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千匣誄歌のラブコメ事情
六月初頭。
家の玄関から外へ出ると、熱を帯びた空気が身体中を覆い、半袖の制服から晒された腕はじわじわと汗が滲ませていく。六月だというのにこの暑さ、今日も活発的に活動している太陽に鬱陶しさを感じてしまう。それに加勢するように「おはよう!」と言わんばかりに陽炎がアスファルトから顔を覗かせていた。うん、あれも鬱陶しいな。
少しでもこの暑さから逃れるために手を左右に振り、涼しい風を顔に当てようとするが、もはや無駄な努力で全然涼しくなんかならないし、むしろ体中から汗が発汗していく。
手の振り子を止め、溜息を一つ置く。
青天の空を見上げまた溜息。
「今日もアレだよな……学校行きたくねぇな」
不登校者のような台詞を青天に向けて呟く。
もうあれから二年とちょっと経っているのにこの発言から考えると、これから先もアレには慣れないかもしれない。
そんな日常から脱したい気持ちに浸りながら、アスファルトの感触を確かめるように住宅街から街路樹へゆっくり歩いていると、国語辞典サイズ程の大きさで俺が通う高校の校門が見えた。
私立琴羽ヶ丘高校。俺が通う高校で特徴と言えばあれしか浮かばない。
生徒人数が半端ないという事。高等学校の平均全校生徒の人数はわからないけど、ここは間違いなく他校と比べ数倍は違うと思う。実際、他校の友人に人数を聞いた事があり、その差なんと三倍。私立琴羽ヶ丘高校では八千人ほど在籍している。
それだけ生徒数が多ければもちろん、琴羽ヶ丘高校の敷地も半端なく大きい。例えようがない、東京ドーム何個分で例えればいいのかもしれないけど、東京ドームの面積なんて知らないので却下。安易に思い付くのであれば城プラス城下町の大きさぐらいはあるだろうか。知らないけど。
そういえば、VIP待遇生徒もいるらしい。授業に参加しなくても卒業できるといった待遇らしいのだけど、そのVIP待遇生徒に会った事も存在しているのかわからない。要は学校七不思議みたいなものである。
校門に近づくにつれ鬱陶しさを感じさせる要素がもう一つ増える。いつもの事だけど、うん……俺にそんな視線を送られても困るわけで、どんな反応を見せればいいんですか? 街路樹のど真ん中で土下座をすれば許してもらえますか? そんな羞恥プレイを楽しむほど俺はMではございませんよ。
殺意が篭った視線 (認めたくないけど合ってる) がピリピリと肌で感じ、それともう一つ、好意が篭った視線 (これも認めたくないけど合ってる) を感じる。鬱陶しいだけだけど、と口で言ってしまえば俺の命日は今日になるかもしれない。
温度差のある視線を感じつつ校門を通り、瑞々しい花が咲いた花壇に挟まれたレッドカーペットでも敷いたような赤いレンガを埋め込まれた道を歩く。昇降口へと入るとまた一段と殺意が篭った視線と好意的な視線に見舞われる。いつもの事だけど。
芦流川暦とプレートに記された機械色の下駄箱、俺の名前である。これもいつもの以下略、目を細めそれを見据える。内側からトンカチかハンマーで叩かれ加工されたような下駄箱。いじめではない、愛が具現化した結果とでも言っておこう。はは、我ながら良い例えではないか。
扉に手を掛け、勢いよく引っ張る。ちょっと表現がおかしいかもしれないけど、俺の下駄箱の仕様上間違いではない。勢いよく引っ張らないと開かないのだ。
ん? 今日のはやたら固いな。もう少し力を入れてみるか。
バゴン!
