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 冷たい空気が肌を掠り、バチバチと何かがショートしたような音が鼓膜を響かせている。

 瞼を開くと、光の根源である豆電球が丁度俺の真上に設置されていたため、光がモロに目に襲い一瞬目が眩む。

 ゆっくり目を開け、徐々に光に慣れさせる。

 ショートしたような音の原因は豆電球に寄ってきた飛来虫のようだ。今も豆電球の辺りで飛来し、殺傷音を奏でている。

 脈を打つ度に額の上あたりがズキズキと断続的に痛みが走るが、脳を活性化させるのに十分では無い、目を開けてから依然とぼーっと正面にある白い壁を見据える。

 徐々に脳が活性化し始めたところで異変に気づいた。起き上がろうとしたら、両手と足が動かない。金縛りでもあっているのかと思ったが、首だけは幸い動く事が確認できた。

 首を右へ曲げると、そこには木でできた板に黒いマジックテープで何重にも巻かれた右手。理解し難い光景に混乱し、左手を見るとそこも同じようにマジックテープで巻かれていた。

 首を無理矢理起して体を見ると、体がTの字に広げられ、足首にガムテープが縛られている。イエス・キリストが処刑されたような感じに近い。幸いな事に両手には釘などは刺さっていなかったけど。

「そんなバナナ……」

 その一言で脳は完全に目を覚ました。

 ふむ、この状況下でジョークが言えるということは、俺の脳は冷静だというのか。まあ、冷静さに至っては一級品だと自覚してるし、今はまだ恐怖を感じさせるものはないからか。

「それにしても何処だここは。どうして俺はここにいるんだ」

 自分の声が部屋全体にハウリングする。辺りを見渡すと、天井と同じ色の壁。そして、鉄でできたドアが狭い空間の片隅にあった。唯一の脱出口、このガムテープさえ無ければ一直線に向かう場所。

 とは言え、あそこが本当に脱出口でいいのか不安になってきた。推理小説の読みすぎですよお客さん、と言われてもおかしくはないのだろうけど、ここからの脱出口はあそこであって、あれを抜けた先には外だったら脱出ゲームでいうクリアというものだろう。

 しかし、あれの先が外ではなく家だったらとんでもない事に遭遇してしまう。

 それは俺をこういう風にした奴がいる可能性。

 監禁するような奴だ、下手に刺激したら手にしているであろう凶器で俺の腹部をぶすっとやりかねない。勘弁してほしい、この年で新聞の一面に載りたくは無い。

 冷たい酸素を脳に取り込み、脳を一気に冷やす。

 この状況をどう打破するか、試行錯誤してみるがやはりこの手と足に巻きつけられたガムテープが厄介すぎる。いくら力を込めて動かしてもミリ程度しか動かせない。

 ギブアップ――……ダウト。

 他に方法は無いのか脳に検索を掛ける。

 記憶の片隅にあるテレビで見た解決策、ホーム・ア○ーンだったらどうするか、幸いな事に口にガムテープは施されてなかったようで、声を出して助けを求める事もできたがそれは青信号が急に赤信号になるようなもの。黄色信号なんてあったものじゃない、犯人を刺激し腹部を以下略。

 ふー、と息を吐くと、ふと記憶の断片にこれらの思考が止まってしまう映像が映し出された。

 それは虫を見るような見下した淀み掛かった青い瞳。

 区切りの悪い言葉で調教と言った長髪の女。そして、振り落とされるバット。

 俺がどうしてこの状況に置かれたれている事が明白になっていくのがわかった。糸と糸が紡がれるように、何の絵なのかわからないパズルを嵌め込んで、それがどんな絵をしているのかわかったように、記憶が纏まっていく。

「まさか……あいつか?」

 豆電球から発せられる殺傷音よりも小さな声で呟き、ほんのささやかな安堵感と同時に背筋が凍りつくような感覚が襲ってきた。

 女の子なのだから安心できると一瞬だけそう思ったが、あいつは俗に言うヤンデレと呼ばれる人種ではないのか、と疑問視する。

 確か俺がバットで殴られた原因は千匣と付き合う事はできない、と発言した後だ。仮にヤンデレだとしたら安堵なんてしている場合ではない。漫画でよく見るあの光景が現実になりうる可能性が目の前にあるのではないだろうか。

