第9話「明かされた真実」
11月の日曜日、入団テスト当日の天候は晴れ。気温も二十度、とこの時期にしては季節外れで暖かい。
テスト開始予定時間は午前11時で、その一時間前には、ネネを含むコーチ陣は、全員二軍練習場のグラウンドに集まっていた。
今回のテストに当たり、キャッチャーを務めるのは伊藤スカウト。審判は杉山コーチ。水間と真澄はスピードガンとタブレットを持ち、勝負を記録する役割となっている。
そして、球団関係者から織田勇次郎が新大阪駅に着いたと連絡が入った。職員が車で迎えに行っているので、約三十分後にはここに着く予定だ。
ネネは昨日の今川監督との対戦時に身体が固まり、投げれなかったことを落ち込んでいたが、杉山コーチから自分を襲った謎の寒気が、プロのバッターから発せられる無言の圧力と聞かされ、監督が伝えたかった真意を理解した。
(……そうか、あれはプロのバッターの圧力だったんだ)
また、ネネの下半身を触ったのも今川監督の趣味ではなく、ネネの筋肉を直に触ってみたかったということも聞かされた。
「それならそうと、チカンみたいに触らなくてもいいのに……」
ネネがそう言うと「じゃあ、正直に言えば触らせてあげたのか?」と伊藤が聞くので、ネネは「絶っっ……対に、嫌です!」と、ムッとした顔で答え、皆、一斉に大笑いした。
そんなリラックスムードの中、今川監督が昨日と同じ格好でグラウンドに現れた。
「よ~ネネ、調子はどうかな?」
(いきなり呼び捨てですか……馴れ馴れしいな……)
ネネはそこまで親しくないのに距離を詰めてくる今川監督の態度に拒否反応を示し「ぼちぼちです」と答えた。
「おろ? 何か冷たいじゃん? 昨日こと、まだ怒ってんの?」
「あ……当り前じゃないですか! いきなり人の太ももを触って! 私、あなたのこと野球選手としては凄いとは思いますが、男としては『最っっ低』だと思ってますから!」
「うっわ~、キツイこと言うぜ。でもまあ、それくらい気が強くないと、今日の勝負には勝てないからな」
ネネはフンといった表情でそっぽを向いた。
「頼むぜ、ネネ。お前が勝てば織田勇次郎はレジスタンスに入団する条件なんだからな」
「は?」
ネネは今川監督の思わぬ発言に驚き、他のコーチ陣は一同、言葉を失った。
「な、何よ、その条件!? 今日は私の入団テストなんじゃないの?」
「か、監督! 何でバラすんですか! そのことも余計なプレッシャーをかけまいと黙っていたのに!」
昨日に引き続き、また伊藤スカウトが怒ったが「何だ、このことも内緒だったのか? お前ら本当に秘密が大好きだな」と今川監督はどこ吹く風で笑った。
「ちょ、ちょっと待ってください! 今日の勝負ですけど、私が勝てば織田勇次郎はレジスタンスに入団するってこと!? じゃあ、私が負けたら……?」
「織田勇次郎の入団はナシ。キングダムにドラフト指名権を譲り渡す。そして、お前の入団の話も白紙だ」
今川監督はサラッと答える。
「か、監督! 何、サラッと重大発言をしてるんですか!」
伊藤は怒り、今川監督の首を絞めるが、当の本人はヘラヘラ笑っている。
ネネはあまりの事の重大性に頭が混乱してきたが、気持ちを落ち着かせて口を開いた。
「し、新聞やネットの記事だと……」
「あん?」
「レジスタンスは織田勇次郎の獲得に切り札がある、と言ってました。つまり、織田勇次郎には私との勝負に勝てば、キングダムにドラフト指名権を譲り渡す、という条件で交渉していたんですか?」
「おお、そうだよ」
今川監督は笑って答える。
(な……何よ、その条件? 圧倒的にこっちが不利な条件じゃない……)
「でも、何で……」
「ん?」
「何で私なんですか? 織田勇次郎が欲しいなら、もっと凄いピッチャーを連れてくればいいじゃないですか……」
