第98話「奇跡を起こせる君のため」後編
Tレックス、最後のバッターになるか?
それとも柴田の200勝と完全試合を阻止するか?
代打の切り札、藤川がバッターボックスに向かった。
その頃、医務室では痛みを堪えて、柴田がモニターを見ていた。傍には妻。
「最後は藤川か……」
「藤川さんって、アンタと同期の人やろ?」
「ああ……」
柴田はモニター越しに、打席に立つ藤川を見つめた。
……25年前。柴田が大阪レジスタンスに入団した年、藤川も東海レッドソックス(Tレックス)に入団した。
藤川は一年目から外野手のレギュラーに定着し、チャンスに強いクラッチヒッターとして、その年の新人王を獲得した。
その後もコンスタントに試合に出続け、五年前に2000本安打を達成したが、それ以降は代打起用が主な仕事場に変わった。
藤川の主だったタイトルは新人王のみ。打者の名誉である2000本安打を放ったが、年齢を理由に球団は引退を勧告した。
しかし、藤川は引退を受け入れなかった。「俺まだやれる」という意地から、代打で結果を出し続け、今日まで生き残ってきた。
グラウンドでは藤川は右打席に入ると、大きく息を吐き出していた。
(柴田とは同期入団。妙にウマがあい、ふたりで切磋琢磨し、ここまでやってきた。柴田の200勝は達成させてやりたい……だが、それ以上に俺はこの場所を失いたくない。ここで同点打を打たなければ、俺がチームにいる価値はない)
藤川はバットを握りしめると、マウンドのネネを睨んだ。
(柴田……悪いな。お前の200勝を祝ってやれなくて……勝つのは俺だ!)
球場内は「あとひとり」の手拍子で盛り上がる。
藤川のベテランとしての意地の圧がネネを襲うが、ネネはその圧を振り払うようかのように大きく振りかぶった。
(あとひとり、絶対に抑える!)
しなる右腕から弾丸のような球が放たれる。北条の要求通り、外角低めに糸を引くようなストレートだ。
ガキン!
藤川はストレートを強振、打球がバックネットに突き刺さる。一球目はファールだ。
(やはりこの人、ストレートに強いな……)
北条は藤川を改めて警戒する。
(女のくせに何て球だ……)
一方で、藤川はネネのストレートの威力に驚いていた。前回対戦時とは雲泥の差の球威だったからだ。
二球目、ネネのストレートが今度は内角高めを襲う。
ガキン!
打球は再びバックネットを直撃する。スピードガンは142キロを計測。
(よし、タイミングは合ってる……このスイングで問題ない)
藤川は速いストレートへの基本対応「イチ、ニ、サン、で振り抜く」バッティングを頭の中で反芻した。
ツーストライクに追い込んだネネは北条からボールを受け取ると、サインを確認した。
(柴田さんの200勝は必ず達成させる!)
「あと一球」の手拍子に背を押され、ネネは大きく振りかぶった。
バッターボックスの藤川は頭の中で、ストレートのタイミングを図っていた。
(来いよ……前と同じようにスタンドに叩き込んでやる……)
ネネの右腕がしなり、ボールを放つのが見えた。藤川は内角のストレートを読んで、踏み込んだ。しかし……。
予想に反して、ボールは藤川の肩に向かって飛んできた。
(う、うわ!)
ストレートが抜けたと思い、藤川が避けようとした瞬間、スピンがかかったボールは鋭く弧を描いて急降下を始めた。
(し……しまった……! コイツにはストレートだけじゃない。変化球があった!)
ネネが投じたのはライジングストレートではなく、ウイニングショット「懸河のドロップ」だった。
ボールは藤川の肩口からストライクゾーンに落ちてくる。
(見逃せば三振、ゲームセットだ……!)
藤川は執念でバットを出した。
ガン!
