第90話「ジェラシーを眠らせて」
対キングダム戦で記念すべき初セーブをあげたネネは、その後、行われた横浜メッツ戦にもクローザーとして登板し、セーブをふたつ挙げた。
その結果、ここまでの成績は1勝3セーブ。今だに負けはなく、しかも自責点は0、防御率は0.00、とルーキーらしからぬ成績を残している。
そして、四月も終わりに近づき、世間はGWに入るが、連休中もプロ野球は強行日程は続く。特にレジスタンスは4月26日の金曜日から敵地で怒涛の9連戦の日程が組まれている。
まず敵地でTレックス、神宮ファルコンズ、広島エンゼルスと9連戦。それからホームに戻ると今度は横浜メッツと3連戦、という過酷な日程だ。
25日の正午、レジスタンスナインは新幹線で名古屋に向かうため、新大阪駅に集まっていた。
レジスタンスナインを見たファンの人たちがエールを送る。
「頼むで! レジスタンス! 今年こそ優勝や!」
現在、セリーグの順位は上から、東京キングダム、大阪レジスタンス、神宮ファルコンズ、広島エンゼルス、横浜メッツ、東海レッドソックス、という順になっているが、首位から五位までは3ゲーム差と拮抗している。
その中で唯一低迷しているのが、名古屋に本拠地を置く、東海レッドソックス、通称「Tレックス」で、最下位を独走していた。
「おっ! あのスーツ着た背が別嬪さんが、羽柴寧々か?」
「ちゃうちゃう、あれは羽柴寧々のマネージャーの浅井はんや、羽柴はその後ろを歩いとるで」
「おお、アレか? でも何か元気なさそうやな」
移動の最中、ファンたちの声が聞こえてきたので、由紀は後ろを振り返った。
ネネがスーツケースを持って歩いているが、確かに少し元気がないように見えた。
名古屋行きの新幹線に乗り込むと、ネネはすぐに寝息を立てて眠りについた。
隣に座る由紀は、ネネが精神的にも肉体的にも、疲れがピークのように思えた。
(無理もない。だってネネはつい半年前まではプロ野球とは何の縁もない、ただの女子高生だったのだ)
由紀は眠るネネの横顔を見つめた。
ネネは二月の春季キャンプから、まともな休みもなく、屈強な男だらけのプロ野球の世界で全力で走り続けている。
それに加え、四月半ばからはクローザーに指名された。クローザーという役割は経験豊富な男性プロ野球選手でも悲鳴をあげるほど過酷なポジションだ。実績や経験が乏しいネネには更に過酷な役割であることには間違いない。
由紀は安らかな寝息を立てるネネを見て胸が痛んだ。
大阪から名古屋までの移動時間は短い。一時間弱で名古屋に着いた。名古屋はネネや勇次郎の故郷だ。
名古屋駅からバスで市内のホテルに移動して、簡単なミーティングを行なうと自由時間になった。
ネネは部屋に入ったあと、ホテルに隣接するコンビニに行こうと、ホテルのロビー階にやって来た。
すると、ロビーには勇次郎がいた。そして、勇次郎と並んで長身でスレンダーな女性の姿が立っているのが見えた。
(え……? 誰? あのキレイな人……)
ネネは思わず柱の陰に隠れた。また勇次郎と美女以外にも男女がひとりずついた。勇次郎を含め四人グループだった。
(どういう関係だろう? 地元の友達かな?)
柱の影からコソコソ見てると、四人はホテルの玄関を出て、そのままタクシーに乗って出掛けて行ってしまった。その時だ──。
「何やってんだ? ネネ」
急に後ろから声をかけられ、ネネはびっくりして飛び上がった。
そこには、明日先発予定の柴田が立っていた。
柴田は今年43歳でレジスタンスのエース。レジスタンス一筋のベテラン選手だが、今年で何と25年目のチーム最年長。あの今川監督より年上だ。
温厚な性格で投手陣をまとめるリーダー、今季は1勝1敗の成績。通算勝利数は199勝で、明日勝てば投手の栄冠200勝を達成する。
ふたりはホテル内に併設されたチェーン店の喫茶店に入った。
柴田の前にはコーヒー、ネネの前にはクリームソーダが置かれた。
「へえ……あの勇次郎が女性と密会ねえ」
柴田はコーヒーを飲みながら口を開く。
「そうなんですよ。だから、私、驚いちゃって……」
ネネはクリームソーダの上のソフトクリームを食べている。
「ネネ的にはショックだな、勇次郎を奪られて」
柴田が笑みを浮かべる。
「え? え──! 全然! 逆にあの無神経な鈍感男に相手がいて、嬉しいくらいですよ!」
ネネはクリームソーダをストローで飲みながら笑う。しかし、先程の光景が頭をよぎると、なぜか胸の奥がモヤモヤした。
別に注文したシロノワールというアイスが乗ったデニッシュパンが届くと、ネネはそれを口に運んだ。
「あ、柴田さんも良かったら食べてください」
「はは、俺はいいよ」
柴田はシロノワールを口に運ぶネネを見て微笑んだ。
「良かったよ、ネネに食欲が戻って」
「え?」
「お前が抑えに転向して以来、元気がないって聞いてな」
「……」
ネネは無言でおしぼりを手に取り口をふいた。
「俺も昔、抑えをやったことがあってなあ……」
柴田は苦笑いをしながら話す。
「え! 柴田さんも抑えの経験があるんですか!?」
「ああ……」
柴田は入団当初、速球派の投手だった。そのため、その球威を買われて、二十代の時、一時抑えを任されていた時期があるというのだ。
「でもまあ、俺はメンタルとコントロールがイマイチでな。結局、二年やって抑えはクビになったよ」
「そうなんですか……」
その話を聞いたネネは下を向いた。
「どうした、怖いのか? 抑えが」
「はい……」
ネネは小さく言葉を発した。
「私の失敗でチームが負けたり、誰かの勝ち星を奪うのが怖いです……」
ネネは柴田に向かい心境を吐露した。
「でも、今のところ失敗してないじゃないか」
柴田はニコニコしながら話す。
「そうですけど……私、怖いんです。いずれ大事な試合で失敗するんじゃないかと思うと……」
抑えを100パーセント成功し続ける選手などいない。必ず負ける時は訪れる。ネネはそのことをわかっている。だからこそ怖いのだ。いつか、取り返しのつかない大きな失敗をしてしまうのではないかと……。
「だったら、いい方法があるぞ、ネネ」
「な、何ですか? その方法って?」
ネネは身を乗り出した。
「一回、抑え失敗してみろ」
柴田の言葉にネネはガクッとした。
「や、や──……それは流石に……」
「はは、お前、負けた経験ないだろう? だから、怖がってるんだよ、負けることに」
柴田は笑みを浮かべている。
「ずっと勝ち続ける投手なんていない……負けて負けて、その悔しさや不甲斐なさを糧に成長してくんだ。それがプロ野球選手ってもんだ。だから負けることも必要なんだ」
そう言うと、柴田はレシートを取った。
「さてと……じゃあ、そろそろ俺は寝るわ。お前はゆっくりそのスイーツを食べてけよ」
「し、柴田さん……」
柴田はレシートを持って店から出て行った。
(負けか……確かに経験していない。てか、経験したくないよ、そんなの……)
ネネは自分がサヨナラ負けをくらうイメージをして背筋が凍った。
目の前のスイーツのアイスは溶けかかっていた。ネネはそれ以上食べれず、悶々とした気持ちのままでスイーツを見つめていた。




