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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第4章 ペナントレース開幕編
92/207

第92話「サヨナラの向こう側」後編

 ホームベース上で、逆転サヨナラツーランを打った藤川がナインに揉みくちゃにされている。

 そんな姿を横目に、ネネは帽子を深く被り三塁ベンチに戻った。


「ざまあみさらせ! バカ女!」

「プロの厳しさを思い知れ!」

「お前みたいな女がプロでやれるわけないんだよ! 引退しろ!」

 容赦ない罵声や嘲笑がネネに飛んだが、ネネはその声に抗う気力もなく、よろよろとベンチまで戻っていった。


 そんな失意のネネを真っ先に出迎えたのは今川監督だった。

「よく投げた、お疲れさん。身体のケアだけはしておけよ」

 ネネは今川監督を恐る恐る見上げた。ネネの目は真っ赤だった。

「お、怒らないんですか?」

「あん?」

「わ、私のせいで負けたんですよ……私のせいで……」

「バカ言うな、負けたのはお前だけのせいじゃね─よ」

 今川監督はネネの頭をポンと叩いた。

「次、頑張れや」


「ネネ、大丈夫? 気にしないでね」

 毛利が駆け寄ってくる。

「誰もが経験することだ。切り替えろよ」

 無口な斎藤も慰めの言葉をかけてくれる。

「ネネ、気にすんな。次、頑張ればいい」

 明智や蜂須賀、黒田もだ。誰もネネを責める者はいない。

 ネネは、悔しさ、悲しさ、やるせなさ……様々な感情が湧き上がるのを感じた。


「ネネ……」

 由紀がネネに声をかけた。

「お疲れ、ネネ、さ、アイシングしよ」

 ネネは由紀の姿を見てほっとした。まぶたの裏が熱くなる。その時だった──。


「……藤川さん、同期の柴田投手の200勝を打ち砕く一撃でしたね」

「はい、柴田投手には申し訳ないことをしましたが、コレも勝負ですから……」


 不意にヒーローインタビューを受ける藤川の声が耳に飛び込んできて、ネネはその場に立ちすくんだ。

(そ、そうだ……柴田さんの200勝……ただ負けただけじゃない。私が……私が柴田さんの200勝を台無しにした……)

 ネネはその時、自分が取り返しのつかない失敗をしたことに気付かされた。


「ネネ……さ、行こ……」

 由紀がネネに手を差し出した。しかし、ネネはその手をパン! と振り払った。

「ね、ネネ……?」

 由紀は驚いてネネを見た。ネネの顔は真っ青だった。そして次の瞬間、ネネは帽子で顔を隠して、ベンチから通路に向かって走っていった。


 カンカンカン!

 スパイクの刃の音が通路に響く、走る勢いで帽子が落ちた。ドーム関係者が、何事か? という顔でネネを見た。

 背後から「ネネ!」と、自分を呼ぶ由紀の声が聞こえたが、ネネは振り返らず女子更衣室まで一気に走った。


 ドーム職員専用の女性更衣室に入るとドアのカギを閉めた。呼吸は荒く、視界が歪む。

(サヨナラ負け……それも、柴田さんの200勝を台無しにするサヨナラ負け……)

 目に涙がたまるのが分かった。

(泣くな……泣くな……泣いちゃダメだ……プロになるとき、もう絶対に泣かないって決めたじゃないか……)

 ネネは目を閉じて、歯を食いしばり泣くのを耐えた。ここで泣いたら、二度とプロの世界でやっていけないと思ったからだ。

 だが、閉じたまぶたの裏に柴田の笑顔が浮かんだ。

(私が……私がすべてを台無しにした。柴田さんの200勝を帳消にした……あと……あと、たったワンアウトだったのに……)


