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ある絵描きのキセキ

作者: 七塚いづる

冬の空気が頬にピリピリと突き刺さる。暖房をつけていても窓が全開なので光熱費の無駄というか寒いことこの上ない。 暖まっているのは熱風が直射する足下のみで指はかじかんで動かせなくなりそうだ。


それでも窓を閉めないのは目の前のスケッチブックに手が離せないからだ。


その白い世界に広がるのは雪の中にある枯れた冬の樹木で、くすんだ茶色がより雪の白さを際立たせた。 けれども、ぽつんと真ん中に佇む樹は哀愁だけしか漂わせなかった。


「何か淋しいなぁー……」


とひとりごちていると


「お前ェ!!」


「あだっ」


脳天に衝撃が走る。


「何するんですかあ早川先輩ィ~」


「おぉ、よくわかったな」


「年がら年中メガホン振り回してる人なんて先輩ぐらいしかいませんよ」


「そうか?」


といいながら早川先輩はメガホンで手の平をバスバスと叩いてから肩に置いた。


「先輩実家帰るとか言ってませんでしたっけ、なんでここにいるんですか」


先輩は苦々しく口元を引きつらせて指で顔を軽くぽりぽり掻いた。


「そのつもりだったんだが途中でめんどくなって戻った」


「うわ、先輩何だかんだ言って一回も実家帰ってないじゃないですか」


「まー気にすんな」


「気にすんなと言われましても……」


「そ、それよりだ! 悴こそ今度の展覧の絵、描き始めてないだろ。いいのか」


立場が悪くなったのか、無理やりに話題転換をしたのでこの話に乗らないとまた怒られそうな気がして、 僕は先ほどの先輩と同じような顔をするしかなかった。


「あー、なかなかいいモチーフがなくて……ハハ」


と僕は寂れた雰囲気の絵を早々と片づけ、荷物をまとめた。


「ん? どっか出かけるのか」


「ああ、はい。ちょっと絵になるもの探して来ます」


そして僕はそそくさとアトリエを後にした。


僕は寮の近くにある公園に立ち寄り、青いベンチに座った。


時刻は午後四時。ブランコやシーソーなどのメジャーな遊具で遊んでいる子供たちや散歩ついでに休息をとっているお年寄りの姿があった。


最初はその光景をただ見ていただけだったが、その次にはスケッチブックを取り出していた。


絵になりそうな景色をあちらこちら探して鉛筆を宙に動かした。


そうしていると、ひとつの影に気がついた。


その人は僕の左斜めの赤いベンチに座っていた。


制服姿の女の子、年は十八くらい。艶やかに手入れされた長い黒髪を肩に垂らし、 手首にファーの付いた温かそうな柔らかい手袋をはめていた。


寒さで顔はほんのり赤く染まっている。どこにでもいそうな、普通のコだった。


その子を僕は描いていた。何を考えるでもなく、ただなんとなく。


すると、彼女はこちらに気がついた。丁度ラインを書き終わったところだった。


思わずどきっとして僕は立ち上がる。


「あ、あああのごめんなさいっ! あなたのことを描いてましてそのー……えと、勝手に描いてしまってすいません!」


しどろもどろに伝えると、彼女は不思議そうな顔で僕の方へと歩み寄って来た。


不安になって僕は後ずさった。


しかし、少女が紡ぎ出した言葉は想像していたものとは違っていた。


「その絵、描き終わっていますか?」


「へ? えー、まだ……です」


「じゃ、描き終わったら見せて下さい。―――私、待ってますから」


にこりと彼女は微笑んだ。


近くで見ると、眼がくりくりと大きくて、まつ毛が長くて、肌が白くて、ほっぺたの赤さがちょっと可愛くて、 僕は呆然と頷くしかできなかった。


「ただいまー」


「あ、お帰りなさいです」


早川先輩が寮のシェアルームに帰ってきた。(先輩はルームメイトでもある)僕はこたつに潜りながらスケッチブック を眺めていた。


「……って、どうした」


「へ、何がです?」


「にやけてるぞお前」


「ええ!?」


必死に頬を掴んで口角を下げ、


「別に、なな、なにも」


「ん?」


不審な目つきでこちらをみていた先輩の視線が、広がるスケッチブックへと向けられた。


僕ははっとして手を伸ばすが時すでに遅し。


「なんだこれ」


「ちょっと―――――ッ!?」


奪い返そうとするが、先輩の高い身長に及ばず頭を押さえつけられた。


「―――で、なに。悴はその子に惚れたと」


「惚っ!? な、何でそういうことになるんですかッ」


「違うのか?」


「ふぁぇ? え、えーと……」


先輩はこらえ切れなくなったのか吹き出して笑った。


「くくく、お前ってさぁ絶対嘘吐けないタイプだよな」


こたつのせいなのか、気恥ずかしさからなのかわからなくて、顔を赤くして俯くしか打開策がなかった。


「そんで? その子とどうしたの」


「ど、どうっていわれても、ただスケッチだけとらせてもらっただけですよ」


「メアドとかは?」


「……あ」


わすれてたと呟くと、ため息を吐かれた。


「お前ベタにうぶすぎ」


「うっ……」


「ま、がんばれよ。恋せよ青少年ってか」


じゃ、俺メシ食ってくるわとあまりにもあっさりと先輩は部屋を出て行った。


僕はもう一度、スケッチブックを見た。今日の少女の横顔が映っていた。


風にそよぐ髪。小さな手。緊張してこわばった背筋。


何でもかんでもいとおしくなって胸がぎゅうっとなった。


(明日、また公園行ってみようかな)


とかそう思いながら仕方なく床につくことにした。


そして朝、僕の高揚した気分は跡形もなく消え失せていった。


「はぁ……」


「何してんだお前」


絵の具を服にそこかしこにつけた格好でいた長身が言った。


僕は椅子に座ってその背に肘をついて窓の外を眺めて気だるげに目を細めた。


「今日はやる気ないんですよぅ」


「何で」


「昨日、大事な鉛筆失くしてたみたいで……。うぁぁ、あれ気に入っててすごく使い込んでたのにぃぃ!」


云々と唸っているのを横目に先輩はまた作業を始めた。


「あの子には会わなかったのか。今朝五時起きで三度の気温の中待ってたんじゃなかったのか」


僕は首を横に振るだけだった。


結局、午前はそのまま動かないでいて、昼食を食べに食堂へと向かった。


中庭を過ぎる途中で人ごみが大きくなってきたので、なるべく急いで走り始めた。


すると、この空間には異質な小さな影が真横を通り過ぎた。


「あの、すいません」


その声に聞き覚えがあって、振り返った。


「三上悴さんって大学生、どこにいるかわかりませんか」


一本の鉛筆を握り締めた少女が別の学生に話しかけていた。


高鳴る鼓動の中で一つの期待が渦巻いた。


「ありがとうございました」


もしかして、ずっと探して?


そんなわけないと思いながらも小さく確信していた。


僕はまだ夢でも見ているんだろうか。


夢ならできれば覚めないで。まだ君の名前も何にも知らないんだからさ。


君のとこまでたった二、三歩。


それなのに、どうしてこんなに長く感じるのだろう。


「あの」


彼女が驚いて目を丸くした。


今度は僕が動く番。


「僕が三上です」


僕はまたうわずりそうになりながら彼女に話しかけた。

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