第05章「始まりの音」
翌朝。いつも通りの時間に目を覚ました翼は、特に急ぐこともなく学園へと向かった。五月の連休を利用した引っ越しによって、数日前から一人暮らしを始めたので住む場所は変わったが、生活に特に変化はない。
……決めていたことだしな。
二年になって早々ではあったが、もとより覚悟も準備もしていただけに、翼にとっては連続していく日常に流されていくだけの出来事だ。
……昨日の出来事はちょっと予想外だったけどな。
過ぎたことは仕方ない。すでに頭から余計なことは排除してあるし、反省は充分にした。後はいつも通りの生活に戻っていくだけだ。
「先輩。おはようございます」
通学途中に知った顔を見つけたので挨拶をする。女性にしては高い背に、長い髪。そして何より、悩みなど微塵もないとばかりに胸を張り堂々と歩く、生徒会長の千鶴だ。
「おや、翼くん。おはよう」
前を歩いていた影が振り返った。と、同時に挨拶が返ってくる。
……しかし、胡散臭い笑みだ。
普段はこの笑みの表情か、何か思案している表情。そんな印象しかない。ついでに話していていつも思うが、千鶴は行動も性格も共に得体がしれない。
すぐにこちらを手玉に取ってしまう所など、まるで詐欺師のようだと思う。しかし、その実力は本物だ。全生徒が普通の人間ではないこの学校で、その強大な能力によって生徒会長の座に収まり、現在も生徒全てを抑えているのは紛れもない事実だ。
「なんだか、今ものすごく失礼なことを考えていなかったかな?」
「いいえ。先輩のことをものすごく尊敬していました」
……この人は心が読めるのか?
しかし、読めるなら最後まで読んで欲しい。嘘は言ってない。
そこで千鶴は顎に手を当てて考える……ポーズをした。
あれはフリだろうな、と翼は思う。流石に付き合いも短くないので分かってきていた。
「キミは尊敬してるって言うけど、その割に未だに私を先輩と呼ぶね?他の子は会長と呼んでくれるのだけれど?」
その言葉に、翼は面倒くさそうに頭の後ろで両手を組みながら答えた。
「ああ、それだったら……先輩のこと役職で呼ぶ人だけになるのが、なんとなく嫌だっただけですよ」
と、千鶴は一瞬だけ驚いたような表情をした。だが、その後には笑っていた。
「しかし、先輩というのは私の名前ではないのだが?」
「なんで俺がわざわざ先輩を名前で呼ばなきゃいけないんですか」
「そうだな。そんな必要はない」
唐突に声を掛けてきたのは、短めの髪に真面目そうな顔立ちの副会長、鶫だった。音も無く現れたが、翼は驚きもせずに対応する。
「居たんですか?副会長」
「私のことは役職で呼ぶんだな」
「それは付き合いの長さを考えて、ですね」
「ふむ。私との付き合いをそんなに長いものと考えてくれているんだね。嬉しいよ」
「最近、先輩とは前世から知り合いだったような気がしてますよ」
そんな他愛もない会話をしながら平和に学園へと向かう翼の朝は、唐突に破られた。
「見つけたわ」
「え?」
後ろから来た声。その声は凛として、透き通るようにハッキリとしていた。決して大きくないけれども響き渡る。というよりも、貫くような声だと感じられた。
声の主を確かめようと振り向いた翼は、そこで固まった。
「昨日……の「昨日の人」
疑問を挟むより先に断定され、さらには軽く指差された。翼はさらに追い込まれる。
……同じ学園だった?
しかし、その疑問に翼の思考が反論した。
……こんな人は今日まで、学園で見たことすらないぞ。
「いったい……「いったいどこのクラスの誰だ!」
そこに翼より大声を上げて割り込んだのは千鶴だった。
「先輩?」
「翼くん、私は聞いていないぞ」
「あ、いや、その……」
言い訳が思い浮かばず、翼が口籠っていると、千鶴はそのまま続けた。
「こんな綺麗な子がまだいるなどと、私は聞いていないぞ!」
「は?」
その場にいる全員が固まった、ように思えたが副会長だけはため息を吐いて反応していた。
……流石だな……
「ふむ、私のチェックを通りぬけるとは……なかなかやるじゃないか。ちょっと生徒会室で話を聞こう」
「千鶴、何の話を聞くつもりだ」
「それはもちろん、私との愛についてに決まっているだろう?全ての美しいものは、私に愛でられる権利がある」
「それで答えになっているつもりなのか?」
「なんだ鶫、嫉妬しているのか?大丈夫だ、私の愛は数が増えたくらいでは変わらないさ」
「お前は病院に行った方がいいんじゃないのか?」
翼は、千鶴たちが芝居で足止めをやっている間にこっそりと先に行くことにした。
……どこまで芝居なのか、分からないのがあの先輩の怖いところだけどな。
と、そこにメールが届く。千鶴からだった。
『放課後は、生徒会室にくるように♪』
なんだか厄介なものを抱え込むことになりそうだ、と思う翼だった。