99 深淵に挑む刃
闇の渦が、裂けた――。
目の前で、獣が咆哮を上げる。
戦馬ほどの大きさ、
赤く輝く目、
そして、人間の身長よりも広い大口。
深淵の殺戮狼だ。
筋肉は弓弦のように張り、
棘の生えた足は、下の岩を砕く。
背中の棘は動くたび、
金属の雨のような音を響かせる。
――――
【レベル:43】
【状態:重傷】
【再生:遅いが、進行中】
――――
ナギは、足に体重を乗せた感覚を確かめた。
痛みはある。
だが、体は言うことを聞く。
一歩、踏み出す――。
落ち着いた、
急がない、
確かな一歩。
「……さあ、かかってこい、でっかいガキ。」
マスクが顔を隠していたが、
片目には揺るぎない決意が燃えていた。
牙も爪も砕けない、
冷たい決意だ。
獣が飛びかかる。
闇の力が胸を打つ。
だが、ナギの刀はすでに空を裂いていた。
金属の音が、静寂を引き裂く。
モンスターの筋肉一つ一つ、
アドレナリンのほとばしり――
すべてが見えた。
獣は、地面に口をつける間もなく、
刃がその身を貫く。
咆哮が、掠れた叫びに変わる。
そして、鈍い音を立てて倒れ伏した。
ナギは微動だにしなかった。
刀から、黒い血が滴る。
「まだ一匹……
また一匹……
でも、これは始まりにすぎねえ。」
心の中で、呟いた。
闇が、蠢き始めた。
新たな影が、
ますます醜悪で獰猛な姿で、深淵から飛び出してくる。
岩を裂く爪を持つ、熊のような怪物。
棘だらけの口を持つ、狼に似た捕食者。
そして――
言葉では形容しきれぬ存在。
皮と歯と骨が、溶け合った、ひとつの怪物。
ナギは、そいつらの奔流に踏み込んだ。
一振りごとに、刀は雷のように肉と骨を切り裂く。
闇が、衝撃で炸裂し、塵と血が舞い上がる。
マスクに映る光景は、ただの敵じゃない。
彼の手で縛られた、深淵そのものだった。
最初の数撃は、電光石火――寸分の狂いもない。
だが、怪物たちの波が果てしなく見えたとき、
ナギは笑った。
低く、
ほとんど獣のような笑い。
刀の下に倒れる体が、
焼けつくような快感をもたらした。
ただの殺戮じゃない。
深淵そのものの本質を、破壊する快感だ。
ナギは、感じていた。
自分が流した血が地面に染み込み、
モンスターの力が筋肉に、
細胞の一つ一つに流れ込むのを。
痛みは、まだそこにあった。
だが、今、それは彼を燃やした。
動きは軽く、力強く、
ますます鋭くなる。
闇が叫び、
新たな姿を次々と投げかけてくる。
だが、ナギの刀は、
まるで神の如き優雅さで動いた。
振り、突き、回転――。
恐ろしい怪物たちは、
瞬く間に瓦礫の山と化した。
かつて、深淵そのものだったはずのものが。
斬り続けるほど、
闇は生きているように感じられた。
彼の刃に反応し、
まるで狩人に屈した獣のようだった。
ナギは、さらに深く踏み込む。
モンスターの死体を滑るように進み、
マスクの下で、笑みを隠していた――。
狂おしく冷たい、
深淵すら震える微笑みを。
「これが……始まりにすぎねえ……」
ナギは息を吐き、
新たな怪物の奔流に飛び込んだ。
一振り、一撃ごとに――
快感、支配、破壊がほとばしる。
刀は闇を何度も切り裂き、
そのたびにナギは感じた。
自分が、
闇の一部になりつつあることを。
だが、決して屈しない一部だ。
日々が、一つに溶け合い、
終わりのない輪になった。
ナギは斬り、戦い、
死体の山を越え進んだ。
骨を踏まずには歩けないほどだった。
毎日、新たな怪物の波が押し寄せたが、
刀の一振りごとに、その数は減っていった。
闇は、彼を飲み込もうとした。
だが、ナギは揺らがなかった。
二日後、ようやく立ち止まる。
周囲は、死体の海。
巨大な山と化した死体は、
まるで深淵そのものが退却したかのようだった。
ナギは、その死体の頂に腰を下ろした。
刀は、
樹脂のように粘つく、暗い血で覆われていた。
ナギは、ゆっくりと刀を、
倒した魔物の皮に滑らせて血を拭った。
刃に映る光は、
疲労、痛み、怒りを映し出す。
思考が、素早く駆け巡る。
「あと何日、こんな日が続くんだ……?」
「この闇……
俺は一歩ずつ、喰らい尽くしてる……」
「ユウジ……
お前、どこか空の上で見ててくれよな……」
作業を終え、彼はマスクを外した。
黒い金属のマスク。
縁は不揃いで、歪んでいる。
その下の顔は、
まるで獣のようだった。
歪んだ輪郭。
空っぽの眼窩に、影がちらつく。
口の周りには、
獲物を引き裂く獣の口のような、幾つものひび割れ。
クリスタルの、薄暗い光の中。
マスクは、
冷たく微笑んでいるように見えた。
凍てつくような笑み。
それはナギをじっと見つめているのか――
それとも、狂気がそう思わせるだけなのか。
ナギは、考え込んだ。
「これが……
俺は獣になったのか……
それとも、この深淵が俺になったのか?」
彼は、再びマスクを被った。
手にした刀が、
微かな光を反射して、きらめく。
ナギは、新たな試練に備え、
闇の中へ踏み出した。
一歩ごとに、力と決意のエコーが響く――。
そして、まるで深淵そのものが、
今、彼の音に耳を傾けているかのようだった。
……見てるだけか?
俺の……この《》絶望》を。
ブックマークしろ。評価しろ。
《》地獄》の果てまで……付き合え。