「相手がご所望なんだよ。練習試合で三振を奪われた謎のピッチャー相手なら、この勝負を受けてもいいってな」
「……!」
ネネの脳裏に、織田勇次郎から三振を奪ったあの日の記憶が甦った。
「だ、だからと言って、無謀とは思わないの? 織田勇次郎から三振を奪ったのだってマグレかもしれない。織田勇次郎の入団を賭けた大事な勝負なんでしょ? 何でそんな大事な勝負に私なんか……」
ネネの声がどんどん小さくなる。
「私なんか何の実績もないただの女ですよ……それを何で……?」
「ここにいる伊藤はなあ!」
すると、ネネの話を遮るように、突然今川監督が大声を出した。
「頑固で有名なんだ。どんな前評判が良い選手がいても、絶対自分の目で見ないと気が済まない。その伊藤がなあ、お前の実力を認めているんだ。決して女だからと言って、男相手に引けは取らない選手だってな」
ネネは思わず伊藤スカウトを見つめた。照れているのか伊藤は目を逸らしている。
「それから、そこにいる杉山コーチや水間、真澄……全員、職人肌のタイプだから、人と触れ合うのは、あまり得意ではない」
急に名前を挙げられた三人は顔を見合わせて苦笑いした。
「俺はびっくりしたぜ。その三人がお前を囲んで談笑している姿にな。ものすごくフレンドリーな光景だった」
「……!」
「ピッチングだけじゃない。お前には人を惹きつける天性の魅力がある」
今川監督はネネの肩にポンと手を置いた。今度はネネも嫌がらない。
「俺はレジスタンスを変えたい。それには織田勇次郎。そしてお前が必要なんだ」
今川監督の言葉にネネは胸が熱くなった。野球のことで、ここまで誰かに必要とされたことは今まであっただろうか? と。
今川監督は更に熱く語りかけてくる。
「お前は女だ。正直、球団の上層部からは、お前を獲得することに反対意見もでるだろう。だが、お前が織田勇次郎に勝てば、お前の評価は一変する。そのためにも今日の勝負は絶対に勝て! 勝ってプロへの道を自分の手で切り開くんだ!」
今川監督の熱い言葉を聞いたネネの目から不意に涙が流れた。
「ネネ……大丈夫か?」
皆はプレッシャーで泣いたのかと心配するが「あ、あれ? 違うんです。何か嬉しくて……」と、ネネは涙をグイっと拭った。
「嬉しいんです。そこまで私のことを信じてくれて……」
ネネはにっこり笑った。
(そうだ……これはもう私だけの問題じゃない。私を信じてくれるみんなのためにも絶対に今日の勝負には勝たなくてはいけない……)
そして、グラブをバン! と叩き「よし! もう大丈夫です! 少し肩が冷えたから温めますね!」と明るい声を出した。
「おお、付き合うぜ!」
キャッチャーを務める伊藤スカウトが応え、ネネはマウンドへ走っていった。
そんなネネを杉山コーチは目を細めて見守った。
「本当に……明るくて良い娘ですよね。気持ちの切り替えも早いし、ピッチャー向きの性格です」
「ああ……」
マウンドで投球練習を始めたネネを見て、今川監督は思いを馳せた。
(万年Bクラスが指定席のレジスタンスには織田勇次郎のようにストイックにプレイで皆を引っ張る選手が必要だ。だが厳しいだけでもダメだ。羽柴寧々……アイツの存在はまるで太陽だ。アイツがいることでチームの雰囲気は明るく変わるだろう。低迷するレジスタンスを生まれ変わらすためには、羽柴寧々と織田勇次郎、このふたりが必要なんだ……)
その時、今川監督の携帯が音を立てた。
「今川だ。ああ分かった。もう全員グラウンドにいる。到着次第、始めよう」
今川監督は携帯を切ると、ネネに向かって叫んだ。
「ネネ、来たぞ! 織田勇次郎だ。もうすぐ到着する!」
グラウンドに緊張が走った。
ドクン……ネネの鼓動が高鳴る。
(来る……織田勇次郎が来る……)
ネネはマウンドからベンチ奥のドアを見た。
そして、ドアを開く音が聞こえ、織田勇次郎がグラウンドへ現れた。