藤川が出したバットにボールが当たったが、当たり損ないで一塁線側にボールが転がった。フェアだ。藤川は一塁に向かい猛ダッシュをする。
ボールはピッチャーとファーストの中途半端な位置に転がっている。内野安打も考えられる打球だ。
「オーライ!」
ファーストの黒田がダッシュしてボールを捕りにいくが、その横を藤川が全力で一塁に走っていく。
「黒田さん!」
ネネが藤川に並走しながら手を上げた。
「ネネ!」
黒田はネネにボールをトス。ネネはボールを素手でキャッチすると、藤川を追いかけてファーストまで全力疾走した。ネネと藤川の競争だ。
ネネはグングンと加速し、藤川の背中に追いつく。
「う……うおおおお!」
藤川は一塁にヘッドスライディングを仕掛ける。しかし、それより早くネネは藤川の背中にタッチした。
藤川は一塁ベースに倒れ込み、ネネは勢い余って、一塁ベース横をゴロゴロと転がった。
観客たちは固唾を呑んでネネを見つめた。
ネネはグラウンドに横たわっている。藤川にタッチをしているが、もしボールを離していたらセーフだ。
しばしの沈黙の後、倒れていたネネが右手を高々と上げた。
その手にはボールがしっかりと握られていた。
「アウトォ!」
一塁塁審の手が上がる。スリーアウト、ゲームセットだ。
「や、やったあ──!」
アウトのコールを聞いたネネは飛び上がって喜び、藤川は一塁ベースを叩き悔しがった。観客席やベンチからも大歓声が上がった。
柴田→ネネのリレーで完全試合。そして、柴田は勝ち星がつき、ピッチャーの勲章である200勝を達成した。
オーロラビジョンに『柴田投手、200勝おめでとう』の文字が浮かび上がり「お姉ちゃん、お姉ちゃん! ネネちゃんが抑えたよ! お父さんに勝ち星が付いたよ!」と優香が美優に抱きついた。
「羽柴さん……」
美優は両手で口を押さえると、感極まって再び涙を流した。
(ありがとう、ありがとう……羽柴さん……)
「ネネちゃん、サイコ──!」
ベンチに戻るネネに優香が声をかけると、ネネは照れ笑いをした。優香の隣では美優が頭を下げている。ネネは持っていたボールをスタンドに掲げた。
「美優ちゃん、優香ちゃん、お父さんの200勝のボールだよ!」
ネネがニッコリと笑うと「羽柴さん……ありがとう……」と美優が笑顔で呟いて、ネネに頭を下げた。
「ネネ──!」
「よくやった、完全リレーだ!」
ベンチに戻ってきたネネを由紀や皆が笑顔で出迎えた。
「監督! 柴田さんはまだ治療中ですか? 早くこのボールを渡してあげたいです!」
ネネが今川監督に話しかける。
「あ、ああ……そうだな」
「柴田は大事を取って病院に行った。このボールは私が渡しておこう」
そこに松井トレーナーが現れた。
「そうなんですか? じゃあ……」
ネネは松井にボールを手渡した。
「羽柴、俺からも礼を言う。本当にありがとう」
ボールを受け取った松井は深々と頭を下げた。
「え? あはは……全然いいですよ。それよりも松井さん、柴田さんは大丈夫なんですか?」
松井は先程の柴田の姿を思い出していた。
柴田はネネが藤川をアウトにするのを見届けた後、救急車で病院に向かった。
もう、柴田がここに戻ることはない。だが、今のネネにそのことは告げられない。いや、告げてはならない……。
「ああ、大丈夫だよ」
松井が微笑むのを見て、ネネはホッとした顔を見せた。
「放送席、放送席、聞こえますか──?」
ドームではヒーローインタビューが始まろうとしていた。本来であれば200勝を挙げた柴田が選ばれるところだが、柴田がいないため、勝利打点を上げた勇次郎とセーブを上げたネネがお立ち台に選ばれた。
まずは勇次郎がお立ち台に上がり、続いてネネが向かうことになった。ネネがベンチを出ようとすると、松井がネネに声をかけた。
「羽柴!」
ネネは振り返った。
「柴田から伝言がある……」
「何ですか?」
松井は大きく息を吸った。
「『野球……好きか?』って言ってたぞ!」
「はい! 私、野球が大好きです!」
ネネはニッコリ笑うと、お立ち台に向かった。
松井はお立ち台に向かうネネの背中を見つめながら、柴田の伝言を思い出していた。
『自分の引退は明日にでも発表されるが、その時、ネネは悲しむかもしれない。だからせめて今日だけは幸せな空間にいてほしい。そして、これからも野球を好きでいてほしい』
それが柴田の最後の願いだった。
「羽柴、よくやったで──!」
観客席からネネに声援が飛ぶ。松井はお立ち台に立つネネを見て涙を拭った。
ネネは笑顔で観客席に手を振っていた。
これにて、第四章「ペナントレース開幕編」完、となります。最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
第五章は「先発転向編」になります。
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