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1766話 城下町デート

 気がつくと、俺は布団に寝転んでいた。

 ここは……天守閣の俺の寝室か。

 外からは柔らかな日差しが差し込んでいる。

 どうやら夜明けはとうに過ぎ、朝になったらしい。


「高志様、ご気分はいかがですか?」


 顔を覗き込む紅葉の深緑の瞳は、露を含む若葉のように澄んでいた。

 昨夜見え隠れした妖艶な狂気の影など、微塵もない。


「え……ああ、大丈夫だ」


 胸の鼓動を確かめ、視線を流華と桔梗へ移す。

 流華は窓辺でクナイを磨き、桔梗は静かに坐禅を組んで精神を澄ませている。

 いつもの光景だ。


「兄貴、寝不足なのか? ぼーっとしてると屋台の行列が伸びるぞ!」


「……多忙な高志くんが頑張って捻り出した休日。楽しまないと損……」


「ははっ、そうだな」


 軽口に苦笑しながらも、胸の奥で引っかかるものがある。

 昨晩は“一線”を踏み越えてしまった気もするが――いや、荒唐無稽な夢だったのだろう。

 俺は記憶喪失で脳が混乱気味だから、あんな夢を見てしまうんだ。

 頭を振り、肺の奥まで朝の空気を吸い込む。


「ふふふ……」


 紅葉は何やら満足そうに自分の腹を撫でている。

 夜風で冷えたのか、それとも――などと考え始めたところで、流華が再び視線を向けてくる。

 今日の約束、それは城下町への食べ歩きデート。

 ないがしろにするわけにはいかない。


「城下町を散策しよう。行くぞ」


 四人で肩を並べて桜花城を後にする。

 石畳を踏むたび、微かな足音と行商の呼び声が溶け合い、軒先を彩る反物が春の風に翻った。

 香木を削る乾いた音、吟遊詩人が奏でる擦弦の調べ、子どもたちのはしゃぎ声――城下のすべてが一枚の絵巻のように流れていく。


 通りの突き当たり、赤提灯が揺れる店先に行列ができていた。

 提灯には墨痕鮮やかに「蛸炎珠」と記され、鉄板の上では丸い生地が絶えず転がされている。

 揚げ油に似たパチパチとした音の合間を縫うように、店主が粉末を振りかけた。

 瞬間、淡い火花がふわりと立ち上がり、生地の表面に細やかな焦げ目が浮かぶ。


「へえ。見栄えも良いな」


「外は香ばしく中はとろり。私、前から食べてみたいと思っていました!」


 紅葉が目を輝かせる。

 流華がさっと指を立て、店主に元気よく四舟分を注文する。


「おっちゃん! 四つくれ!!」


「……唐辛子粉もちょうだい」


 流華が手を上げて四舟を注文し、桔梗が静かに追い打ちする。

 彼女は辛いのが好きらしい。

 俺が財布を出そうとすると、三人が同時に制止してきた。


「ここは私たちに払わせてくださいな」


「兄貴はいつも奢ってくれるしな。たまには恩返しさせてくれ」


「……ただでさえ、多すぎる俸禄をもらってる。こういうときに使わないと……」


「そうか? じゃあ、お言葉に甘えよう」


 俺は苦笑しつつ礼を言い、一舟を受け取る。

 鉄板から直行したばかりの炎珠は、竹舟に敷かれた薄紙を通しても熱が伝わってくる。


「いただきます!」


 竹串を刺すと、焦げ目の膜がふわりと破れ、とろける餡と海の香りのするタコ足が顔を覗かせる。

 舌に乗せた途端、熱と旨味が一気に広がった。


「……熱い、けどうまい!」


 反射で息を吹きつつ感想を漏らすと、紅葉が嬉しそうに目を細める。

 流華は「兄貴は猫舌だったのか!」と豪快に笑い、桔梗は赤唐辛子をさらに振って涼しい顔で二串目を平らげていた。

 焼けた餡が落ちぬよう慎重に串を動かしながら、紅葉が袖をそっと摘む。


「蛸炎珠の後は、ひんやり甘いものが欲しくなりますね。蜜氷などはいかがでしょう?」


 蜜氷――つまりはカキ氷だ。

 桜花藩は『天下の台所』と呼ばれる物流の中心だけあって、様々な文化や料理が流入している。

 食べ歩きデートにはもってこいの城下町だ。


「いいな。俺は柚子蜜がいい」


「兄貴、俺はきな粉にする!」


「……私は抹茶で」


 歩調を合わせ、雑踏を抜けて甘味処へ向かう。

 その途中で、小さな広場に差しかかった。

 紅葉が立ち止まり、ぱちんと指を鳴らした。


「高志様、ここで記念に一枚撮りませんか? 例の特殊妖具で」


 彼女が言っている”特殊妖具”とは、映像を紙に写し出す道具のこと。

 カメラのようなものだな。

 厳密に言えば魔導具であり、俺のアイテムボックスに入っていたものだ。

 これまでにも何度か記念写真を撮ってきている。


「お、いいね! 兄貴は真ん中な!」


 流華に背を押され、桔梗がそっと視線を合わせてくる。

 もちろん、俺に拒否する理由はない。


「準備よし」


 カメラを石畳に据え、遠隔操作でシャッターの魔石を起動する。

 瞬きほどの閃光が走り、四人の姿を一枚の写真に閉じ込めた。

 その瞬間、胸の奥に温かな何かが満ちる。

 もしこのまま記憶が戻らなかったとしても、今こうして笑い合えるなら十分だ――そう思えた。


「……ん?」


 甘味処へ向かおうと歩き出したとき、背筋を冷たい風が撫でた。

 通りの外れ、古い路地の入り口。

 陽射しの届かぬ暗がりに、小さな影が立っている気がした。


「……高志様?」


 紅葉が小さく首を傾げる。

 俺は肩を竦め、笑みを作った。


「いや、何でもない」


 振り返ったときには、影はすでに消えていた。

 通りには熱いソースの匂いと人々の笑い声だけが残り、路地の暗がりは昼下がりの光に溶けている。

 胸の奥で、先ほど鎮めたはずの不安が小さく軋んだ。


「……さあ、蜜氷が俺たちを待っている。早く行こうぜ」


 紅葉たちに笑顔を向け、石畳を踏み出す。

 その背後で、誰かの足音が一拍遅れて響いた気がした。

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