第89話「クローザーの条件」後編
九回表、スコアは9対8とレジスタンス一点リードの中、ネネは試合を締めるクローザーとしてマウンドに立った。
キングダムの先頭バッターは今季、横浜メッツからFA移籍した外野手の菅谷。俊足巧打のベテラン選手だ。
(ラスト1イニング……全力で来い!)
北条が出したのはストレートのサイン。ネネは初球から攻撃的なピッチングを見せ、菅谷をカウント1-2と追い込んだ。
そして、最後は内角高めの「ライジングストレート」。ホップするストレートに菅谷のバットは空を切り、まずは三振でワンアウトを奪った。
続くバッターは二番セカンドの東、ミート力がある中堅バッターだが、同じくストレートで攻め、最後はショートフライに仕留めた。
ここまで要した球数は八球、テンポのいいピッチングであっという間にツーアウトまで取ったが、試練は続く。次の三番バッターは球界を代表するバッター中西だ。
中西大毅、27歳、背番号10、ポジションはセンター。現在の日本プロ野球においてナンバーワンのバッターと評される男だ。
高卒ドラフト一位でキングダムに入団して今年が九年目。海外FA権を取得しており、タイトル奪取を条件に来季はメジャー挑戦を公言している。
愛称は「怪童中西」。だが、この言葉こそ、この男にピッタリくる言葉はない。190センチという恵まれた体格に規格外のパワー、三年連続ホームラン王に加え、打点王も四回取っている。
中西は左バッターボックスに入ると、軽く足踏みをして、身体を上下に揺らした。中西独特のルーティーンだ。
バットを構えたその姿には少しの隙もなく、無言の圧力がネネを襲う。
久しぶりに味わう強打者の圧力だ。ネネはその圧力を振り払うべく、中西を睨みつけた。
中西に対しては北条も最大級の警戒をしている。
(まずは外角にボールになる変化球で様子を見るぞ)
中西は小刻みに身体を揺らしている。
一見、人懐っこい顔をしており、体型も丸っこい。そのため、球団内でもいじられキャラだが、そのパワーは規格外。最大推定飛距離は150メートルと噂される正真正銘の怪物バッターだ。
北条は外角にボール気味のドロップを要求するが、ネネは首を振りながら、あることを考えていた。
それは『この中西さんが現在の日本球界ナンバーワンのバッターと聞く。じゃあ、日本一のバッターを目指す勇次郎との違いは何だろうか?』と、いうことを。
ネネは北条に目で訴えた。
(北条さん、ストレートで勝負させてください)
(な、何、考えてるんだ!? まともに打たれたら、ホームラン、同点だぞ!?)
北条は考え直すようサインを出すが、ネネは再び首を振る。
(分かってます。でもゴメンなさい。私、試してみたいんです。私の全力のストレートが日本一のバッターに通用するか、試してみたいんです)
ネネの意地に北条は折れた。
(分かったよ……その代わり、全力で腕を振れよ)
北条は外角高めにミットを構えた。
ネネはサインに納得すると振りかぶった。左足を高く上げ、腕をしならせると、渾身の力でボールを弾いた。
(いけえ!)
ボールは唸りを上げて飛んでくる。
(ここから、ネネの球は伸びる!)
北条がそう予測してミットを動かした瞬間だった。中西のバットが恐ろしいスピードで一閃した。
カキーン!
打球は快音を残し、右中間へ飛んだ。
(ば、バカな!? 初見でネネのポップするストレートを打つとは!?)
北条は打球の行方を確認するため、マスクを脱ぎ捨てた。
ネネも思わず、振り返った。
(う、ウソ……!? は、入る……?)
俊足の毛利が途中で足を止めた。ライトスタンドのレジスタンスファンが悲鳴を上げた。
……しかし、打球は失速してググッと落ちた。
ガン!
ボールはフェンスの最上段に当たった。毛利はクッションボールを上手く処理して内野に送るが、打球の滞空時間が長かったため、中西は悠々と二塁に進んだ。
スタンディングツーベース。ツーアウト二塁で同点のランナーが塁に出た。
ネネはバックスクリーンを見つめた。スピードガンは142キロを表示。自己最速タイをマークしている。
(ボールの指のかかりは良かった。それにも関わらず、そのストレートを完璧に打たれた……コレが日本一と称されるバッターの実力なの……?)