 不気味な笑いしながら、手にしたバッドで何度も何度も体のあらゆる場所に振り落とす。返り血など気にしない、好きだと言ってくれない狂愛さ故の撲殺。ポピュラーなシーンはこれとは違うんだけど、と頭のお花畑にその言葉を投擲した。

 嫌な汗が頬をつたり、思考が死亡フラグを建設中。マジで新聞の一面に載らなければいけない事態になりそうだ。

「やばいなこれ……」

 と、我ながらなんて危機感を感じられない口調だ。

 すると、何処からか甲高い音が聞こえてきた。一定のテンポでかつーんかつーん、と徐々にその甲高い音が大きくなり、心の奥底から焦燥感が溢れ出る。

 首を曲げ、この空間の片隅にあるドアをキツイ姿勢で見ていると、ぎぃと古びた音を出しながら扉はゆっくりと開き出す。

 そこには――理科室と同じ服装のあの女。手には……バット。ではなく、白の青い模様が施された大皿と、その中身を隠す銀の蓋。

「あ、ら。目が覚め、ていたんですね」

 相変わらず区切りの悪い言葉。

 残念、と言わんばかりに眉間に皺を寄せ、凛とした声でそう言い放つ。

「千匣さん、これは一体どういう事ですかね……」

「芦流川、が好きだと言、ってくれなかったので、監禁して調教し、ようと思ってそうしただ、けです。他にどういう理由があ、るというのですか? 私、ざんね、んです。これしきの事もわから、ないあなたの思考がとて、も残念。これは徹底、的に調教しないと駄、目ですね。覚悟はよろしいです、か?」

 覚悟って死ねとイコールで結ばれるんですか? だったら、NOと答えますよ。

 千匣さんはそう言うと、ウエイトレスのように皿を掲げ、中身を隠していた銀の蓋を掴み乱暴に後方へ投げやる。がらんがらん、と壁から床へ衝突し轟音はこの空間全体に響き渡り、そんな音を気にする様子もない千匣さんは依然としてウエイトレスになりきったようにしている。

 こんなウエイトレスを雇うぐらいなら別の人間雇うよな、と少し現実逃避した事を思いながら、皿の上に乗っているものを確認する。

 皿の上には白い携帯電話と一万円札が乗っていた。

「……それでどうするつもりかな?」

 ぱっと見、あれが人を殺す道具ではない事は明瞭であることはわかった。胸を撫で下ろすことはできたが、あれで何をするのかはさっぱり。疑問の塊のようなものでしかない物に対して、心の何処かで不安感を生み出される。

「この携帯には、私が吹き、込んだ台詞があります。それを毎、日聞いてもらい、あなたからこの吹き込んだ台詞、を言ってもらいます」

 いや、俺オウムじゃないよ?

「拒否権はありますか?」

 俺が有無の確認をする言葉を言い放つと、耳元でカッ! という音が耳に行き渡る。

「ありません」

 短く冷たい声音でそう言い切り、いつの間にか右手が俺の方に向けられていた。いや、本当にいつ動かしたのってぐらい。

 俺の耳元で何があったのか、首を曲げそれを確認すると目を疑う光景が映し出されていた。

 正直、これをこういう使い方をする人間は人生で一度たりとも見た事が無い。仕様方向性を見失った凶器と言っても過言ではないと思う。いや仕様方法はあってるのか。何処かの特殊エージェントが紙を武器にして戦ってたし。

 俺の耳元にあったのは一万円札、しかも木に突き刺さっていた。あのひらひらな紙がどうしてこのような現象を起こってしまったのか、喉の潤いが一気に渇き、冷や汗が額に流れた。

