図書室戦争・開戦
夜、瞬は昨日はそこに居たはずの佐伯の机を見つめながら、顔を顰めていた。放課後になれば、何だかんだで佐伯も戻ってくるだろう。その考えは甘かったのだ。
恐らく、佐伯はあの後本当に図書室へ向かい、そこで何かが起こった。それぐらいは、瞬の残念な脳みそでも推測できる。
それより問題は、神楽から聞かされた、にわかには信じられない話の方だった。
「佐伯は実は王族だけど、複雑な事情から忌み嫌われているって……何なんだよそれ」
神楽が言うには、佐伯は本来ならばB組レベルの実力を持っているらしい。しかし、現王の圧力によりE組に落とされたと言うのだ。
確かに、筆記試験満点は並大抵の努力や才能では到底不可能なことであり、能力も使いようによっては強力なので、E組というのはやや役不足な人材であろう。
いったいどのような理由で、他の王族から嫌われているというのだろうか。それについては、神楽も知り得ていないらしい。さすがの生徒会長といえども、王族の内部事情までは探れないという事だ。
「直接聞くしか、ねえよな」
思わず頭を抱える。図書室に立てこもっているジーニアスの説得は、早ければ明日にでも実行する、とのことなので、そこで佐伯を見つけ出し話を聞くしかない。
そこから先のことは考えないことにして、瞬は少し早めに意識を闇に沈めた。
翌日、授業を終えた瞬は足早に生徒会室へ向かった。無論、神楽から話を聞くためだ。生徒会室へ近づいたとき、ふと漏れている声に気付いた。
「龍司。例の件だけど、結局今日にするの?」
「そのつもりだけど。何か問題が?」
「一年生にもやらせる気なの? ジーニアスは強い。多分、A組の中でも五本の指に入るレベルよ。下手したら、大怪我するわよ」
「心配ないよ。ジーニアスの相手は僕がするから。静江君、君には一年生のフォローを任せるよ」
「はっきり言ったらどうなの。要は子守を任せようって訳でしょ」
「人聞きが悪いなあ。そんなつもりじゃないんだけどな。まあ、子守って言葉は適切だね。そんな下手な盗み聞きしか出来ないんじゃあね。入ってきなよ、桐嶋君」
苦笑して、瞬はドアを開けた。中に居たのは、生徒会長神楽龍司と、もう一人見知らぬ女子生徒だった。長い黒髪に知的そうな顔立ちが特徴的だ。
「……ばれてましたか」
「当たり前だろう。それより、紹介しよう。副会長の、玉森静江君だ。他のメンバーは、残念ながら今日も来れないようだ。ま、例の件は今日終わらせるけどね」
「そうですか。……あの、冬弥と美夏は」
その時だった。再びドアが開き二人の人物が現れた。
「呼んだかい。瞬」
「先生に用事頼まれてね。あ、話は聞きましたよ会長。結局、今日やるんですよね」
美夏の言葉に、神楽は頷き返した。その後ゆっくりと立ち上がると、円卓に置いてあった書類を手に取り配りはじめた。四人全員に渡し終わったところで、説明を始めた。
「詳しい作戦を説明するよ。まず、主犯のジーニアス・ジュリアはボクが相手する。君たち四人は、万が一共犯者がいた場合その相手をしてくれ。くれぐれも無理はせず、一年生は逃げることを優先してくれても構わない。何か、質問はあるかい?」
手は上がらなかった。神楽は室内を見渡すと、「行こうか」とだけ言い生徒会室を後にした。玉森、瞬、美夏、冬弥の順でそれに続く。言わずもがな、行く先は図書室だ。
三階の生徒会室を出た五人は、二回の図書室へ向かい黙々と歩いた。長い廊下を渡り、階段を下っていきようやく図書室のドアの前へ立った。
スライド式のドアにはガラスが張られており、神楽がそこから室内を盗み見た。大丈夫だと判断したのか、取っ手に手を掛けると、もう片方の手の指を三本立てた。等間隔で指を減らしていき、最後の人差し指をしまった瞬間、勢いよくドアを開け放った。
すぐさま中に飛び込み、高らかに宣言する。
「生徒会だ! 三年A組ジーニアス・ジュリア! 昨日の暴行の件で話しに来た、出てきたまえ!」
