舞踏会
舞踏会
雪は泥濘となって新芽を押し潰し、土砂降りの雨が緑の稲穂の頭を地に臥せた。ユーロ=ルーシーの大地に雪解けが訪れる。
「それくらいでいいよ、あまり凝ったものにし過ぎるとお嬢様方に悪いからさ」
召使いは今宵の宴の為に主人であるニコラス王子の身を整える。
「嫌です、王子にはそこら辺の貴族のお嬢様よりも美しくあって欲しいんです」
「じゃあそうするといい。貴方が望むのならば、言うことはないよ」
彼はユーロ=ルーシーの大地そのものだ。人の欲求は受け入れるが、人に対して何かを与える事はない。注がれた熱が全て雪に変わるように、彼に注がれた全ての欲は消えてゆく。
「じゃあ張り切っちゃいますね」
それでいて彼に欲を注ぐ人は欲を増大させるのだから、無制限に人の欲を増長させる。そうなればその人は彼が無くては生きていけない。
つまりカテリーナ・イエラヴナが魔王カノンノフの血に流れる醜い征服欲求と闘争本能を受け入れた様に、彼もまたカテリーナの子供であったのだ。子は親の悪癖から逃れる事はできないのである。
「よろしく頼むよ」
召使いは金と黒のリボンを混ぜながら三つ編みのシニヨンを作った。そして彼女は翠の飾りを編み込みの結び目に付けた。
「今晩だけで良いのでお願いします、娘にあげようと思っていた物なんです」
「構わないよ。それにほら、多分その色は僕に似合う」
彼の言葉の通りその色は彼の薄い肌とよく似合った。
夕刻となり、カチューシャ宮殿のトパーズの部屋で宴が広かれた。煌びやかな金のあしらわれた装飾と高級葡萄酒、そして何より雪の似合う着飾ったユーロ=ルーシーの女達、まさしく絢爛豪華である。
そしてその中で一際輝いていたのは他でもないニコラスであった。
「すまない、葡萄酒を頂こうか」
葡萄酒の入った金杯を飲む姿、女達は彼の肉体の造形美に嫉妬すら感じれず呆れを抱くと共に恍惚と見る。
そしてそれは宮廷の男もまた、同様であった。男達は彼が男であると理解していたが、その瞳はとても男に向ける物ではなかった。彼の細さと中背、そして大きな瞳と小さな口から成る小動物のような雰囲気は男の征服欲求を刺激していたのである。
またその中で一番男性的な欲求、つまりギラギラとした熱を彼に向けていたのは彼の兄、アレクサンドルであった。
「ニコラス、まったく君は…どうしてそんな女のような頭をしているんだ」
アレクサンドルは自らの劣情に耐えかね、ニコラスに抗議した。
「仕方ないじゃないですか、アレクサンドル兄。私はどうしてもあの人の願いを叶えてあげたかったんです」
「お前は奴隷になりたいのか?」
「私は善き人で有りたいと思っているだけですよ」
「愛のない善行が善行と呼べるのか?お前のやっているそれはただの欲に過ぎないんだぞ」
「それに何の問題がありましょう?その人が幸いであるのならば愛の介在など何の必要がありましょうか」
「結果が過程を肯定するのならば、自身の心情について省みる事はない。これは大問題であると考えられる、そうだろう?」
「私の心情に何か省みるべきものがあると言うのですか?」
アレクサンドルはニコラスのその言葉に拳を握った。誰のせいで自分がこんな思いをしているのか、現実としてお前が親から譲受けた悪癖を省みないから自分はこんな思いをしているんだぞ、アレクサンドルは彼に対してそう言ってやりたくなった。
「もう少し自分の欲求というか、君が本当に欲しい物といか、あぁそうだな、そもそもだな自分がどう見られているかくらい気にしたらどうだ」
「どう見られてるか、ですか。私はきちんとそれを理解した上で人の願いを受け止めています」
何を言ってるんだ、アレクサンドルはその気持ちが顔に出た。そしてこの男が如何に面の皮だけの心底間抜けで木偶のような心を持った卑怯者なのか今一度認識した。
「いや、もう良い。宴を楽しみたまえ」
アレクサンドルはそう言い放って去っていた。
「…葡萄酒貰っていいか?」
彼は自分の美しさについて薄らと自覚している。しかし自分がどれ程美しいのかについては分かっていない。何故なら彼は元高級娼婦カテリーナの息子で、放蕩僧侶ラスアジィンニコフに育てられたのだから。
「や、ニコラス。また一段と飾り付けられてるね」
ゴリラの顔をした巨体な獅子ヨセフと猫の目を持った彫刻ニコラスが並んだ。性別以外真逆である。
「似合ってますかね?」
身長の関係でニコラスはどうしても上目遣いになってしまう。ヨセフは彼の上目遣いを見てこう感想を抱いた。
この男がもう少し頭が良ければ、それかもっと男らしい容姿と性格をしていれば、あるいは心の底から表面に至るまで女であればあの人ももっとまともだったんだけどな。
しかしアレクサンドルもヨセフも彼に対して頭が悪いとか客観視出来てないとか、そう直接言う事はしない。何故なら言ってもわからないだろうなと理解しているのだから。
「勿論、普段の数倍美しく見える」
「ならよかった、有難うございます」
「それでヨセフ兄、あれの件なんですが…」
「出来てるよ、総主教にもお話しを済ませたしあの辺にいる貴族連中にももう話ついてる。ただアレクサンドルにぃににバレないようにやってるから、最後の最後で君の持つ魔王としての素質が試されると思う」
「やってやりますよ、それくらい」




