111 狩人ではなく、獲物
風が稜線で猛烈に唸った。
鉱山の穴から煙が立ち上る。
その煙をちぎり、霧と混ぜ合わせる。
空気が震えた。
低く、獰猛な咆哮。
それは地の底から響いてきた。
カイレルは動かず立っていた。
マントが風にバタバタと叩かれる。
彼は振り返らない。
黒い鉱山の口をじっと見つめるだけ。
「最後の瞬間、面白い考えが浮かんだ」
彼の声は思索にふけるよう。
ほとんど気楽に響いた。
煙の中から蠢く影。
徐々に姿を現し始める。
「この化け物を、そいつらの『昼飯』ごと葬っちまえばよかったかな?」
一発ドカンとやれば、問題なし。
山が勝手に墓石になってくれるさ。
彼はようやく首を振り返らせた。
赤い瞳が仲間たちの顔を滑る。
その視線には懇願じゃない。
頭の体操のような遊び心が宿っていた。
「でもさ、ギルドで誰が信じる?」
『物証』なしでさ。
彼は悪臭漂う袋に顎をしゃくった。
そこには残骸が詰まっていた。
「この、なんちゃって綺麗に仕上げた骨董品なしじゃ?」
俺たちの言葉は、そりゃ『法』だよ。
だけど、アダマンタイト級だって、報告書には……
視覚教材が欲しいってわけさ。
煙の中から最初の怪物が飛び出した。
巨大な盲目のミミズとムカデの混成。
白く剥がれそうな皮膚。
数十本の粘つく円錐形の足。
頭には触手が冠のように蠢く。
獲物を求めて無秩序に動く。
続いて二匹目、三匹目。
ヒューヒューという音。
耳をつんざく不協和音に溶け合う。
「おっと、今回の舞台の主役登場だな」
カイレルの声が響く。
「見た目は……誰かにとっちゃ『食えそう』か?」
彼は続けた。
まるで怪物なんて目に入らないように。
斜面を猛スピードで突っ込んでくる敵。
無視するかのように平然と。
「それにさ——」
彼の声は落ち着いている。
「最上位ランクの俺たちでも、成長の余地はある」
ちょっと低品質な経験だって。
経験は経験。
「無駄にする手はないよな」
その瞬間、轟音が響いた。
鉱山の奥からの音。
金属的な軋みに変わる。
坑道の天井が崩落。
入口は永遠に封じられた。
だが、もう遅い。
外には十数匹の怪物。
光に眩んで一瞬、動きが止まる。
だが、生き物の匂いを嗅ぎつけた。
すぐさま襲いかかってきた。
「ま、いいか」
カイレルは軽く、
芝居がかった悲しみを込めて、ため息をつく。
「ルール通りにやるって決めたんだし……」
彼は言葉を最後まで言わなかった。
ただ、アイレラをチラリと見た。
──それだけで、十分だった。
「《援護》」
「《移動制限》」
「《ゴミ掃除》」
アイレラの声は無機質で、
まるで自分自身に命令するように、キッパリと言い放つ。
彼女の指が宙を舞い、ルーンが空中に光る。
──ズドォン!
突進してくる怪物たちの前の地面がうねり、
岩石から影のバリアが飛び出した!
即席の闘技場の完成だ。
次の瞬間、
別の呪文が発動する。
青灰色の靄が怪物たちを包み込み──
その動きは一瞬で重くなった。
濃厚な蜂蜜の中を走るように、鈍く。
「完璧だ」
カイレルが呟く。
「まるで瓶に詰めた虫だな」
「さて、──解剖の時間だ」
その言葉と同時に、
ブラリックは前に飛び出していた!
彼の剣が低い唸りを上げ、空を切り裂く。
リアナリスは影に溶け込み──
死角からの一撃を狙う。
ミライでさえ、リュートを戦闘用ダガーに持ち替えた。
顔は青ざめているが、その目は決意に満ちている。
カイレルはただ腕を組んで見つめる。
その赤い瞳は冷たく、すべての動きを分析していた。
──怪物たちの弱点、本能、一つ一つを。
「関節を狙え」
彼の声は、授業の講義のように大きく、はっきりと響き渡る。
「そこが弱い」
「動きを奪え」
「リアナリス、触手を狙え──
あれが動きを操ってる」
「ブラリック、タランのように働け」
「前線をぶち壊せ」
風の唸りが、岩の稜線を切り裂く。
そこに、新たな音色が重なる。
怪物たちの怒号。
剣の刃が空を切る音。
甲殻が砕ける、パキッ、という鋭い音。
そして──絞り出すような命令の声。
カイレルには、怪物の頭上に『レベル』など見えない。
彼が見ているのは、別のものだ。
──動きの癖。
──甲殻の輝き。
──反応の速さ。
まるで盤上を見据える達人の如く、
戦場を十手先まで見通している。
「目は見えない!」
彼の声は大きく、明瞭だ。動揺は微塵もない。
「だが、生き物の匂いを遠くから嗅ぎつける!」
「群れで統率を取る……だが、攻撃はバラバラだ!」
「分断しろ!」
彼の指揮は、魔法のインターフェースへ向けたものではない。
──生きている、戦う者たちへ、直接だ。
「アイレラ!」
「炎の輪を!」
叫ぶ声が響く。
「奴らの動きを封じろ!」
「こいつらは湿気と闇が好きだ──」
「熱と光を浴びせてやれ!」
副官は無言で手を振り上げる。
現れたのは、レベル付きの炎の壁なんかじゃない。
岩陰から湧き上がる、紫がかった不自然な炎の海が、
群れの後尾を、がっちりと本体から切り離した!