その言葉のあと、しばらく静寂が訪れた。しかし、ふいに奥から戸が閉まる音がしたかと思うと、一人の生徒が歩いてきた。その姿を確認した時、瞬は思わず声を上げた。
「佐伯? やっぱここに居たのか……」
「桐嶋か。まさか、お前が生徒会役員だとはな。生徒会長は……そこの茶髪か。行けよ。ジーニアス先輩が呼んでるぞ」
五人の前へ姿を現した佐伯は、後ろを指で指しながらそう言った。神楽はしばし黙考すると、急にふっと表情を緩め、進んで言った。「それじゃあ、遠慮なく」そう佐伯に言って奥の部屋へ消えていった。
「……さあ、お前らはどうする」
小さな、それでも高圧的な声で、佐伯が呟いた。玉森が一歩前へ躍り出て、質問する。
「あなたは、ジーニアスとどういう関係ですか。返答によっては、あなたにもそれなりの処罰が必要になります」
「関係か。そうだな、共犯者……とでも言えばいいか?」
「なら、次の質問。大人しく処罰を受けますか? それとも、反抗しますか?」
佐伯は髪を掻き揚げ、口角を釣り上げた。馬鹿にしたような笑みを浮かべ、一言。
「――断る」
「そう。残念です」
玉森は右手を前へ掲げた。すると、どこからともなく金属製の牢が佐伯の上部へ出現した。当然、牢は重力に従い佐伯を捕える。わずか数秒のことだった。
あっさりと、何の障害もなく佐伯は捕えられてしまった。だというのに、佐伯は笑みを崩さず話し始めた。
「突如現れた牢、か。なるほど、空間転移系の能力か。それで、勝ったつもりか? 副会長殿」
「ええ。逆に、あなたがこの状況から逆転できるとでも?」
「できるんだな、これが」
佐伯は軽く息を吸った。そして、大きめの声で叫んだ。
「『この牢を、自らの頭上へ移せ!』」
瞬間、玉森は勿論のこと関係のない三人までそれっぽい行動を取ることになった。玉森が強制的に牢で自分を閉じ込める形になった所で、間を置かず佐伯がさらに続ける。
「『能力を使うな!』」
牢を退かすことを強制的に封じたうえで、佐伯は玉森の耳元で囁いた。『眠れ』と。途端、玉森は意識を失いその場に崩れ落ちた。
一瞬で玉森を沈めた佐伯に呆気を取られながらも、瞬はようやく口を開いた。
「お前……その能力、《三分間の絶対王》は攻撃には使えないんじゃなかったのか?」
「その理屈だと、まるで母親の子守歌は攻撃だ、というように聞こえるが? 一応言っとくが、この女はしばらく目覚めない。眠れと言う命令は、数少ない三分ルールを無視できるワードだからな。能力だって、要は頭の使いようだ。ボクが、あんな筋肉馬鹿より下なんてことはありえないんだよ」
その言葉は、安藤もとい瞬と瀬戸のことを指していた。どうやら、佐伯の暴走にはあの順位表も一枚かんでいるらしい。
やはり、あれにメリットなんてない。改めてそう感じながら、瞬は返した。
「そっちがその気なら、俺等も実力行使で行かせてもらう」
「ご自由に。けど、一人で闘うボクに勝てると思うの?」
「それは……冬弥、何か策は?」
瞬は助言を求めた。昔から、策を弄するのは冬弥だと自然と決まっているからだ。冬弥は言われなくても、と言った風にすぐに言葉を返してきた。
「彼の能力は、自分の命令を耳にした者を、その命令通りに従わせる。そうだよね」
「ああ。効果時間は三分だったはずだ」
「なるほど。それじゃあ、今回の作戦の要は美夏になりそうだね」
「え、わたし? ……どうすればいいの」
冬弥は軽く微笑むと、佐伯に聞こえないよう二人に耳打ちした。少々理解に手間取った瞬に易しく教え直し、冬弥は懐を探り、あるものを取り出した。
それは高さ、幅ともに三センチほどの立方体。白色の各面に一から六までの小さな黒丸が付けられていることから、それがサイコロであることが窺える。冬弥は人差し指と親指を出した状態で軽く拳を握り、親指を人差し指へ軽く添えた。そしてサイコロを親指の爪へ器用に置くと、「作戦開始」と叫び弾いた。
それと共に瞬も自らの神具を解放し、佐伯の下へ突っ込んでいった。
「『動くな』」
