黒紅の協定
黒紅の協定
シャルージェとカーメネフ伯は白軍と黒軍との国境部に位置する都市、トロジョカという小さな村に向かう為に機関車に乗った。
「わかっていますよね、同志シャルージェ。くれぐれも彼の事は考慮なさらずに」
「勿論です、わかってます」
シャルージェは女たる自分に苛まれていた。何故なら女の自分が革命家の自分を壊滅的に損なおうとしていたのだから。
「同志シャルージェ、戦略上白軍は黒軍に敗北するべきなのです。例えニコラス王子が死んだとしてもその方が我々にとって益がある」
シャルージェとてそれを理解している。しかしシャルージェの女たる部分がそれを良しとしてくれない。女のシャルージェは革命家シャルージェの敵であるニコラスを愛していてしまっていて、なんなら革命家シャルージェもそれに引っ張られている。彼女はこの現状にこう感想を抱いた。
本当に親子揃って愚かだ。母親が男に走って家庭を崩壊させたみたいに、私も男に走って革命を崩壊させようとしている。なんとかして、この野生的で悪質な肉欲を消さなければ。その為には、いっそ…
「…潰してしまうべきなのかもしれない」
彼女は自分の下腹部を握り潰すように掴んだ。彼女は自分を惑わして自分に痛みを与えるだけの忌まわしい器官を憎んでいたのである。
「そうですね、ニコラスは潰しておくべきでしょう。彼は恐ろしく魅力的な男ですから、生き残ったら生き残ったらで革命政府を分裂させかねない。今の貴方のようにね」
「分裂、私が…違う。まだ違うはずです」
「いいえ違わない。私は知ってますからね、貴方とニコラス王子が愛し合っていたという事を。まるで王妃カテリーナと祈祷師ラスアジィンニコフのように」
彼女はカーメネフ伯の襟を掴んで凄んだ。
「黙れ、私は愚かな人間じゃない。私はあのような女でもあのような男でもない。私は偉大なることの為のみに生きている」
「じゃあなんで酒場であんな事言ったんです?ニコラスは私の物だって。あれは貴方の本心でしょう?」
襟を掴む力は強くなりさらに皺が増えた。
「確かにあれは私の本心かもしれない。だとしても私は本心に惑わされない。感情に流される人間は死んだ方がマシだと考えているからね」
「なら貴方は愚かな人間だ。だって赤軍の事だけを考えるのであればニコラスはあんたの家で拘束するべきだった。なんでわざわざ酒場になんて連れてきたんだ?あんたはニコラスという男に理解してもらって、女としてあの男に寄りかかりたかったんじゃないのか?」
図星だった。だから彼女は何も言えず目の前のイラつく男を強く睨んでから手を離した。
「まったく、貴方という人は…頼みますよ、同志シャルージェ」
しばらくして一行は街に到着し、そこから馬車を数時間走られせてトロジョカ村に到着した。既に両軍の兵士が睨み合っており一触即発の雰囲気である。
既にヨセフの一行はトロジョカ村に到着しており、村の真ん中の小さな平屋で待機していた。
シャルージェとカーメネフ伯もその平屋に入る。平屋は元々農民が住んでいた家ということもあり、貴族育ちの彼らからしてみれば薄汚いと感じてしまう場所だった。
「貴様がシャルージェとかいう奴か」
ヨセフは開口一番赤軍代表のシャルージェ・ウリヤノフに向かってそう言った。
「ニコラスは本当にセンスがないなと、兄は言っていたが俺にはそうは思えんな」
彼は彼女の見た目とその実績を見てそう感じていた。実際、ヨセフとしてもシャルージェのような知的で過激な女性は好みであった。何故なら男としてシャルージェという難儀な女に追いがいという狩猟本能からくるものを感じていたからである。
「お褒めいただき大変光栄でございますが、私は女というより革命家という生き物に御座います」
彼女とカーメネフ伯は交渉の席につきヨセフを睨んだ。だがヨセフはその威圧を軽く受け流して冗談混じり話題を繋いだ。
「そうか?俺にはお前は女に見えるぞ。今すぐにでも追ってやりたいと思う程にな」
「そうですか、しかしナンパをしにきたのではないのでしょう?」