 問題はいつ投げたかになるのだが、俺は千匣さんの姿は一瞬足りとも見逃してなんかいないし、瞬きもしていない。お前は忍者ハッ○リ君か、とツッコミたい気持ちに駆られるが、ハッ○リ君でも手の動作が見えない程、速くは動かせないだろう。

 俺、悠長な事を考えすぎだよな。

「と、とりあえずさ、落ち着こうよ千匣さん。話し合い……そう話し合いをしよう。俺はここから逃げたりしないから、このマジックテープ外して欲しいかな。人ってさ、面を向き合って話し合う事が大事なんだよ」

 大切な事なので三回言いましたってか、俺は。

 妙に落ち着いている自分に不思議と思いながらそう言うと、俺の言葉が理解できなかったのか、もしくは理解したくなかったのか、千匣さんは首を思いっきり傾げる。

 ほぼ90度、お前はロボットかっていうぐらい曲げている。口をほんの少し開き、依然とウエイトレス気取りに皿を持っている腕を動かさず、そして、

「話し、合いなら理科室でし、ましたよ。そしたら、あな、たが私の告白を拒否したじゃな、いですか。恥ずかしかったん、ですよ、あ、の台詞を言うのにどれだけの勇気を振り、絞ったと思っているのですか?」

 冷淡な口調でそう言うと、彼女は眉間に眉がより寂しげな表情を浮かばせる。彼女が首を傾げた理由は、どうやら前者のようだ。

「あ、あれはですね、その……」

 必死に弁解しようにも、言葉を捜してみるが中々見つからない。だらだらと頬に嫌な汗が流れる中、彼女は再び紡ぎ出した。

「あなたの中に私はいない。中に私はいない。従って、あなたの外に私がいる」

 お、今度はちゃんと区切りの良い言葉を並べたな。でも、意味がわからないのでその言葉の意味を聞いてみることにした。

「すみません、どういう意味ですか?」

 はぁー、とここまで聞こえる溜息。そして、人を馬鹿にするような憐れみな目。なんで俺をここまで可哀想な目で見るんだ。そりゃ小学生の頃、わからない問題があったら素直に質問していましたけど、先生はそこまで残念な顔つきはしませんでしたよ?

「私、残念で、す。芦流、川の頭がそこまで悪い、だなんて初めて知りました。算数ができるサ、ルのほうが賢いですよ。全く以って可哀想、な、存在なんですね。ちなみに私が言っ、た言葉はコウケンコウテイと言われるものです。サンダイロンポウに置ける、一つの嘘偽です。高、校生でも知ってますよ?」

 先ほどの憐れみな目は何処へ行ったのか、自慢げに余っているほうの手を腰に当て、彼女は何処か嬉しそうな表情をしていた。嬉しそうなどと表現はしてみたが、やはり心の底で馬鹿にしているのか、目からそういう物が感じ取れたのは気のせいにしておこう。

 むしろ、コウケンコウテイって何よって話になる。サンダイロンポウですらクエスチョンマークが大量に溢れるというのに、俺って結構馬鹿なの? いやいや、その前にこのコウケンコウテイって算数ができるサルとは関係なくね? ニュアンス的に理論だとかそっち系な感じがする。

 実際、勉強なんて中の下みたいな所だしな、本当にこの状況下で何自虐してんの馬鹿か俺は。

「なるほど、わかりました」

 なるほど、わからん。とりあえず、これ以上彼女が不機嫌にならないように (俺の方が不機嫌になりそうだけど) 相槌をうっておいた。

「それでは、こ、の携帯に録音された、言葉を復唱できるようになるま、で一日中何日でも耳元に置、いておきます。ちゃんと一、語一句間違わない自信がついたら私に言ってくだ、さい。そうしたら私と芦流川は結婚」

 最後に何とも理不尽な言葉を言った後、彼女の頬は真っ赤に染める。しかしながら、そんな言葉を並べようが彼女の表情は決して変わろうとはしない、依然として無表情で整った顔立ちのせいか、冷たさを感じる表情でもあった。