すぐに佐伯が、そう命令し瞬の動きを止める。が、瞬もタダでは止まらなかった。右腕を前に突き出した状態で制止したのだ。次の瞬間、黒光りする刃が佐伯に襲いかかった。
動くな、と言う命令はあくまで瞬への物であって、神具にまでは及ばない。そこを付いた瞬の目論みは、見事成功した。
倒れるようにして、かろうじて躱した佐伯をさらに襲う者があった。美夏だ。美夏は右手を開き、佐伯とハイタッチした。素早く後方に下がり、叫ぶ。
「『動け!』」
すると、次の瞬間、動けないはずの瞬が佐伯への攻撃を再開した。佐伯は思わず目を見張った。一体なぜ? しかし、それを考える余裕はない。もう一度命令するべく口を開こうとする。
「『うご……』」
「させないよ! 瞬、そこを退け!」
見ると、冬弥の目の前に立方体の何かが浮かんでいた。その何かは、銃口のように見えなくもない黒丸を佐伯へ向けている。瞬は素早く後ろへ跳躍し、その場を離れた。同時に、冬弥が言う。
「『幸運の六面体』。一の目、ブラストモード」
次の瞬間、謎の立方体から光線が射出された。光線は真っ直ぐに佐伯の下へ向かい、そして直撃した。
これが冬弥の所持する神具の力。一から六の目にはそれぞれ種類の違う力が宿っており、敵を仕留める武器にも、身を守る盾にもなる。もっとも、何が出るかは運任せなので、時と場合によっては使いづらいのだが。
「ま、ざっとこんなもんだね。まず瞬が注意を引き、その隙を付いて美夏の能力――《模倣》で君の能力をコピーする。後は、美夏は声を聞かないように耳を塞いで、どんな命令が来たのか推測し、対照的な命令を出す。これが、君の攻略法だ」
美夏の能力は対象の持つ超能力をコピーする、というもの。一つの能力を維持できる時間は一時間。最大で三個までの能力をコピーすることが可能であり、超能力者が多く出る戦場でその真価を発揮する。
しかし、この能力の真に恐ろしい点はそこではない。コピーした能力は本来の二倍の力を得、さらに他人へ渡すことも可能と言う点だ。
「威力は落としてあるから、生きてるはずだ。さっさと彼を連れ帰ろう」
そう言うと、冬弥は佐伯の倒れている場所へ近付いて行った。胸元を掴み、手繰り寄せる。すると、佐伯がうっすらと目を開き、言った。
「……すぞ」
「え?」
「殺すぞ……お前ら」
「ハハ。殺す、ねえ。この状況からどうやってだい?」
佐伯はぼそりと呟いた。「こうやってだよ」
次の瞬間、冬弥は黒い物体に体を拘束された。それは冬弥の全身を万力のように締め付け、地面に叩きつけた。呻き声を上げながらも、何本か骨が折れたのが確認できる。
「……これは不味いな」
「あまり使いたくないんだがな。こいつのせいで、ボクは忌み嫌われる存在となってしまったから」
「っぐ……美夏! こいつに命じろ、能力を使うなと!」
はっとしたように、美夏は声を上げようとした。が、一瞬遅かった。佐伯が黒い何かを美夏と瞬にも向かわせたからだ。身体能力に補正が掛かっている瞬は避けたが、美夏は無理だった。冬弥と同じように捕まってしまった。
瞬は考えた。この状況をどうやって打開するか。が、思いつかない。自分の頭の悪さが恨めしい。
「クソ……どうすりゃあ」
そんな時だった。一つの声が耳に入ってきた。
「……『佐伯康太の、命令に……従うな』」
「は? 美夏?」
美夏の方を見てみると、既に気を失っていた。つまり、最後の気力で一つの命令を残したのだ。佐伯の命令はこれで無視できる。制限時間は、三分間の二倍、六分間。
冬弥も闘えない以上、瞬一人でどうにかするしかない。
「ったく、聞いてねえよ。佐伯にこんな隠し玉があるなんて。玉森先輩もまだ起きねえし……しゃあねえな」
瞬は精神を研ぎ澄ませた。不必要な情報を視界から追い出し、どうすれば佐伯に勝てるのかを模索する。頼るべきは、天性の戦闘センスのみ。
ある時より、その戦闘センスは新たな力を目覚めさせた。
「……俺も、奥の手見せてやるよ」
右手の刃を中心として、黒いオーラが瞬を包み込んでいた。