中西の打撃にネネは背筋が凍りついていた。
一方で、二塁に立つ中西は首を傾げていた。
「どうしました? 今のバッティングに納得いかないみたいですか?」
ショートの明智が中西に声をかけた。
「うん……当たりからしてスタンドインかと思ったけど、意外と伸びなかったなあ、って思ってね……何でかなあ?」
中西は腕当てを外しながらそう答えた。
「東京キングダム、四番ファースト、渡辺」
中西との勝負は終わったが、ピンチは続く。次のバッターの名前がアナウンスされるやいなや、レフトスタンド、キングダム応援団から大歓声が響いた。
渡辺和真、30歳、背番号「5」、ポジションはファースト。かつては、パリーグ「埼玉バンディッツ」の不動の四番だったが、二年前にFAでキングダムに移籍。
埼玉バンディッツ時代には三冠王を獲ったこともあり、昨年は打点王を獲得。チャンスにめっぽう強いクラッチヒッターだ。
親分肌で豪快な性格から「番長渡辺」と呼ばれ、ファンやチームメイトたちから愛されている。
渡辺は丸太のような腕でバットを振り回し、ニヤリと笑うと右打席に入った。
身長は185センチ、筋肉で武装した鋼のような身体。中西に引けを取らない長距離砲だ。
また中西とは正反対で、打席に入りバットを構えるとピクリとも動かなかった。
(ヒット一本で同点、ホームランで逆転……流石にここは俺のサインに従えよ、ネネ……)
北条は変化球のサインを出した。ネネはサインに頷き、外角にドロップを投じる。
ドロップは外角いっぱいに決まり、まずはワンストライク。
二球目は外角低めのストレート。これもコーナーいっぱいに決まり、ツーストライクだ。
「カ─ッ! つまらんのう。逃げるようなボールばっかりで! なあ北条はん、アイツ、男らしくないのう? キンタマ付いとんのか?」
渡邊は大袈裟に笑いながら天を仰ぐと、北条を挑発した。
「女だから付いてるわけないだろう」
北条は挑発に乗らず冷静に対応し、ネネに返球した。
「カッカッカッ! そりゃそうだ! それならしかたないわな!」
渡辺は大笑いした。
カウントは0-2、ネネが渡辺をツーストライクと追い込み、スタンドからは「あと一球」の代わりに手拍子が鳴り響くが、渡辺は笑みを浮かべてバットを構えている。
(ストレートにもドロップにも反応しない。こいつ一体、何を待っているんだ?)
北条は悩んだ末にドロップのサインを出した。しかし、ネネは首を振る。
ネネはあくまでストレートにこだわった。
(自分がクローザーに抜擢されたのは、三振が取れるストレートがあるから。それなら、ここで逃げてはいけない!)
(本当に気が強いヤツだな)
北条は苦笑いすると、内角高めのサインを出した。
(その代わり、思い切り腕を振れよ)
そして、ミットを構える。
セットポジションに構えたネネは二塁ランナーを目で牽制すると、クイックモーションから内角高めにストレートを投じた。
唸りを上げるストレートは内角高めで伸びてホップする。しかし、ストレートを待っていたかのように、渡辺は上手く身体を回転させ叩いた。
カキン!
ボールはまたしても高く舞い上がり、左中間に飛んでいった。
レジスタンスドームに悲鳴が響き渡る。高く舞い上がったボールはスタンドインかと思われた。
……しかし、渡辺の打球は先程の中西と同じく、上空で失速した。
センターの毛利が、渡辺を警戒して初めからレフト寄りの守備だったのが幸いした。毛利は俊足を飛ばしボールの落下地点を予測して、フェンス際でジャンプした。
毛利がフェンスにぶつかる。皆が固唾を呑んで見守る中、グラウンドに倒れ込んだ毛利が右手のグラブを高々と掲げた。
そのグラブには白いボールがしっかりと収まっていた。
「アウトォ!」
渡辺の打球はスタンドには届かずセンターフライでスリーアウト、ゲームセット、レジスタンスが辛くも9対8で逃げ切った。
「ま、マジかよ──!」
一塁ベース上で渡辺が頭を抱えた。
「残念だったな、渡辺」
ファーストの黒田が声をかけた。
一方、打ち取ったネネはマウンドでホッとした表情を浮かべていた。
(助かった……毛利さんのおかげだわ)
そして、センターから戻ってきた毛利と笑顔でグラブを合わせる。
「ネネ、初セーブ、おめでとう!」
「ありがとう、毛利さん」
「おかしいのう? 手応えはあったんやが」
キングダムベンチに戻ってきた渡辺がボヤいた。
「ナベさんもですか? 僕も同じです」
中西が渡辺に同調する。
「以前、フィッシュバーンもセンターフライに打ち取られて、同じことを言ってたぞ」
キングダム鬼塚監督がふたりの前に立ち、口を開いた。
「恐らく、三人ともあの女が投げたストレートの下を叩いてる。だから、上手く打ったつもりが高く上がりすぎて、スタンド手前で失速したんだ」
その言葉に中西と渡辺は言葉を失った。
「……てことは、巷の噂通り、あの女のストレートはホップしてるんですか?」
「いや、それはない。ホップするボールなど物理的にあり得ない」
鬼塚監督は即座に否定した。
「……だが、このまま放っておくわけにもいかん。いずれにせよ、次に対戦するときまでにはデータを揃えて叩きのめす」
鬼塚監督はそう言ってベンチ裏に戻っていった。
そして、レジスタンスベンチ。今季キングダム戦初勝利ということで、ベンチは勝利の余韻に浸っていた。
そんな中、ネネはバックスクリーンのスコアを見つめていた。
(ひとまず勝てて良かった。クローザー……それが私の新たな役割。私が抑えればチームは負けない。このポジションで優勝を目指す)
ネネは決意新たにベンチを後にした。




