第七話
「シャロン、久しぶりだね」
「お兄様」
結婚式以来のニコル兄様は、いつも通りの笑顔で両手を広げて出迎えてくれた。
はしたなくない程度に、すすすとお兄様に近寄りその腕に包まれると、やはり家族だなあとホッとする。
(さて、シャロン。父上から経緯は聞いたよ。好奇心旺盛なのは良い事だが、相手が王太子殿下なのはあまり感心しないねえ)
心話は、基本的には近距離でないと作用しないが、当主のみ、距離関係なく使用可能。王城に着くまでにお父様が心話で説明してくれていたようだ。話が早くて助かるわ。
(もうっ!お兄様。そうだけど気になるのよ。旦那様の会話では、例の物と言うばかりで肝心の何かがわからないのですもの)
(わかったよ。それで、殿下の執務室の場所が知りたいんだろう?)
(さすがお兄様!話が早いわ)
(全く‥‥困った妹だ。さあ、手を貸して)
(ええ、お願い)
お兄様と手を繋いで目を瞑る。
すると、頭の中に、王城の王太子殿下の執務室までの道のりが映像として入ってくる。
そう、実はニコルお兄様にも特能がある。
過去に見た記憶映像を、皮膚接触している間は、接触相手に観せる事ができる、という特能だ。
心話という血縁魔法があるからなのか、我がヒョウゴー伯爵家の血族は、世間では稀な特能を必ず持って生まれる。
それも、何故か諜報に役立つ特能ばかり。
だから、その特能を使って、何年にも渡って旦那様のキョウトゥー伯爵家に監視されていたのも気付けたし、この特能を使って、嫁ぐ前から、キョウトゥー伯爵家が王家の諜報を担う事も知っていたのだ。
他家に利用されないように、我が家は血縁魔法と特能を代々隠して来た。
目立たず、誰にも利用されないように、自己防衛のためだけに血縁魔法と特能を使い、引き継ぐ家。それが、我がヒョウゴー伯爵家だ。
何故なら、遠い昔、ヒョウゴー伯爵家の始祖は、他国の貴族でこの血縁魔法と特能を王家に利用され、破滅寸前まで酷使されてきたからだ。
細かい事はもう記録がなくわからないが、ヒョウゴー伯爵家の始祖は、母国に裏切られ、母国を捨て、この国の貴族と縁付いた。そして、今に至るまで静かに確実に家を血縁魔法と特能で護りつつ、血を繋いできた。
そう、ヒョウゴー伯爵家は、旦那様のキョウトゥー伯爵家と同じくらい、いえ、特能を必ず持つ点を考えれば、それ以上に諜報に長けた家門なのだ。
(お兄様、ありがとう。執務室への行き方を覚えたわ)
(どういたしまして)
早速、お兄様と昼食を取りながら、特能を発動し、風魔法を殿下の執務室まで飛ばす。
思ったより遠くでなくて助かったわ。
殿下の執務室の扉の隙間から薄く練った魔力の風を通すと会話が聞こえてきた。
『今日は、その‥‥すまんな‥‥。誰にも言わないでくれて助かった』
『言わないよ。誓約魔法も掛けたしこれも渡せたし、やっと肩の荷が降りたくらいだ。気をつけてくれよ。王太子なんだから』
『ああ』
『もう落ち込むな。じゃあな。帰るわ』
『ああ、ありがとうな』
ちょうど、オーシャカ公爵令息が帰るところね。
さすが従兄弟同士だわ。会話がすごく率直ね。
『もう良いぞ』
『失礼します』
旦那様の声だわ。どこかに隠れていらっしゃって、今出てきたようね。
『良かったですね。無事に取り戻せて』
『全くだ』
『それで、相談とは何でしょうか?』
『ああ、それなのだが、諜報の影を一つ私に付けているだろう』
『ええ、常に一つは飛ばしてますね』
旦那様のキョウトゥー伯爵家の血縁魔法は影分身の魔法。
自身の影を分裂させ、自由自在に操れる。更に、その分裂した影は、聴力と視力を自身と共有させることが出来る、という諜報のためのとも言うべき唯一無二の血縁魔法なのだ。但し、私の、と言うより、我が生家――ヒョウゴー伯爵家の知る限り、影は影の中でしか移動できないのが欠点らしいわ。
『その‥‥私はこれを止められない。これがあるから王太子の重圧にも耐えれていると言っても過言ではない。そのくらい私には大事な事なんだ』
『ええ。わかってます』
『それでな、もうこう言う事がないように、私がこれを燃やし忘れていたら、影経由で良いので指摘して欲しいんだ』
『畏まりました。頻度は‥‥今までだと、三日から五日程でしたよね。何日毎に、と決めて頂いた方がありがたいので決めていただけますか』
『では、そうだな、五日にしよう。いや、三日だ。いや、毎日‥‥』
『毎日でよろしいですか?』
『ああ、こうなって最悪のことを考えたからな。毎日が安全だろう』
『まあ、そうですね』
『私は日記という形を取らず、紙に記して燃やすが、日記という形に残していた過去の王族は馬鹿だったのかと思うよ。そう思わないか』
『そう‥ですかね』
『ああ。帝王学の一環で、過去の王族の日記を読まされるのだが、いつか子孫が読むと考えなかったのだろうか。あんな赤裸々に‥‥。私には理解できん。が、気持ちを記すことは止められん。だが、未来の子孫に読まれたくない』
『確かに‥‥』
『だが、今回思い知ったよ。紙に記して持ち歩くなど、危険しかない、と。しかも、数日で数枚溜まっていて、消し去る前に私が暗殺されたり何か不測の事態が起きたら?他人に読まれてしまう‥‥。もし、アリアに読まれたらと思うと気が気でない』
『そうですね。でも、アリア王太子妃殿下なら喜ばれると思いますが‥‥』
『そうかもしれないが、私が恥ずかしいんだ。お前は影を通してどうせ知ってるだろう。大半は政務の愚痴だが、半分は、アリアの瞳を月や太陽に例えたり、普段直接言えないような事を書いているんだぞ。アリアが私の心を惑わせる女神だから仕方ないんだ。抑えきれないんだ‥‥。書かないと落ち着かなくて‥‥。だが、本当に恥ずかしすぎる。残したまま死ねない‥‥』
『なるほど。書き手は恥ずかしいのですね』
『そうだ、恥ずかしい。と言うか、サラッと流したな、おい』
なるほど。
殿下の例の物は、日記のように自分の気持ちを書き記したものなのね。
しかも、アリア王太子妃殿下への愛の言葉で大半は綴られているのね‥‥。女神って‥‥。
私は、旦那様に盗み見てもらうために書いているから恥ずかしさはないけれど、普通はそうよね。自分の気持ちを赤裸々に書いたものを他人に読まれたら恥ずかしいわよね。
恥ずかしいし、未来に残したくないけれど、気持ちを書くことで心の整理を殿下はなさっているのね。
――私は?
私欲のために日記を利用している。
日記は、本来、誰かに見せるものじゃない。
日記に本音、書けるのかしら――私。




