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放課後、夕日に染まる教室で俺は佇んでいた。
時刻は四時四十分、下校時間である五時ギリギリで教室には俺しか残っていなかった。やーさんは部活に所属はしてないものの、筋肉を鍛えるために何らかの部活動に自主参加している。凛子はどうせ情報を得るために何処そこ走り回っているのだろう。凛子による魔の手で犠牲者がまた一人増える……俺には関係無いからいいけど。
閑話休題。
とりあえず、今日受け取った分のラブレターの返事はもう済ませた。二足歩行型台風直伝の丁重なお断りを入れてきた所だ。何度やってもあれには慣れないな、たぶんこの後にもう一回やるハメになると思う。あれが本当にラブレターだったら。
机の引き出しから黒い手紙を持ち、教室を後にする。
教室の横にある階段を上り三階へ。オレンジ色に染まる廊下を数秒ほど歩き左手の渡り廊下へ行く。この学校は全部で十棟あるため、渡り廊下の先は全く見えない。まるで鏡を映す鏡、繰り返し映し出される世界のように伸びている。
その途中、念のために七棟三階にある理科室の場所を確認するために、胸ポケットに入れてある生徒手帳を開き校内地図を探す。捲っていると何ページにも渡って描かれてある校内地図。そして、七棟が描かれてあるページに差し掛かる。
ふむふむ、七棟に入って左へ曲がって突き当たりか。
生徒手帳を胸ポケットへ戻し、再び歩き出す。
肌にこびり付くような空気は徐々に心拍数を上げ額に汗がぽつぽつと発汗していく。それは今までに無いパターンの黒い手紙を送られたせいだろうか。差出人のせいにはしたくはないけれど、あんな手紙を受け取ったら誰でも恐怖、もしくはそれに近い何かを感じるに決まっている。俺がそうだ、経験者は語るっていう奴。
上履きのぱたんぱたんと音を立てながら歩いていると、四棟と五棟を繋ぐ渡り廊下の窓から中庭が見えた。その中庭の中心部にはマーライオンが台座の上に威風堂々と座り、口から水が放出していた。そして、その周りには園芸部による色鮮やかな花々が囲むように花を咲かせていた。
園芸部曰く、『楽園』と名付けてはいるけれど、実際にそのように呼ばれる事は少ない。なぜなら、あそこの『楽園』には一般的にかどうかは知らないけど、リア充と呼ばれている男と女がイチャイチャする場所化している。当然、そんな場所が『楽園』などと呼ばれるわけもなく (一部のリア充を除いて)、今では『リア充の巣窟』と呼ばれる始末になってしまっている。
こればかりは園芸部に同情する。自分たちが必死になって作った楽園が、まさかこんな事態に陥るとは誰が想像できただろうか。マダムとイヴも残念な顔で遠い空からこちらを見下ろしてそうだ。
閑話休題だけど、もう少し話を続ける。
このリア充の巣窟に俺は無関係だと思っていた一ヶ月前。いや、本当に無関係に近い事なんだろうけど、遠からず俺はリア充の巣窟に関連性を持たされたようだ。
リア充になりたいけど成れない人Aさんの事情……ひどい言い方だ、変えよう。
リア充願望Aさんの一言。
『お前がモテまくるから、リア充の巣窟に行けないんだ、死ね!』
リア充願望Bさんの一言。
『人生勝ち組のくせに、何のほほんと高校生活送っているんだあいつは。死ねばいいのに』
リア充願望Cさんの一言。
『リア充爆発しろ!』
などなど。
全く持って冤罪だと学校の屋上で叫びたい。太陽に吠えろみたいに。
そもそも、なんでお前らがモテないのを人のせいにするんだ。顔が良いからってそれだけでモテる俺の気持ちを考えた事があるか? 贅沢な悩みなどど煽られると思うけど、こっちだっていい迷惑してんだ。イケメン=勝ち組なんて定義があるのならぶっ壊したいぐらいだ。
