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   の探究者

作者: 只野真
掲載日:2026/01/23








この  には、思索の消し跡が残っているかもしれない。  について関心を持てる人は人類に何人いるのだろうか。そんな仕方のないことを考えることこそ、  なのではないだろうか。私がここまで書いていることこそ、  である。しかし、この  がなければ、  の本当の意味に気づけはしない。

  には人を乗せることができる唯一の場所なのだ。


一つ問題を出そう。ここに入る言葉はそれぞれ何であろう。自由に考えてほしい。

 味 、 風 、 音 、 知 、 臭 、 限 、 縁 …

考えることはできただろうか。私の予想では、3つの回答がある。

  の中に漢字を入れるものや、  の中に「ことば」を入れるもの。そして、漢字の後ろに言葉を入れるもの。一体あなたはどのような知と思索を用い、そのように至ったのだろう。

かのフランスの思想家パスカルは、「人間は考える(あし)である」と言った。

か細く弱い植物が人間のようだと。しかし、知と思索を持つ偉大な生物であると。今まさに、あなたたちは今までの学んできた知と積み重ねてきた思索を応用し、  を埋められた。つまり、君は考える葦なのだといっても良いだろう。人間は誰しも「考える葦」であるからこそ、ノートの  には自分なりのメモを書き、本の  には意味を感じる。そして、ビックバンの前夜の  にまで人は探求する。  の中は、己の知と思索を書き出し、著者になれる瞬間なのだ。


しかし、現代では自らの知を追求せず、思索を放棄している愚かな馬鈴薯ばれいしょが多すぎる。

ハッキリと言えば、生活の  を愚かなる電子機器に捨てさせられている人間が多すぎるのだ。スマートフォンと呼ぶことすら腹立たしいものだ。若者はブルーライトを育てられず、指をスクロールする人生を送ってしまうのだろうか。「人生の生きる意味が見つからない。」、「なんでこんなことしてるんだろう。」などという甘い思索を巡らせ、自己否定に走る、まるで根腐病にかかった人間ではないか。

スマホを持つ前までの人間が生まれながらにして「考える葦」ならば、スマホを持った後の怠惰な人間は「考えられなくなった葦」であろう。私は「考えられなくなった葦」に決してなりたくない。

そう想い続ける。

  の意味を自ら考え、何かを感得できたのなら、「考える葦」で居続けてください。

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