 リアクションの一つや二つぐらい取って欲しいものだと、俺はそう思った。またしても悠長な事考えすぎだろ。

 千匣さんは皿に置かれた携帯を手に取り、皿を地面にそっと置いた。てっきり、用が済んだ物に対して投げ捨てるものだと思ったが、どうも彼女にとって何らかの規律性があるようだ。皿の割れる音でびっくりしないように構えていたのに、裏切られたような気持ちで少し残念だと、俺はまたしても以下略。

 一歩、また一歩。ヒールの甲高い音を出しながら彼女は俺の方に近づいてくる。そして、彼女が俺の横に辿り着き、携帯を弄くりだした後、携帯を耳元に置いた。

 ピッと機械音が耳に響く。

 とん、と千匣さんは壁に凭れ両肘を腕で組み、なんか偉そうなしている彼女を横目に、耳元に置かれた携帯からノイズが掛かったような音が流れ、

『るいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好きるいちゃん大好き』

「なにこれ!?」

「わた、しの声です」

 お、俺が聞きたいのはそういう事じゃないんだからねっ☆ とか言わないから、マジでこれ何? ほぼ拷問じゃないねぇか。

 耳元から延々と垂れ流される冷たい声。その拷問器具 (声) は海馬から脳へ侵食、そしてこの苦行から逃げ出したいためか、口が緩み、思わず携帯と同じ言葉を言いそうになる。

 これは駄目だ、こんなおぞましい物をずっと聞いていると『るいちゃん大好き』しか言えないオウムになってしまう。オウムでも何種類の言葉を覚えているというのに、一種類しか言葉を覚えないオウムってなんだよ。ミニ四駆の『いっけー!マ○ナーム!』とか言いながら、最後には絶対というほど回転しながらゴールするミニ四駆に喜んでいる少年ぐらいワンパターンじゃねぇか。

「千匣さん!」

 曖昧のようで、これが恋愛と関係がある言葉とは思えないけど、打開策が浮かんだ。それはミニ四駆などではないけれど。

「どう、しましたフナム、シ?」

「ひどいな、まだオウムって言われたほうが嬉しいわ」

 手櫛で上から下へ髪を慣らしながら、千匣さんは屈辱的呼び名で返答。ちょっとフナムシと呼ばれ、ガラス製のハートに傷がついたような気がする。ガラス製って何だよ、落ちたら終わりだろ。

「こんな言葉知ってるかな? 何かを犠牲無しに何かを得ることはできない。つまり、千匣さんが欲しいのは俺。でも、千匣さんは何も犠牲にしてないでしょ? そんなので俺を得るなんて馬鹿馬鹿しいよ。ちゃんと何かを犠牲にしないと駄目だ」

 力の入った声を出すと、千匣さんは困ったような表情を浮かす。

 正直、これで駄目なら俺はオウム化してしまうだろう。むしろ、駄目な方が確率的に多いような気がする。だって、恋愛とか関係なさそうじゃん。もしかしたら、何かを犠牲にしている可能性もあるわけだし。

「そう、ですね。そ、の言葉に確か、に一理あります。でも、何かを、犠牲にと言いましたが私は何、を犠牲にすればいいのですか?」

 食い付いた。馬鹿な魚でよかったと心の底から歓喜が溢れそうになる。

 顎に手を当て、何度も顎を摩りながら深く考える千匣さん。その仕草にちょっと可愛いな、と思ったのは危惧しておこう。

「千匣さんが犠牲にするべき物は時間だ」

「時間、です、か?」

「そう、時間。俺は千匣さんの事何も知らないし、例えば好きな物がそうかな。色だったり動物だったり、それらを学んでいく時間を犠牲にしなくちゃいけないんだ。つまり、千匣さんのやっている事は一方的愛が故の行動で、何一つ犠牲無しにやっている事なんだ。そんなことでは俺は千匣さんに振り向けない」

 形勢逆転の僥倖(ぎょうこう)の糸口。

 常套句と呼んでもいいぐらい、俺の舌はべらべらと回る。……さっきから耳元うるさいんで止めてもらえませんか? それと木に刺さっている一万円札、俺にくれませんか?

