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1705話 灯った炎

「確かに、兄さまはうどんに取り憑かれていました。でも、それは……桜花藩から流れ込んだ瘴気のせいだって、璃世さんが教えてくれました。兄さまの本質は、変わってません!」


 紅乃の声が震える。

 だが、その震えは恐れではなかった。

 心の奥から湧き出る、確信の熱。

 それが喉を突き抜け、空気を震わせた。


「兄さまは、うどん打ちの腕こそ、ちょっとだけわたしより下手だけど……それ以外は、すごく立派で、誰よりもこの藩を想ってます。だから、兄さまじゃなきゃ駄目なのです!」


 胸に手を当て、真っすぐに見つめるその瞳は、まるで曇りなき鏡だった。

 嘘も、迷いも、そこには一切なかった。


「紅乃……」


 琉徳が名を呼ぶ。

 かすれた声だった。

 呼吸が喉の奥で詰まり、言葉にならぬ想いが、ぽつりとこぼれ落ちる。


 周囲にいた家臣たちや民衆が、まるで潮の満ち引きのように、ゆっくりと動き始める。

 最初の一人が呟いた。


「そうだ、琉徳さまには助けられたことが何度もある」


 振り返るように呟いたその言葉は、かつての記憶をたぐり寄せる鍵となった。


「俺ぁ……命を拾ってもらったんだ。冬の飢饉の時にな」


 誰かが言うと、次の者が声を張り上げた。


「我々を守ってきたのはあの人だ!」


 その声は、まるで胸の奥に積もっていた霜を打ち砕く雷鳴。


「紅乃さまと一緒なら、きっともっと良い華河藩になる!」


 一人、また一人と、声が連なる。

 それは叫びというより、魂の共鳴。

 抑えきれなかった想いが、言葉となって空へと放たれていく。

 その波紋は、たちまち会場全体に広がった。

 まるで一つの心が共振したかのように――熱を持ち、脈打ち始めた。


 琉徳の肩が震えた。

 まるで凍りついていた心が、春の陽に溶かされていくかのように。

 否、これは震えではない。

 魂が、再び燃え始めたのだ。


「……まだ、終わってなどいなかったのか」


 ぽつりと洩れた独白は、自らの奥に宿る火を認めるような響きだった。

 再び顔を上げた琉徳の瞳には、かつての迷いなど微塵もなかった。


 宿ったのは、ただ一つの光――誓い。

 もはや退く理由も、道を見失う理由もない。

 これからを、自らの足で、共に歩むと決めた者の光だった。


 その横で、リーゼロッテも静かに胸に手を当てる。

 氷のように整ったその顔に、やわらかな慈愛の気配が差していた。


「あなたも知っているでしょう? 桜花藩が領土を拡大させていることを」


 声は静かだったが、そこに込められた警告は鋭かった。

 琉徳の眉がぴくりと動いた。

 その一瞬の反応に、彼の中に走った焦燥と警戒、そして責任の念が滲み出る。


「それは……もちろん把握しているが」


 短く返した言葉の奥で、彼の心はすでに戦の鼓動を聞き始めていた。

 その瞳の奥、灯った炎はもう消えない。

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