女子が俺の顔を見る度にキャーキャー叫びやがって、鬱陶しいこの上ない。
諦めたらそこで試合終了だよ、と偉い人が言ってたがお前らがそこで諦めるなら来世からやり直せ。大事な事だからもう一回言うけど、来世からやり直せ。
リア充の巣窟の門番を勝手にやらされている憤りを感じ、頭皮をガリガリと力強く掻きながら溜息を漏らし楽園……リア充の巣窟を視線から外し、先の見えない渡り廊下を歩き出すことにした。
やがて、七棟へ辿り着き左へ曲がる。
しんとした廊下。防音がきっちりしているのか、窓から見えるグラウンドではサッカー部が精を出している姿が見えるが、その声は一切聞こえてこない。
突き当たりの教室――入り口の上に理科室と記されたプレートが刺さった教室の前で足を止める。
「ここか……」
扉に手を掛け、開け中に入ると埃が蔓延していたのか、口内で膜を張り喉の渇きを加速させていく。
カーテンが全て閉じられ、真っ暗な教室をカーテンの隙間から漏れ出している夕日を頼りに中央まで歩きながら、辺りを見渡すが人影が見えない。無人の理科室に落ち着きを失った俺は、ポケットの中から携帯を取り出し時間を確認。午後四時五十三分。待ち合わせギリギリになってしまった。
「座って待ってるか」
机の上に置かれた木製の椅子を地面に置き、座るなり携帯を弄くりだす。重苦しい空気は挙動不審に拍車を掛け、携帯の画面を見る余裕など失っていた。
すると、
ガラガラガラ――。
音がした方向、ドアを見ると一人の人物が仏頂面で立っていた。
黒のワンピースを身に纏い、同じ色のウエディングベールを被っている。そこから伸びる髪は膝まで伸び黒から白へとグラデーションし、淀んだ青い瞳は生気を感じさせない。
容姿端麗というカテゴリーに入ってもおかしくはない顔立ちとスタイルだったが、残念な事に……いや、俺は別にどうでもいいんだけど、胸がちょっとまな板だった。
などと口にした瞬間、俺はあの世逝きだろう。一部は言っても大丈夫だろうけど。
かつんかつんと甲高い音を足から奏でながら、俺がいる中央まで歩き立ち止まる。重苦しい空気がまた一段と重くなり、足に根が張ったように動けなくなった。
「あ。し流川……こよ、みですね?」
いきなり呼び捨てかよ。
しかも、めっちゃ区切り悪いなこの人。
「そうですけど」
ここに訪れたのは暑苦しい男共ではなかったので、どうやらAKBの仕業ではないようだ。確証は持てないけど、たぶんこのパターンは告白だろうな。
俺は淡々とした口調で返答をすると、目の前の女性は胸に手を当て深呼吸する。そして、
「私はあなたのことを愛しています他の物などいらないあなたがいればそれで十分私を満たしてくれるのはあなただけだからあなたは私の横にいなさいあなたが望むことなら何でもしてあげる安心して私がちゃんと責任を持ってあなたを幸せにする式は高校卒業してすぐ挙げましょうお金の心配はしないで全額私が出してあげるからそのあとはハワイでも何処でも芦流川の好きな場所でいいよそういえば芦流川は子供何人ほしい私はいらないよだって子供がいたら私と芦流川の幸せの時間が減っちゃうから私がここに呼んで言いたいのはそれだけだからここまで芦流川の事が大好きだと伝わってくれたのなら私に土下座して好きだと言って下さい」
…………………………。
…………………。
…………。
……。
やばいやばいやばいやばいやばいやばい!
非常にこの女やばいよ! いきなり蛇口を思いっきり捻ったみたいにどばどばと言葉を出すなんて、さっきの区切りの悪さは何だったんだ! いやいや、それより今彼女はなんて言った? 三分の一ぐらいしか聞き取れなかったけど土下座して好きだと言って下さいって言ったよね?
