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平凡高校生、異世界で精霊と共に正義を貫く  作者: 瀬風らす
第一章 帝都ハーメルン〜憲兵という檻〜
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第一話 憲兵詰所にて

 鼻を刺す鉄の匂いに、まず意識が引き戻された。

 鉄、油、革の汗、紙に染みついた埃。どれも学校の教室にはなかったものだ。病院でもない。馴染みのある匂いのどこにも当てはまらない。


 目を開けると、石造りの天井が視界に広がった。四角い石が乱雑に積まれ、黒ずんだ木の梁が縦横に走っている。窓から差し込む光は白く濁って、見慣れた蛍光灯の光と決定的に違っていた。


 身体を起こすと、粗末な木机が目に入った。机の上には羊皮紙の束、鉄のスタンプのような印章。机の隅には、革紐で閉じられた記録簿が積まれている。壁際には剣や槍が無造作に立てかけられており、見たことのない形の銃のようなものも混ざっていた。


「……夢?」


 思わず口から漏れた声は自分でも驚くほど掠れていた。喉が焼け付くように渇いている。


 すると、机の向こう側に座っていた男が、視線を上げた。


 漆黒の軍服。肩には銀の飾緒が垂れ、腰には儀礼用と思しき剣。背筋は板のように伸び、冷徹な視線だけがこちらを射抜いている。


「目が覚めたか」


 低い声。感情を削ぎ落とした声音。それでいて、妙に教師めいた抑揚を含んでいる。


 状況が理解できないまま、僕は反射的に口を開いた。


「……えっと、ここは……」


「名は」


 こちらの問いを無視して、男は淡々と聞いてきた。


「……中野、夏樹」


「ナツキ、か。異国の響きだな」


 男は記録用紙にさらさらと何かを書きつける。その姿に「取り調べ」という言葉が頭をよぎる。背筋が冷たくなる。


「ここはどこなんですか?」


「帝都ハーメルン。パエリ帝国憲兵詰所だ」


「けん……ぺい?」


 耳慣れた単語のはずなのに、まるで別物のように響く。


「帝国の胃袋を守る者。兵でも騎士でもない。法と秩序を司る役職だ」


 冷たく、それでいて規律を刻み込むような調子で言われると、逆に現実味が増す。だが理解は追いつかない。


 パエリ帝国? 憲兵? 胃袋を守る?

 何を言っているのか、本当にわからない。


「……冗談、ですか」


 半ば自分に言い聞かせるように呟いた。だが、男――ユリウスと名乗った――は眉一つ動かさず、ただこちらを見下ろした。


「冗談とは何を言っている」


 静かに言い放たれた一言に、息を呑む。冗談を否定する声音が、あまりにも現実的すぎた。


 胸の奥がざわつく。

 これは夢じゃない。日常の延長線じゃない。そう頭が理解し始めた瞬間、足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。



 僕は案内されるように、石畳の廊下を歩いていた。壁には油のランプが等間隔に灯され、時折、鎧姿の兵士が無言で通り過ぎる。


 足元の靴は知らぬ間に硬い革靴に変わっていた。サイズはぴったりだ。誰かが着替えさせたのかもしれない。背筋がぞわりと粟立つ。


「ここは……本当に……」


「現実だ。疑う暇があるなら、歩みを早めろ」


 ユリウスの返答は、冷たくも揺るぎなかった。


 やがて辿り着いたのは、広間のような場所だった。粗末な木の長机が並び、十数人の男女が忙しなく紙を仕分けている。背中には同じ黒の軍服。彼らが憲兵なのだろう。


 誰もが無言で手を動かし、時折ペンの音や椅子の軋みだけが響く。その沈黙が逆に緊張感を際立たせていた。


「ここがお前の働く場所だ」


 ユリウスはそう言って立ち止まる。


「ちょっと待ってください!」


 気づけば声を荒げていた。

 僕はただの高校生だ。野球もサッカーもやってない、普通の人間。そんな僕が突然「憲兵」なんて言われても、理解できるわけがない。


「なんで僕なんですか!? なんでここにいるんですか!? どうして……」


「質問は山ほどあるだろう」


 ユリウスの声は冷静だった。


「だが、答えは急がぬ方がいい。お前に必要なのは順応だ。理解は後からついてくる」


 説得というより宣告だった。その揺るぎなさに、逆に言葉を詰まらせてしまう。


 順応? どうやって? こんな現実離れした状況に?


 胸の奥で答えの出ない問いが渦を巻いた。



 その夜。割り当てられた部屋に一人で座り込む。

 窓の外には石畳の街並みが広がり、遠くに高い城壁が見えた。月が、地球のものよりも大きく青白く輝いている。


 もう、冗談だとは言えない。

 これは夢じゃない。僕は本当に、知らない世界にいる。


 その時――耳の奥で、水が鳴った。


 ぽちゃん、と。

 静かな夜に、不意に響いた水音。


「……誰?」


 反射的に声を上げた。だが部屋には誰もいない。


 机の上の紙に目をやると、淡い波紋が広がったように見えた。光の揺らぎか、それとも――。


 僕は震える手で目をこすった。錯覚だと思いたかった。


 けれど、確かに耳の奥に、水の囁きが残っていた。


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