71 「怪物の仮面」
ナギは桜に小さく微笑んだ。
手を軽く振る。
「今、行くよ…」
彼はそう言った。
だが、足は仲間とは逆へ。
路地はどんどん狭くなる。
市場の喧騒が遠ざかる。
目の前に低い石造りの工房が現れた。
壁は煤で黒ずんでいる。
ハンマーの紋章がかすれた看板が、風に揺れる。
ナギは扉の前で立ち止まる。
フードを被り、マントで顔を隠した。
「余計な目はいらない。」
彼は呟いた。
扉がキィッと軋んで開く。
鉄と油、熱い炭の匂いが流れ込む。
中は薄暗い。
壁には剣、短剣、槍が並ぶ。
台には革の軽装から重い鋼の鎧まで。
だが、どれも…新品じゃない。
まるで過去の持ち主の記憶を宿した武器のようだ。
カウンターの向こうに、片目に眼帯をつけた老鍛冶屋が座っていた。
彼は顔を上げ、ナギを鋭い目でじろりと見た。
その視線には、どこか警戒するような色が浮かんでいた。
「見かけねえ顔だな、旅人」
かすれた声で、鍛冶屋が言った。
「だが、その目は……そんな目、ずいぶん多くを失った奴にしか見ねえよ」
彼はゆっくり立ち上がる。
汚れたエプロンで手をゴシゴシ拭いた。
壁に並ぶ武器に、ちらりと顎をしゃくってみせる。
「何を探してる? 派手な剣か?」
「軽いナイフか? それとも……何か別のモンか?」
ナギの目は、壁の武器をゆっくり滑る。
「輝きなんかいらねえ」
静かだが、確かな声で答えた。
「裏切らない武器が欲しい」
鍛冶屋はくっと笑った。
「そんなモン、滅多にねえよ」
だが、すぐに目を細める。
「でもな……お前さんにぴったりの一品なら、ひょっとするとあるかもな」
そう言うと、彼は工房の奥へ消えた。
ナギは一人、取り残される。
周囲には鋼の匂い。
そして、運命の重みが漂っていた。
鍛冶屋はすぐには戻らなかった。
工房の闇の奥から、ドスドスと重い足音が響く。
まるで地の底へと降りていくような音だ。
やっと姿を現した。
彼の手には、古びた灰色の布に包まれた長い包み。
無言で布を解く。
そこに現れたのは、一振りの剣。
王族の刃のような輝きはない。
刃は黒ずみ、まるで煤を吸い込んだよう。
鍔は少し歪んでいる。
柄にはひび割れが走っていた。
だが、その剣には妙な重みがあった。
まるで戦場の叫びと血を覚えているかのようだ。
「この剣の主は……とっくに死んだ」
鍛冶屋が掠れた声で言った。
「ただの平民だったらしい」
「だが、意志の力だけで騎士になった男だ」
「この剣はそいつと一緒に倒れた」
「でも、折れちゃいなかった」
「お前がこれを選ぶなら」
「お前も折れねえだろうよ」
ナギは手を伸ばした。
指が柄に触れた瞬間、ゾクッと震えが走る。
まるで鋼が呼応したかのようだ。
彼は剣を強く握りしめた。
「…ああ、これだ」
「欲しいのはこれだ」
鍛冶屋は鋭い目でナギを見つめた。
だが、ナギは突然口を開いた。
「でも、武器だけじゃ足りねえ」
「ほう?」
老人が目を細める。
ナギは少し身を乗り出した。
声は低く、だが力強い。
「仮面が欲しい。普通のじゃねえ」
「芝居用のなんてもってのほかだ」
「俺の顔を隠し、俺の……盾になるようなやつ」
「敵がそれを見たとき、人間じゃなく、怪物だと思うような仮面だ」
工房に静寂が広がった。
鍛冶屋はゆっくりとニヤリと笑った。
「妙な若造だな……」
「だが、その頼み、嫌いじゃねえ」
彼は再び工房の奥へと消えた。
数分後、彼が戻ってきた。
手に持っていたのは……仮面だった。
黒い金属でできた仮面。
縁は粗く、歪んでいる。
顔はまるで獣のようだ。
歪んだ輪郭。
空っぽの眼窩には影が揺らめく。
口元にはいくつかの裂け目。
まるで獲物を引き裂く獣の口だ。
薄暗がりの中、仮面は冷たい笑みを浮かべているようだった。
無機質で、ゾッとするような笑み。
「こいつは、ある傭兵のために作った」
鍛冶屋が静かに言った。
「戦場で悪魔に見えるようになりたかったらしい」
「だが、そいつは取りに来なかった」
「死体も戻らなかった」
「……これ、運命なのかもな」
ナギは仮面を手に取った。
金属は冷たく、だが驚くほど軽い。
彼は仮面を顔に当てた。
その瞬間、周囲の音が消えた。
くすんだ鏡に映ったもの。
それは自分自身ではない。
人々が覚えるだろう影。
恐怖を刻みつけるシルエット。
「これでいい」
仮面の隙間から、くぐもった声。
「お前、信用できるか?」
「誰にも話すなよ」
ナギは注文の代金に金貨を数枚放った。
鍛冶屋はただ頷いた。
「なら、お前の旅は始まった」
「これからお前は、ただの若造じゃない」
「世界がお前を恐れる存在になる」
ナギは無言で剣を背にかけ、仮面の上からフードをかぶる。
そして、出口へと向かった。
工房の扉がキィッと鳴る。
扉が閉まった。
鍛冶屋は静かに呟いた。
「気をつけな、旅人……」
「仮面が人を支配することもある」
「逆じゃねえんだよ」
面白いと思ったら
評価 & ブックマークお願いします
次を書く力になります