「ヒューッ……!」
怪物たちは熱に怯え、耳障りな声を上げて後ずさる。
炎は、ゆらゆらと、その動きを拒んだ。
「ブラリック!」
「中央だ!」
カイレルの声が轟く。
「お前の鎧なら、奴らの爪を耐えられる!」
「攻撃を引きつけろ──」
「囲まれるな、よしな!」
戦士は、すでに動いていた。
粘つく黒い血の飛沫を浴び、
咆哮を上げながら、群れのど真ん中へ突撃!
重い剣は斬らない。
──砕き、折り、鈍い衝撃で圧倒的な力を見せつける。
彼は『タンク』なんかじゃない。
──生きた要塞、そのものだ。
「リアナリス!」
「関節と目を狙え!」
指示は続く。
「速いが、動きは雑だ!」
「殺すな、動きを奪え!」
「毒を持ってるかもしれんぞ!」
エルフの彼女は、緑の影のように舞う。
刃にオーラは光っていない。
ただ、外科医のような精密さで──
甲殻の隙間に突き刺さり、腱を切り、飛び出した目を潰す。
彼女は『耐性パーセント』なんか見ていない。
──解剖学を、知っていた。
「ミライ!」
「戦いの曲を!」
カイレルは振り向く。
「奴らのキーキー声に、心を乱されるな!」
「エリサ、準備しろ──」
「あの粘液、毒かもしれない!」
リュートの音色が、鋭くリズミカルに響き渡る。
怪物たちの狂った鳴き声を、掻き消した。
そしてエリサは──
すでに信仰のシンボルを掲げている。
ほのかな金色の輝きが、彼女を包む。
それは『バフ』なんかじゃない。
──必要に備えた、癒しの魔術の集中。
カイレルは観察していた。
──長年の、本物の戦いで鍛え上げられた脳が、
ゲームなんかではなく、現実の戦場を解析する。
「ただの獣にしては、統率が取れすぎている」
「誰かの意志が、働いているな」
彼の呟きは、冷徹な分析のようだ。
「打撃への耐性は高い……が、斬撃には脆い」
「甲殻は頑丈だが、壊れやすい」
「炎と光を恐れる──
つまり、深い洞窟の住人だ」
そして、結論。
「脅威レベル……熟練の傭兵団程度」
「せいぜい、そのくらいだ」
「遊びは終わりだ!」
グループが敵の力量を見極めたのを見て、彼は叫ぶ。
「アイレラ!」
「戦場を一掃しろ!」
彼女は『ファイアスフィアV』なんて唱えない。
ただ、両手に──純粋な破壊のエネルギーを凝縮し、
残った怪物たちのど真ん中へ、解き放った!
─────────
目が眩むような閃光。
そして、熱波が襲う。
煙が晴れたとき、
岩の上には、焦げた残骸が燻っているだけだった。
カイレルはゆっくりと、
戦場の周囲を歩きながら、残骸に視線を滑らせる。
「思ったより、強い」
「だが所詮、虫だ」
彼の声には、疑念がにじむ。
「ギルドは契約のランクを水増ししたか……」
「それとも──」
「依頼主が、わざと敵の強さを偽ったか」
カイレルは、ゆっくりと仲間たちの方を振り返った。
「……見事だ」
「完璧で、プロの仕事だ」
一瞬の間を置き、
燻る死骸に軽く顎をしゃくる。
「奴らの死の証拠は……」
「これでバッチリだ」
その口調は、静かだが確信に満ちている。
「あとは──」
彼の目が、わずかに細くなる。
「誰が、こんな目撃者を始末したくて」
「俺たちを……この化け物どもの餌食にしようとしたのか」
そして、最後に言葉を重ねる。
「それと──」
「こんなつまらない雑事に」
「時間を浪費させそうになった」
「理由を、突き止めるだけだな」
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