しかも、なんか遣り遂げたみたいなドヤ顔になってるしこの人。
「……えーっと、お名前は何ですか?」
順番を間違えた。即行NOと言えばよかった。
「千匣誄歌です。千、切り包丁の千に。魍魎の。匣の匣。あと、はめんどくさい。ので省きま、すけど、愛情を。込めてるいちゃんと呼んでく、ださい」
呼びたくないDEAHT。
「いや、初対面に対してるいちゃんはちょっと呼びづらいかな」
苦笑いしながら俺がそう言うと、千匣誄歌は目をガン開きでめちゃくちゃ怖い。不味い事でも口走ってしまったか。
脳がデンジャー! と警報音を鳴り響かせる。逃走心が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、早くここから脱出しなければいけない衝動に駆られる。
「わかり、ました。名前のほう、は我慢します。そ、れより土下座をして。私の事を好き、だと言って下さ、い」
人を見下すような怪訝な瞳で彼女はそう命令してきた。
これならまだAKBの奴らに何かを言われたほうがマシだったのかもしれない。激昂して果てしなく続く口論になって、結局は教師に止められて有耶無耶のまま口論は終了という流れのほうがまだよかった。
AKBの奴らが現れなかった事に胸を撫で下ろしてはいたけれど、……こっちのほうが相当やばい。
「俺さ、あまり恋愛とかしたくないんだよ。千匣さんも俺の顔が目当てなんでしょ? 顔だけ見て好きだって言う人の神経が信じられないんだ」
などと自意識過剰が感じられる言葉でいつもと違う告白の断りを入れる。彼女にはきっぱりと俺が恋愛をしないという主張をしないと、後から何されるかわからない。また同じようにラブレターを送るのなら我慢はしよう。でも、彼女の場合はそうしないだろう。蛇口を捻ってどばどばと言葉を並べる人種は何をするのかわかったものではない。……そう俺は直感した。
「あな、たの薄汚い顔に興味、はありません。私が、欲しいものはあなたの臓」「ダウト」
彼女の言葉を中断させる。危険要素たっぷりだ。
「臓――」「ダウト!」
まだ言うかこいつは。
しゅんとした彼女は俯き出した。それほど俺の××は欲しかったのだろう、と身震いを覚えながら言葉を紡ぎ出す。
「千匣さん、さっきも言ったけど俺は恋愛はしないし、××もやらない。高校卒業するまでの三年間そう決めている」
「恋愛、を否定する。理由はな、んですか?」
雪のように白い肌の先にある指先を、俺の額に当て問いかけてくる。
おかしいな、否定したつもりもないし、説明したはずなのにもう一回言わせるつもりか。
「だから、俺は人の顔で判断する人は嫌いなんだよ。千匣さんはそういう理由ではないにしろ、俺は恋愛とかラブコメとかそういう類の物事に執着しないし、所謂女性恐怖症みたいなものだ」
少し声を荒げ、横にある机をばんばんと叩きながら俺が恋愛をしない事を明白に答える。しかし、彼女の口は半開き、まるで俺の言葉が理解できないと言わんばかりに感じる表情がそこにあった。
「わか、りました。でした、ら、土下座をして私に。好きだ、と言ってください」
あれれー、おかしいなー?
思わず脳内のお花畑に体は子供、頭脳は大人な小学生が現れそうになった。ふむ、こいつはもしかして電波というカテゴリーの人間だったか。
芦流川は 千匣さん の 性格 を 見つけた。
トゥールトゥトゥトゥー、小さなメダルだったらよかったのに。
しかたない、二足歩行型台風直伝をやるしかないな。これはもうどうしようもない彼女を食い止める最後の手段だ。
木製の椅子から立ち上がり、元の位置に椅子を戻す。そして、彼女との距離を人一人分ほど後退し少しだけ身構え、
「俺、恋愛とか本当に興味がないんで、このお話は無かった事にしてください!」
これでどうだ! 二足歩行型台風直伝の土下座断り!
俺は女心なんてわからないけれど、勇気を振り絞って告白してくる女性に対して、単刀直入に断ると傷つくからどうにかしたほうがいいよ、と凛子が言っていた。だから、俺は凛子の力を借りてどう告白を断れば女性を傷つくことなく終わらせるか、について熱く語った結果がこれだ。
今までこの方法で告白を断ってきたが、殆ど女性は「こっちこそ事情知らないで告白なんかしてごめんなさい」、と気まずさと恥ずかしさを入り組んだような返答だった。俺の主観でしかないけれど、これは成功と言える。
「わかりまし、た。だった、ら、あなたを調教、して私を振り。向かせます」
背筋に戦慄が走る。
高校生には聞き慣れない単語。顔だけを動かし見上げるとそこには――何処から出したのかわからない木製のバット。
見下した瞳は眼孔が開き、バットを天高く振り上げる。
『愛羅武こーちゃん』、と書かれたバットの先端。小学校の頃のあだ名ではあったが、それに気を留めるほど悠長に見ている余裕など全く無い。
何かを叫ぶ時間は無い。
虫が鳴く音も勇ましい声も聞こえない。
俺を見下す淀んだ青い瞳。
バットを振り落とす。
残像のように残るバットの通過点。だが、目で捉える事ができても反応できるかは別の話。
俺が見えている薄暗い理科室と千匣の姿は黒幕を張られたようにシャットダウンした。