に確かにいたはずの妻たちは、淡い煙のように――まるで、記憶そのものが蒸発するように――消え去った。

 一時的に名前を思い出していた気もするが、それもまた忘れてしまった。

 代わりにそこに残ったのは――


「なっ……」


 ひみこ、だった。

 目の前で、まさに今、俺にしがみつくようにして顔を伏せているのは、あの“火の御子”。

 朱の瞳が揺れている。

 口元がかすかに震えている。

 それは、威厳や演技の仮面が崩れた、ただの幼女の表情だった。


「……おぬし、なぜ、ここまで……」


 ぽつりと、小さな声が落ちる。

 彼女の問いには困惑の色が浮かんでいた。


「わらわの幻術――【炎花水月】を破るとは思っておらなんだ。いや、それだけならともかく……その根源が肉欲とは……」


「いや、別に肉欲だけってわけじゃない……はず」


 俺はよくわからない言い訳をする。

 この状況――どうやら俺は、ひみこの幻術にかかっていたらしい。

 そして、知らぬ間にそれを破った。


「要するに、愛の力だ。ラブパワーがお前の幻術を打ち負かしたのだ」


「……なるほどの」


 ひみこが頷く。

 こっちのペースになっている。

 機を逃すな――直感がそう囁いた。


「さぁ、ひみこ。その装束を脱いでくれ」


「……は?」


 聞き返す声に、色気も怒気も含まれていない。

 ただ、素の反応だった。


「これも何かの縁。子どもかと思っていたが、よく見ればお前だって成熟した女性だろう? 肉体はともかく、精神的には間違いなく大人のはずだ」


「それは……確かにわらわの実年齢はおぬしよりも上じゃが……」


「共に愛を育もう。お前の婿になることはできないが、桜花藩が大和を支配してやる。俺がお前を支えるのではなく、お前が俺を支えてくれ」


 うーん、我ながらちょっとクズか?

 いや、一理はあるはずだ。

 生物としての人間の特性上、多夫一妻よりも一夫多妻の方が成立しやすい。


 例えば一人の妻に対して十人の夫がいたとして、全員の子どもを生むのは現実的ではない。

 単純に人間という生物の出産方法では厳しいのだ。

 一方、一人の夫に対して十人の妻がいた場合は、全員の子どもを生むこと自体は現実的に可能である。

 もちろん、今度は”子どもを育てていくための衣食住をしっかりと用意できるのか”という問題が発生するのだが――俺には、それができる。


「ふ、ふざけるでない! そこのおなごたちも悲しむぞ!!」


「俺はいつだって大真面目だ。紅葉、流華、桔梗だって、頑張って幸せにしてみせる」


 俺は断言する。

 ちなみに流華は男なので今回の話には関係ない気もするのだが、話の腰を折るのでそこは置いておいた。


「高志様ぁ……」


「あ、兄貴。俺のこと、そんな風に思ってくれていたのか……」


「……高志くん」


 三人の声が、やわらかく、そしてどこか潤んだ響きで届く。

 その視線は、まっすぐに俺を見つめていた。

 この場で愛し合いたいという思いが胸に渦巻くが――まずは、ひみこからだ。


「さぁ、俺に身を捧げろ」


「く、来るな! 来るでない!!」


 強い声の裏で、ひみこの足は後退する。

 大和を統一しようとしていた女王が、ただの一人の男に追い詰められ――

 その瞳に、かすかな怯えの色が浮かんでいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