ありえない音だ。これも以下略。
凄まじい音と共に下駄箱から吹雪のように白い紙が噴出。バサバサと落ちる白い紙は地面を白で染めていく。周囲は呆気に取られ (たらいいな)、俺は慣れた手つきでその白い紙を一枚一枚丁寧に鞄の中へ入れていく。
これは俗に言うラブレターである。たまに脅迫染みたラブレターもあるけど。
自分ではあまり意識して考えた事がないのだが、俺は世間一般的にイケメンと言われているらしい。
うっすらと茶色に染まった髪は目辺りまで伸び、身長は平均より上。顔はイケメンと言われるぐらいなので整っている。ジャンルで言うならジャニーズ系だとか、鏡で自分の顔をしきりに気にするナルシストではないのであまり実感がない。
しかも、俺の友人情報によると女子の半分以上が俺の事を狙っているとか。単純計算で約二千人ほど――ふむ、銀河系スーパーマン50人VS悪の組織1人のような構図だな。いや、規模が違うか。
マ○ロ○VS俺一人。
完全に死亡フラグだ。もう余計な事を考えないでおこう。
別に俺は「モテモテ王に、俺はなる!」などと、何処かの海賊団船長のように意気揚々と公言するつもりなどないし、その気もない。ただ普通のスクールライフを送りたいだけなのだ。
「ん?」
ラブレターを鞄の中に入れる作業の手が止める。
白の密集物の中に異質なオーラを放つ物を手に取り、目の前にやり首を傾げた。
手に握られていたのは白とは真逆の色、黒の紙。青色の薔薇のシールで止められ今までに無いパターンのラブレター? だ。
不気味さを感じつつ、白いラブレターを鞄の中に全て入れ、黒いラブレターらしきものはポケットに入れ俺が所属している1年7組へと向かう。
昇降口を左に曲がり、突き当りの階段を上がる。そして、右に曲がるとそこが俺の教室。毎度ながらここに来るまでに二つの視線は飛び交い、そんな中「リア充爆発しろ……」と言ったとんでもない発言まで聞こえる始末。俺はリア充じゃないと反論した所で聞く耳を持たないだろう。
教室の中へと入り、窓側の一番後ろの席に向かう。その途中、
「おっす、暦」
俺の隣の席に座っている男が軽快な挨拶をしてくる。
黒い髪をオールバックに褐色肌、制服の袖から出るのは高校生らしくない鍛え抜かれた腕。ごついってレベルじゃない、ボディービルダー並。
彼の名前は北谷内。幼馴染である。
幼馴染を三行で纏めるなんて酷い奴だ、と勘違いしては困るのでもう一つ付け加えよう。
……やーさんは筋肉バカ。
「おっす、やーさん」
「相変わらず鞄の中はラブレターでぎっしりだろ?」
「まぁな。何なら数十枚渡そうか?」なんて言えるわけがない。女子の好意をこんな形で裏切るなんて事はできない。と、カッコつけて言ってみるけど俺としてはどちらでもいい。
「別にいいだろ」
素っ気なく返事を返し、椅子に凭れ掛かる。
「やーさん」
「どうした?」
「これ、なんだと思う?」
ポケットに忍ばせておいた黒いラブレターらしきものを机の上の置き、谷内の反応を伺う。
やーさんは椅子から立ち上がり机に置かれた黒い紙と睨めっこ。やがて、目が点になりそれほど異質な物であるのは確かなようだ。
「呪いの手紙か?」
「ビデオのバージョン違いか? それはそれで嫌だな。ふむ、どうしたものか」
「下駄箱の中に入ってたのか」
「うむ」
机に肘を置き、握り拳で顎を支えながら返答。
すると、やーさんは何を思ったのか、黒いラブレターらしきものを開封し始めていた。自分で呪いの手紙と言ってた割にはノリノリである。たまに出るこいつのKY行動は大好きではあったが、この黒いラブレターらしき差出人がこの教室にいるのなら一大事だ。差出人の好意を踏み躙るわけにはいかないので、ラブレターらしきものを奪い取り、本来の受取人である俺が開封する。一部、数分前の俺に対して矛盾点が生じたけど気にしない。
机の横で仁王立ちするやーさん。
黒い紙の中から出てきたのは――またしても黒い紙。
やーさんのほうを見ると首を傾げ俺も首を傾げた。
よく見ると折り畳まれた跡が確認できたので、広げてみるとそこには達筆で書かれた白い文字で、
