ある少女の思惑
「さすがに、疲れるわね……」
ため息をつきながら、体をほぐす。
「お疲れ様です」
「ありがとう。ミレイ」
コーヒーを入れてくれたメイドに礼を言いながら、新入生の資料に再び目を落とす。
「それでティナ様……」
「どうかしたの?」
言い辛そうに立つミレイに、ティナが聞き返す。
ティナ・オルスタイン。両親から受け継いだ琥珀色の髪はウェーブがかかっており、彼女の整った美貌を際立たせている。白鞘学園の創設にもたずさわった、名門オルスタイン家の一人娘だ。
ティナ自身も、高位の『マイスター』として活動をしている傍ら、学園の生徒として勉学に励んでいる。
「はい。もうすぐ十時になります。そろそろ決めていただかないと……」
「もうそんな時間? そうね……お父様には明日中と伝えておいて」
「明日中、ですか?」
ティナの言葉に、ミレイが顔をしかめながら言い返す。
「お言葉ですが、期限は今朝までだったはずです。これ以上のばすことは 」
「わかってるわ。でも、一人気になる『クライマー』がいるの、直に会って話してみたいから返事はその後」
ミレイの言葉を遮り、ティナは自分の意志をつげた。
ミレイの説教癖をしっていればこその判断だ。一度でも体験すれば、皆、こうすることもティナは知っている。
彼女らが今悩んでいるのは次の契約相手についてだった。
トップクラスの実力を持つティナは、『契約』をしていない。
彼女の希望でそうしていたし、成績も申し分のないレベルだったため、今まで誰も文句を言えなかったのだ。
その状態で一年学園生活を続け、自分の実力も把握した。そのせいか、仮契約だけではいずれ限界がくることもティナは分かっていた。
そこで、仮契約しか行っていない新入生の中から、適当な『クライマー』を探す事にしたのだ。
資料には目を通したが、それだけでは分からない事などいくらでもある。
だからこそティナもああ言ったのだが。
「気になる?」
「そうよ、いいわよね?」
「……わかりました。ですが今日はもう遅いですし、明日は日曜日ですよ? 学園はありませんが、どうするんですか?」
今更止めても聞かないだろう、とミレイは段取りを始める事にした。
期限はとっくに過ぎているのだ。学校の規定で、仮契約期間のない二年生以上の生徒は前年の段階で、『契約』の申請を出している。
学園長の許可を取り、今朝までにしてもらってはいたが、それももう過ぎている。
父に頼んでも今週末が限度だろう。休みだからといって躊躇している場合ではない。
そこまで考えて、ティナはミレイにこう告げた。
「もちろん、家までいくのよ」
「言うと思いました……、詳細と住所を調べますから、どの方か教えてください」
「ふふっ。ありがとうミレイ。この生徒を調べてほしいの」
「分かりました。九重雄里様、ですね」
ティナの差し出した資料を見ながら、ミレイはつぶやく。
「理由も実績も不明? そんな生徒が……」
「そうよ。おもしろそうでしょう」
そんなミレイを一別して、ティナは部屋を出て行く。
彼を選んだ本当の理由はそんな事ではないが、それをミレイに言うつもりはない。
資料の一部をティナは切り取っていた。ミレイにバレないようにほんの少しだけ。
そこに選んだ理由があった。
彼が『クライマー』になった真実が、雄里の書かなかった、己の過去が書いてあった。
ティナは資料に写っていた少年の、漆黒の瞳を思い浮かべる。
どうしてか治まらない、胸の高鳴りを感じながら。
「本当におもしろいわ。ねぇ雄里、あなたはいったい何をしたの?」
握られた紙片には、もう一人、少女の名が載っていた。
かくして、四人の『エクセル』を巻き込む神話が、幕を開ける。
絶望を語る、つたない思いの童話が。
たった一人の少女が綴った、幼い希望の物語が。