ニコラスと地下壕
ニコラスと地下壕
一月の初め、前線は最終防衛地点であるドニュープル川に敷かれた。白軍本部の置かれたチェルシースクカヤは川を跨いで向こう岸にある敵陣地からの数多の砲撃に曝されて廃墟の様になっていた。
それはチェルシースクカヤ政府庁舎も例外ではなく、ニコラスと南方軍司令部はどんよりと重い空気の籠った地下壕に移る事となった。
「北部と南部において黒軍は渡河に成功しチェルシースクカヤの半分が黒軍に落ちました」
ニコラスは数名の将軍を呼び地下壕の狭苦しく蒸し暑い会議室にて作戦会議を行っていた。
「ミハイル、ここは何日持つ?」
「15日、いや12日ですね。それほどあればここは陥落致します」
チカチカとした電灯のせいか、あるいは長時間地図を眺めていたせいか、ニコラスの視力はかなり落ちてしまった。だから彼はメガネを掛けざるを得なくなってしまった。
「そうか、ではチュロス軍団を前面に貼れ」
「ニコラス閣下、チュロス軍団は死守命令を受け付けず更に後方に下がりました」
砲撃が政府庁舎に当たったのだろう。地下壕が揺れ、天井の埃が降ってくる。
「そうか、そうか」
ニコラスは埃の混じる空気をゆっくりと吸って吐いた。
「ではキーロフ将軍を…戦死しんだったな。ならばグラナート将軍に攻撃を命じさせろ」
「了解致しました」
ニコラスは震える手で眼鏡のテンプルを掴み、それを地図の上に置いた。
「今から言う者だけここに残れ。ミハイル、ニキーチン、ヤゾフ、以上だ」
名前を呼ばれなかった将軍達が退出する。
ニコラスは四人だけがこの空間に残った事を確認した後、笑いを溢した。
「ククッ…ふふっ。どうだ、ミハイル。中々に名演技だったろ。これで奴らもこんな情けない魔王を担ぐ気もなくなったはずさ」
実は3日ほど前、アレクサンドル率いる北方軍より敵の居城たるカノンノフグラードの褐色宮殿に入城したとの連絡が入っていた。つまり、もう勝ちが確定していたのである。
よってこれはニコラスによる悪質な茶番であった。この後の退位による内戦収束をスムーズに進める為の。
「どうでしょうか。王党派の将軍を失望させる事が目的ならもっと騒ぎ散らせばよかったではありませんか」
「それは、そうかもしれない。でも喚き散らして示しがつかな過ぎてはならないし」
「まるで茶番ですね」
「本当にそうだよ。さて、私はこんなふざけた話をしにきた訳ではない。実はこの地下壕に入るまで赤軍の副将カーメネフ伯とはやり取りをしていてな、極古典的な方法で」
運送業の発達により使われなくなってしまった方法、つまり伝書鳩でやり取りをしていたのである。
「奴は総大将たるシャルージェ・ウリヤノワに疑念を抱いてる。革命論の違いだとか、そう言う所だろうな」
ニコラスは先ほど置いた眼鏡を掛け直した。
「ともかく、肝心なのはカーメネフ伯が二撃革命論者であり、奴の革命における役割は王政の打倒で終了するという点だ。だから僕が退位すればこの内戦を終わらせる事ができる、ここまでは周知の事実として君達も馴染みあるだろう」
「それでこの手紙だ。私は奴に対して奴自身の派閥の拡大を求めた。でも戦争が長引くせいで一撃革命論者の勢力が大きくなってしまったらしいんだ。だからこの内戦を終わらてる為には、奴の派閥を、二撃革命論に火を焚き付けなくてはならない。そしてその役目はカーメネフ伯ではなく、私ニコラスなんだ」
先ほどニコラスの手が震えた理由である。彼は内戦を終わらせる為に自分の命を晒す様な行為が必要である事を自覚しているのだ。
死ぬことは辛くない、そう考えているがそれ以上に生物としての恐怖が上回っている。
「三ヶ月後の第3回党大会、私はそこに飛び入りで参加する。そして演説をして一気に内戦、彼らの定義する所の革命の早期終結に持っていく」
ニコラスのキリッとした覚悟の宿る目、まさしくそれはノブレスオブリージュの象徴であった。
「王党派の将軍の気持ちがわかりました」
ヤゾフは深く感心していた。それはもう、目が少し潤ってしまう程に。
「二チーキンお前は王党派の将軍達に一番顔が効く。不測の事態の場合、後継者はアレクサンドル兄の王位継承権を復活させてアレクサンドル兄にやらせると言っておいてくれ」
「はい、しかと」
「さて、これで話は終わりだ。3日後にここを出るから3日間ゆっくりしていてくれ」
ニコラスはそう言って解散させた。会議室の静寂、いや、砲弾の音は煩くとても静寂とは言えないが、それでも彼にとっては静寂だった。だから彼は一度居眠りする事にした。
やはり見る夢は悪夢ばかりで、殺したあの日を無限に繰り返す。故にシャルージェが欲しいと、そう強く思ってしまった。
3日後、彼は会議室に全ての将軍を呼び、こう伝えた。
「今日は天気が良いから外に出よう」
ミハイル、二チーキン、ヤゾフ以外の七名の将軍は彼の言葉に驚きを隠せずただ立ち尽くしていた。
「皆も付いてくるといい」
ニコラスは立ち上がり外套を羽織って会議室の扉を開けた。流石に理由を知らない将軍達も焦り始め彼を止めようとした。
「お、お待ちください。そろそろ砲撃の始まる時間に御座います」
「関係ないよ」
ニコラスは肩にかかる将軍の手を振り解き外に向かって歩いた。彼は自ら重い地下壕の扉を開ける。数ヶ月ぶりの朝の太陽が酷く目に刺さり、ここにいる全ての人が目を細めた。
「な、いい天気だろ?」
雲一つない快晴、静まり帰った廃墟の街。ここにおいて全ての将軍は黒軍への勝利を確信した。
例のアレです