「このま、まだと芦流川は私、に好きだと言ってくれないとい、うことですか?」

「そうだよ」

 なぜか睨み付ける様に目を細めて俺を見据え、俺も負けじと彼女の目を見る。この光景に入るように豆電球に集っている虫達は、互いの視線がぶつかり合う火花の音を忠実に再現した殺傷音を奏でている。

 千匣さんは両肘を手で組んでいた姿勢を崩し、ぶらんと腕が垂れる。そして、一つ溜息を漏らす。それは馬鹿にするような風には見えず、諦めがついたようなそんな感じの溜息に受け取れた。

「わか、りました。芦流川、の言う通り、私は時間を犠牲にし、てあなたを振り向かせま、す。私、とは恋人からではなく、友達からという、事でよろしいですか?」

「大丈夫だ」

 恋人から友達へ。彼女なり必死に導き出した答えに俺は何の変哲も無い言葉で返した。

 それから彼女は手足に巻かれたマジックテープを外し、俺はようやく大地に脚を踏み、解放された。

 危うく、監禁された上でのラブコメ展開が始まってしまう所だった。なんだっけ、あの監禁されて恋に落ちる心理学のような精神学のような。映画で見た事があるのに思い出せない。簡単に忘れるということはあまり大事ではないということだろう。さしずめ、ジュラニウム症候群でいいや、と勝手に命名した。

 手先が痺れる中、グー、パーと手を開閉し血液が手先まで十分に行き渡った所で俺は口を開く。

「それじゃ、俺は帰るが……外まで案内してくれるか?」

「はい」

 短い返事をした後、彼女は来た道である鉄のドアを開け手招きをしてきた。短い間の監禁生活はこれにて終幕。

 俺は彼女の背を見ながら、鉄のドアの先にある階段を上っていくと、部屋らしき場所に辿り着いた。

 フローリングの床にあまり大きいとは言えないテーブルが一つ。キッチンはあるけれど、収納棚があるのにも関わらず、そこには皿が一切ない。ましてや、テレビすらない何とも殺風景な光景が広がっていた。

「こっ、ちが玄関になります」

「あ、ああ……」

 その部屋の扉を指差し、また彼女を先行にして後をつける。すると、部屋から出て右手に玄関を見つけた。

「それで、は芦流川、また明日学、校で会いましょう。それま、で誰、かに浮気をしていた、ら、どうなるかわかって、いますよね?」

 友達に対して言う台詞ではないんだけどな、それは。

「わかったわかった」

「そ、れでは、また明日学校で」

「おう、また学校で」

 胸辺りで小さく手を振る千匣さんはやはり無表情のままだった。あそこまで感情に豊かじゃない人を見るのは初めてだ。

 綺麗に並べられた俺の靴を踵を踏みながら、彼女に手を振り、玄関を開けると朝とは大違いの冷たい風が頬を掠る。

 玄関を閉める際、後ろからとんでもない一言が聞こえたけれど無視。なんでそこまで俺の××に拘ってんの? 怖いんだけど。

 千匣さんの家から道出た時、俺はある事に気づいた。

「ここ何処だよ」

 と言ってみたが辺りを見渡した瞬間、俺はここが何処なのか理解できた。

 千匣さんの家から出て右手を見上げる。満月の月……いかん、現実逃避だなこれは。角度を30度ほど下げると、そこには、

「……俺の家じゃん」

 間違いない。

 見覚えのある街頭の並び方。そして、この住宅街に煙突が付いている家なんて俺の家ぐらいしかない。どうやら、俺と千匣さんはご近所だったようだ。認めたくない事実だな。

 あ、あとさ俺ずっと我慢してたんだ。普通あんな事をされて平常でいられるわけないじゃん。マジでノーベル努力賞あるならくれよ。

 自宅に駆け込むなり、俺はトイレでリバースした。今まで我慢してきた事がツケとして回ってきたのか、俺は二時間にも及ぶトイレ生活は三回のリバースで終わった。


 ――ジュラニウム症候群って何だよ。ストックホルム症候群だっつーの。

 

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