48 「世界に軽蔑されるとき」
ナギは階段を降り、扉を押し開けた。
朝の冷たい空気が顔を撫でる。
胸の奥で、何かがざわめいた。
息が詰まりそうだ。
理解できない感情――
怒りか、困惑か、それとも別の何かなのか。
人々の間を無言で通り抜ける。
誰も気にしていない……そう思った瞬間、
大きな男とぶつかりそうになった。
男はナギの顔を見て、固まる。
冷たい表情。無表情。機械のような目。
だが、その背後に漂う威圧感は尋常ではなかった。
男は一歩下がり、何も言わずに道を空ける。
ナギは街を抜け、小さな草地の前で立ち止まった。
朝の光が柔らかく降り注ぐ。
彼は地面に視線を落とす。
胸の奥で、ロリエルの話の記憶が渦を巻いた。
怒り。
悲しみ。
憎悪。
感情は絡み合い、整理できない。
「……俺は、なんだ……」
ナギは小さくつぶやく。
声には出さず、思考の中で繰り返す。
胸の奥で渦巻く感情。
そして、冷たい顔とのギャップ。
彼はただ立ち尽くしていた。
無表情のまま――
内側で荒れ狂う嵐を感じながら。
ナギは髪を指で強く掴んだ。
頭が割れるように痛む。
まるで内側から誰かが叩いているようだった。
「……ありえない……」
彼は歯を食いしばり、呻いた。
エルフの森が……人間のせいで滅んだ?
その考えが意識を突き刺す。
心が反発する。
潜在意識が叫んだ――
そんなの馬鹿げてる。
狂ってる。
汚い嘘だ。
ナギの目に、断片的な光景がちらついた。
地球での記憶が蘇る。
何度も見たもの――アニメ、マンガ、ゲーム。
いつも人間が讃えられていた。
ファンタジーの本では、いつも人間が頂点に立つ。
「運命の英雄」
「選ばれし者」
「救世主」
エルフ、ドラゴン、悪魔――
彼らは脇役。
せいぜい、敵として現れ、
人間が倒すべき存在でしかなかった。
ナギは学生時代、夜通しそんな物語を読み漁った。
そして嫌悪した。
汚らしい、卑小な存在が――
ただ作者が人間だからという理由で、
巨人に祭り上げられることを。
「くそくらえの人間中心主義……」
あの頃のナギはそう思っていた。
そして今、この世界で――
その記憶が毒の傷のように蘇った。
「人間……最下等の種族……」
彼は吐き出すように呟く。
鋭い痛みがこめかみを切り裂いた。
体が震え、膝から崩れ落ちる。
目が潤み、息が乱れた。
自分が生涯軽蔑してきた者たちが――
ここでもまた、
自分が心の底で高貴だと感じていたエルフたちに手をかけた。
その不条理な現実に、耐えられなかった。
そして彼は思い出す。
人間に壊された「非人間」の姿を。
獣人。
悪魔。
エルフ。
貴族の遊び道具にされ、
物語の「美しさ」のためだけに存在した者たち。
彼らの叫び。
苦しみ。
屈辱。
それらは果てしない痛みの塊となり、
ナギの胸に絡みついた。
地球での記憶が蘇る。
神でさえ神ではなく、
人間の手に操られるだけの物語。
すべての死。
すべての苦しみ。
人間の自己陶酔のための舞台装置に過ぎなかった。
ナギは見た。
何千もの使い古された物語。
何千もの繰り返されるプロット。
強い人間がすべてを打ち倒す。
他者の痛みはただの背景音。
人間という種の偉大さを彩る――
安っぽい飾り。
そして今……それが現実の世界で繰り返された。
同じパターン。
同じ法則。
ただ、ページやスクリーンの中ではない。
生きて、息をする存在たちがそこにいた。
ナギがようやく知り始めたエルフたち――
彼らの人生は、人間によって壊された。
自分たちを頂点だと信じる人間たちによって。
ナギの内側は燃えていた。
人間への憎しみ。
物語の作者への軽蔑。
そして、愚かなルールに抗えず壊された「非人間」たちへの痛み。
彼は一瞬で見た気がした。
何百年もの苦しみを。
一つの物語に凝縮された、終わりなき悲嘆を。
そして今――それが再び起きた。
ナギは顔を上げた。
目は燃えていた。
だが、顔は冷たく、何も感じていないかのようだった。
すべての感情――痛み、怒り、憎しみ。
それらを内に押し込み、氷の拳に変えた。
外の世界にはほとんど伝わらない。
ぎゅっと握り潰された、ただの拳に。
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