mission.1
カタプレキシー。それが、僕が生まれつき持っている病気の名前。
激しい情動を契機に脱力感を覚える発作症状。ようするに、感情が高ぶると僕の体は動かなくなるんだ。そして、眠ってしまう。とはいえ、カタプレキシーは発作の名前だから、正しくは情動発作睡眠障害、つまりナルコレプシーというらしい。
カタプレキシーの起因になる感情は「笑い」「喜び」「恥じらい」など人それぞれで、僕の場合はそれが「怒り」なんだ。だから僕は強い怒りを覚えると、発作を起こして眠ってしまう。
でも、それだけじゃない。
僕の場合は、この条件が重なったときだけに夜驚症という病気の発作も起こす。これは僕に自覚はないのだけれど、眠っている間に突然動き出して、何かにおびえる様に叫び声を上げたり、暴れ出したりするらしい。
僕はある日突然、この二つの症状を示すようになった。何かに怒るとそのまま眠り、その間何かにおびえながら叫んだり、時にはベッドさえ飛び出して暴れたりした。
だから僕は、小学校のころは友達なんて出来なかった。親も僕に距離を置くようになって、僕はどうしていいのか分からなかった。みんなが僕を避けるようになって、僕は本当にさみしくて、いつもどうすればいいか考えていた。
そして小学校の卒業間際になってようやく、僕は一つの結論を導き出した。
僕が、怒らなければいいんだ。
僕の二つの病気は、僕の心が怒りに支配されることで姿を見せるんだ。だから僕が怒ったりしなければ、僕は眠ったり狂ったりしないで済むし、みんなも僕の近くに居てくれる。
それから僕は、どんなことがあっても怒らないように生活してきた。他人に何を言われても気に留めずに、何をされても気にしないように。それをずっと意識して、ようやく僕の周りにも、そばに居てくれる人が増えた。
だから、小学校の頃の同級生たちとそのまま一緒に送った中学生活は楽しかった。本当に少しずつだったけど、僕のことをわかってくれる友達が増えて、時には一緒に遊びに行ったりもして、僕はようやく、平凡な毎日というものの楽しさを知ることが出来た。
だけど、高校に入ってから、僕の世界はまた小さくなった。
調査書が何かで僕のことを知った高校の教師達は、僕のことをわかったような口ぶりで、最初からすべてをクラスの全員に打ち明けた。
教師達は僕を思っての行動だったのかもしれないけれど、僕からすれば、それはこれからかけがえのない時間を共に過ごす仲間に、何よりも先に僕の欠点を晒される、嫌がらせに近い行為だった。
そして当然のように、以降僕は男子のイジメの標的にされた。
だけど何をされても怒るわけには行かない僕は、ただ無視をするか、小さく「やめて」というだけ。彼らにはそれすらもイジメの快楽としたのか、そんな日々が繰り返されるごとに、僕へのイジメはどんどんエスカレートしていった。
ある日の朝、いつものように一人で登校した僕の下駄箱には、そんな彼らによってボロボロに傷つけられた校内用シューズが入っていた。油性のマジックで「死ね」「消えろ」「うざい」「ヘラヘラすんな」と書かれ、カッターナイフか何かでボロボロに刻まれたそのシューズの中には、接着剤で強く貼り付けられた沢山の画鋲が入っていた。
僕はそれを見ても怒るわけには行かなかったから、外の水道でシューズを洗った。雑巾で油性マジックの上を何度もこすっても中途半端にしか落ちなくて、画鋲は根強く引っ張ったら中敷きごと取れてしまって、結果的には余計にボロボロになってしまったけど、それでも僕はその靴を履いて、教室に向かった。
授業にはニ十分くらい遅れた。僕が入った途端、クラスの男子達は一斉に笑い出した。僕は耐えられずに少し泣いてしまったけど、それでも怒らないように、僕は涙をぬぐって、自分の席に座ろうとした。
その時、教壇に立っていた英語教師に呼び止められた。どうして遅刻したのかと問われた。
僕はただ、「なんでもありません」と答えた。彼に何と言っても何も変わらないし、それより早く自分の席に座りたかった。座って、落ち着きたかった。
そんな僕に、英語教師は呆れ顔で言った。
「そんなだから、イジメられるんだぞ」
その時、僕の中の、何かが壊れた。
そんなだから、イジメられる? どの口がそんなことを言うのかな。
あなた達が僕の許可も得ないで勝手なことをしたせいで、ぼくはこんな目にあっているんだ。しかもそれを、そんなだから? つまりあなた達は、僕がこんな状況であることを知っていたということで、それをずっと黙認していたということ? しかもまるで、イジメられている僕に非があるといわんばかりの、そんな口調でそんなふうに言うなんて。
許せなかった。
僕は、怒りを抑えられなかった。
そして、眠りに落ちた。
次に目が覚めたとき、僕は保健室のベッドにいた。
でも、誰も居なかった。僕一人だけが、無機質な白い天井のある部屋に寝かされていた。
少し経って、僕の様子を保健の教師が見に来た。たくさんの傷を負った男子生徒と、腕に白い包帯を巻いた英語教師を連れて。
すべて、僕が眠っている間にしたことだった。
何をしたのか、何も覚えていない。
ただ、クラスの男子のほぼ全員がたくさんの擦り傷や切り傷を負っていて、英語教師の右腕が折れていたのは、すべて僕がやったことだと、知らされた。
以来、僕は高校に行っていない。
両親もまた僕に距離を置くようになって、僕はよくわからない施設に預けられたんだ。
あれから、もう一年ぐらい経つだろうか。
親は面会になんて来ないし、施設の人も僕には近づこうとしない。
こうして僕は、与えられた自分の部屋で、空白の時間を過ごしていた。