 ネネの口から「あ……」と声が漏れた。

 その声がきっかけだった。ダムが決壊するように、目から涙がこぼれ落ちた。

「あ、あ、あ……」

 ネネはドアの扉に両手を付くと、その場に崩れ落ちた。

「あ……ああ……わあああああ!」

 誰もいない真っ暗なロッカールームにネネの泣き声が響き渡った。


「ネネ! ネネ! 開けて!」

 ネネがベンチから飛び出して数十分後、女子更衣室の前で由紀がドアを叩いていた。周りには人が集まっている。


「どうしたんだ?」

 そこに、ひょっこり今川監督が現れた。

「あ……監督……ネネが更衣室に閉じこもって、出てこないんです!」

 由紀が不安そうに助けを求める。

「ああ?」

 今川監督が、トントンとドアをノックする。

「お─い、何やってんだ? 早く出てこないと、バスが出ちゃうぞ──」

 だが、中から返事はない。

「ど、どうしよう……」

「まあ仕方ないわな。サヨナラホームラン打たれて、更に柴田さんの200勝も台無しにして……それで、落ち込まないやつはいないよ」

 あまりにサラッと言うので、由紀が今川監督をキッと睨んだ。

「しかし、これがプロ野球の厳しさだ。そして、これがヤツにとって……」

「つ……通過儀礼って言うんでしょ! い、いい加減にしてよ──!」

 由紀は今川監督の首を絞めた。

「く、苦しい……落ち着け……浅井……」

「一体、どれだけネネを苦しめれば気がすむのよ──!」


「な、何やってるんですか?」

 そこに柴田が現れた。

「し、柴田さん! ネネが閉じこもって出てこないんです!」

 由紀は今川監督から手を離して、柴田に訴えた。


「ネネが……?」

 柴田はドアの前に立つと、ドアをトントンとノックした。

「ネネ、そこにいるのか?」

 返事はない。柴田はもう一度ドアを叩いた。

「俺だ、柴田だ。話がある。開けてくれ」

 すると、しばらく経ってカチャリとカギが開く音がした。


 ドアを開くと、そこにはネネが立っていた。顔には正気がなく、目は真っ赤に腫れていて涙の跡が見えた。

「ね、ネネ……!」

 駆け寄ろうとする由紀を柴田が止めた。

「……ふたりきりで話をさせてくれ」

 そして、柴田は更衣室に入った。


 部屋に入ると柴田は電気のスイッチを付けた。ネネはユニフォーム姿のまま無言で立ちすくんでいた。

「どうした、どうした? こんな真っ暗な所に閉じこもって?」

 柴田が笑いながら話しかけるが、ネネはずっと突っ立っている。

「座らせてもらうぞ。腰が痛くてたまらん」

 柴田が笑みを浮かべ、パイプイスに座った。ネネは両手を握りしめてうつむいていたが、ようやく言葉を発した。


「ご、ゴメンなさい……」

 かすれた声で言葉を絞り出した。

「わ、私のせいで、柴田さんの勝ち星が……200勝を台無しにしてしまって……」

 ネネの目から、また涙がこぼれる。


「わっはっはっ!」

 すると、突然柴田が笑い声を上げたので、ネネは「え?」という顔で柴田を見た。

「何だ何だ、お前、そんなこと気にしてたのか?」

 柴田は笑いながらネネを見た。ネネは呆気に取られた顔をしている。

「お前なあ……負けるたびにペコペコ謝っていたら、抑えなんてできないぞ。今日はダメだったから、次、頑張ろう! これくらいの気持ちでいいんだよ」

「で、でも……」

「なあネネ、前も言ったよな。負けて負けて、プロのピッチャーは成長していくって……今日がお前にとって、たまたまそういう日だったんだよ」

 柴田の言葉を聞いたネネは涙をゴシゴシと拭った。

「それに、一度負けてみろ、ってき付けたのは俺だしな」

 柴田はニヤッと笑う。

「そ、それは……」

「とにかくだ! 抑えなんてのは、こういうもんだ。ピッチャーに勝ち星を付けてやる日もあれば、消してしまう日もある。だから仕方ないんだよ。俺だって何回抑えを失敗したか分からない。それとな……今日のことが悔しかったら、配球、ピッチング、自身の体調やメンタル……すべてを見直して、次への糧にしろ」

「柴田さん……」

「俺を見くびるなよ、まだまだチャンスはある。200勝は誰の力も借りずに、完投で決めてみせるぜ!」

 柴田は右腕を叩いて笑った。ネネはその姿を見て、少し救われた気がした。

「さあ、それじゃあ外に出るか。皆、お前の心配をしてるぜ」


 ネネが再びドアを開けると、そこには由紀や今川監督たちがいた。

「ネネ……」

 由紀が心配そうな顔で見ている。ネネはさっき由紀の手を振り払ってしまったから、気まずくてうつむいた。

 だが、由紀は何事もなかったかのように笑顔で話しかけてきた。


「さ、ネネ、アイシングするよ。身体のケアもプロの仕事なんだから」

 由紀の笑顔を見たネネの目にまた涙が浮かんだ。

「ゆ、由紀さん……さ、さっきはゴメンなさい……」

「全然いいよ。ネネ、今日はお疲れ様」

 由紀はネネをそっと抱きしめ、背中をポンポンと叩いた。


 ネネは涙が溢れるのを必死に我慢して由紀にしがみついた。


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