『夕方5時に七棟三階にある理科室へ来てください』
またしても首を傾げる。
ラブレターだったら、一行目は必ずと言ってもいいぐらい、『好きでした!』が流行かどうか知らないけどそうだった。この手紙に書かれた事を察すると、本当に呪いの手紙に成り掛けている。
「これラブレターじゃなくて、あいつらの仕業じゃねーの」
「ああ……そういえば、あいつらの事を視野に入れてなかった」
呪いの手紙からあいつらの仕業へ方向変換。ふむ、明瞭してないけど納得してしまうな。
「おろろ、どうしたコヨとヤッチー」
不意に後方から女性の声が聞こえる。
俺に絡んでくる女性はただ一人しか知らない。振り返ると、頭の両サイドに三つ網が施された水色の髪。制服のポケットには今にも破裂してしまいそうになる程に黒いペンが入り、赤い眼鏡がよく似合う人物は俺達と同じように首を傾げこちらを伺っていた。
邑緒栗 凛子。
俺が中学校二年からモテだしたのをきっかけに仲良くなった女子。自意識過剰みたいに言うつもりは無いけれど、こいつも俺目当てで近づいてきたんじゃないだろうかと思ったが、そうでは無かった。俺の周りで面白い事が起きるから、と不明瞭且つ不吉な事を言い今の仲が出来上がっている。
「丁度いい所に来たな、二足歩行型台風」
二足歩行型台風、凛子のもう一つの名前である。名付け親は――俺。そう呼んでいる理由は、こいつの趣味である情報収集癖から因んでいる。人の恥ずかしい情報など星の数ほど持っている。もちろん、俺も例外ではないらしく、今までフってきた人数でも記されているのだろう。恥ずかしいから止めろ。
「朝からそんな愛嬌のある呼び名は恥ずかしいなー」
頭皮を掻きながら笑う凛子は、俺が付けた名前にまんざらでもないらしい。
「それよりこれなんだが……」
「ん?」
机に置いた黒い手紙に指を刺し、凛子はそれをまじまじと凝視。すると、唇がωみたいに変化し、頬を赤く染め出した。
どうやら興味を示したようだ。
顎を探偵のように手のひらで擦り、目はガン開き、そして、
「呪いの手紙ですかなこれは」
ふむ、やーさんと同じ回答か。
こいつなら面白い事を一つや二つほど言いそうなのに、今回に限ってはあまり面白そうに言ってくれない。なんて、ちょっと傷心に浸りながら心の庭師に対して呟いてみる。
「凛子、この手紙の送り主なんだけどAKBじゃないのか?」
AKB……、後ろに数字が付くなら国民的アイドルグループに変貌を遂げるけど、残念ながら俺が言っているAKBはそんな可愛いものではない。むしろ、立場的に真逆の存在ではなかろうか。だって戦闘集団だし。
A=芦流川
K=暦
B=爆発しろ
芦流川暦爆発しろ。
なぜかモテるという理由だけで組織が出来上がってしまったらしい。つい先月に。これが秘密結社だとか異世界の組織だったりしたら、俺はもう少し楽しめたのかな、と感慨にない事を思ってみる。
凛子はポケットから大量のメモ帳を取り出し、机の上に置き一つ一つパラパラ漫画のように捲り、その手の情報を探している。こいつの情報網は学園一で知らない事なんて無い。VIP待遇生徒の件については知らないらしいけど、と矛盾を生み出してみる。
「うーん、そういう情報はないねー。あ、そういえば」
「何かあったか」
凛子の紡ぎ出そうとしている言葉に興味を示し、凛子の顔を見上げる。
「なんとAKB戦闘員が十二人増えました!」
眩しい程のドヤ顔で親指立てて言う台詞では無い。
俺は両手で顔を隠し溜息を漏らす。何もしていないのに敵が増えるって、そんなRPGも聞いた事もないし、理不尽だよな。
それに同情でもしたのか、俺の両肩に手をぽんぽんと叩く。やっぱ、友達って良いよな。
「面白い事になってきてるぞ暦!」「面白い事になってきたねコヨ!」
前言撤回。
こいつらは友達に同情するつもりなど一切無い。ただ俺の周辺で面白い事が起きるから一緒にいるだけで、心配なんて言う言葉はこいつらの頭の中には無いらしい。ちょっと涙が出てきた――グスッ。
結局、黒い手紙の差出人がわからぬまま、本日の授業を有耶無耶になりながら勤しんだ。