ヨセフは顎をくいっとあげて部下に指示をする。部下は地図を広げ、皆は地図を眺めた。
「さて、俺はこの度の交渉に差し当たって互いの勝利をビジョンを把握しておくという事が有効であると考える。という訳で提案者たる私から黒軍の勝利方法について語らせてもらう。と言っても、そちらとて大方想像ついているだろうが」
ヨセフはペンで大きく丸を作った。それは黒土地帯を表す物である。
「ご存知の通りだが、我が黒軍は黒土地帯を有さずさりとて赤軍のように工業地帯を有している訳でもない。あるとすればユーロ=ルーシー軍きっての有能な指揮官というくらいか。ともかく、我々黒軍は長期戦に致命的に弱い。故に貴軍と白軍との二正面戦争を早期に終わらせなくてはならない。以上だ」
カーメネフ伯は顎に手を置いて思考する。ヨセフが勝ち方を提示した以上、こちらも開示しなくてはならない。しかしヨセフの勝ち方がブラフである可能性がある以上、こちらのみ真実の勝ち方を渡す事になる。だからブラフを渡すべきなのかもしれないが、下手なブラフでは見破られてしまうし不義理とされれば交渉の意味がなくなる。
カーメネフ伯は解を出した。
「こちらは工業力こそあれど食がありません。ですから短期決戦が望みなのですが我が軍が黒軍と全力でぶつかり合えば白軍との戦いで余力を残せない。故にこちらとしては黒軍は白軍との戦いが泥沼になってくれれば良いのですが、しかし長引き過ぎてもこちらの食が足りなくなって困る。ですから黒軍には程よく消耗しつつ白軍に早期勝利していただけく事が我が軍にとって最善であると考えています」
解は誠実に答える事だった。何故ならここでブラフを言って変に混乱させてしまうよりも真実を話した方がこの先が予想しやすいと判断したのである。
「なるほどな、程よく消耗か。戦いが長引きすぎても、逆に短すぎてもいけないと。ならば貴軍は我が軍に対して武器供与を行うべきだ。白軍にニコラス王子という正統性が加わったせいで予想される白軍の規模は当初より大きくなった。これでは長引き過ぎてしまい、それは貴軍とて望む事ではないはずだ」
シャルージェはしばらく思考した後に答えた。
「50年式を2万挺用意致します」
ヨセフは彼女の問いに顔を覆って大袈裟に笑った。
「やはりお前は女だな。50年式ニ万挺なんてニコラス様には死んでほしくないのですって言ってるようなもんじゃねぇか」
「何を言ってるんです?現実的な提案でしょう。こちらとしてもみすみす敵に最新型渡して兵力を消耗してって馬鹿な事したくないんです」
「話にならん。70年式三万艇。これでなければ帰れ」
カーメネフ伯が何かを言おうとした時、シャルージェは彼を抑えて喋り出した。
「70年式一万二万挺、あるいは50年式三万挺、これでなければ私はここで貴方を撃つ」
シャルージェは立ち上がり拳銃を抜く。それに呼応して後ろのヨセフの護衛は鉄砲を彼女に向けて、彼女の護衛もヨセフの護衛に鉄砲を向けた。
互いが崖際に立ったのだ。
「70年式二万挺と50年式一万挺。オークションじゃないんだ。承諾してくれなければ俺は撃てと言うぞ」
彼女は机に足裏を乗せて銃口をヨセフの額に近づけた。
「70年式二万挺」
しばらくの沈黙の後、ヨセフが小さくクソと呟いた。
「…女め。わかった、70年式二万挺で納得してやる。だがその代わりお前が負けたら浮浪者どもの巣窟に裸にひん剥いて放り投げてやるからな」
「焼死体に興奮する人は少ないでしょう」
互いに銃を納め浅い握手をした。
この空間の誰もがこの決定に納得していなかったのである。シャルージェとしては70年式一万五千挺で済ましたかったし、ヨセフとしては70年式二万挺と50年式三万挺で済ませたかったのだ。
そして一番この決定に納得がいってなかったのはカーメネフ伯である。彼としてはヨセフの70年式二万挺と50年式三万挺が好ましいと考えており、シャルージェの愛によって結果が歪まれたのだから到底納得できる筈がなかったのだ。
陰鬱さを芯として作ってるんですけど、そのせいで登場人物全員薄っすら気持ち悪いっすね




