第86話「情けねえ」
レジスタンスホーム開幕戦、対広島エンゼルスは九回表が終わり、1対0でエンゼルスがリードのまま、九回裏、レジスタンス最後の攻撃が始ろうとしていた。
「よし! 良くやった!」
ベンチに戻ったネネを今川監督が笑顔で出迎える。
(キングダムドームではこの流れを掴めなかったが、今日は必ず勝つ! いや、今日勝てなかったら、レジスタンスは今までと一緒だ。そんなことは絶対にさせない!)
最終回、逆転に向け、今川監督が選手たちに檄を飛ばした。
九回の裏、エンゼルスは抑えの切り札、紅林をマウンドに送る。去年入団した選手だが、一年目から抑えを任され、37セーブを上げて新人賞を獲得している。
絶対的守護神が出てきたことで、エンゼルスは勢いづく。一番から始まる好打順だったが、あっという間にふたりが打ちとられて、ツーアウトとなった。
また今日も負けるのか……。スタンドからはそんな雰囲気が漂う。ベンチも同じような空気だったが、ある男がその静寂を切り裂いた。
「何、下向いてんだ、お前ら! まだ試合は終わってねえぞ!」
それは黒田だった。
「下を向くな! 俺たちここでやらなきゃ男じゃねえぞ!」
黒田の言葉にベンチの選手たちは再び顔を上げた。
「明智! 何が何でも塁に出ろ!」
明智は軽く頷くと打席に向かった。登場曲「ボウイ」の「ドリーミン」が流れ、レフトスタンドからは大声援が響く。
初球は外角へのスライダー。いっぱいに決まり、まずはワンストライク。
明智は大きく息を吐き出すと、左足で独特のリズムを刻んだ。
二球目、150キロのストレートが投じられたが、コースが甘くやや真ん中に入った。
明智はストレートを強振。三塁線を鋭く襲いフェア。明智は俊足を生かして二塁に滑りこむ。ツーアウトながら、同点のランナーが出たことでドームは歓声で揺れた。
「監督、次はどうします? 代打の準備もできてますが」
岩田バッティングコーチが今川監督に声をかける。次は勇次郎の打順だが、今日もここまでノーヒットだからだ。
「いや、このままいく」
今川監督は腕組みをしたまま、グラウンドに立つ勇次郎を見つめた。
(ここは賭けだ。ストイックな勇次郎とムードメーカーのネネ、このふたりが噛み合えば、必ずレジスタンスの勢いは出る。ネネが結果を出した。後はコイツが打てば……)
勇次郎の登場曲「ヴァンヘイレン」の「JUMP」が流れる中、勇次郎はゆっくりと打席に入った。
「おら、勇次郎! ヒーローになるチャンスだ! 決めてこい!」
ネクストバッターサークルから黒田がゲキを飛ばす。
その頃、ベンチではアイシングを終えたネネが不安そうな顔で勇次郎を見つめていた。
「どうした? 心配か? 勇次郎のやつが」
北条が話しかける。
「はい、だって開幕からノーヒットですよ……」
バックスクリーンに目を向けると、織田勇次郎、打率には「0」の数字が並んでいる。
しかも、ツーアウト二塁というのは開幕戦と全く同じ状況だ。ただその時は10点差、今日はわずか一点差だが……。
紅林はセットポジションからストレートを投じる。152キロの球がズバンと決まり、ワンストライク。勇次郎は慎重になっているのか、ファーストストライクを見逃す。
実はこの頃、勇次郎の弱点は各球団に知れ渡っていた。勇次郎は「外角低めの変化球に弱い」、特に落ちる変化球は苦手、と分析されていた。
ネネが早々とクセを見抜かれ打ち込まれたように、勇次郎もオープン戦を通じて弱点を炙り出されていたのだ。
「ネネ、お前なら今の勇次郎をどう攻める?」
北条がネネに問いかけた。
「え? えっと……ストレートにタイミングが合ってないから、ドロップでカウントを稼いで、最後はアウトローで勝負します」
「そうか……俺なら、次はストレートで内角を突き、最後は外角低めに落ちる変化球で仕留める」
「変化球ですか……」
「ああ、今のアイツは外角に落ちる変化球を投げられたら、手も足もでない」
今川監督も渋い顔をしている。
「試練だな。アイツにとってのプロの壁だ」
次の球はボールでカウントは1-1になる。
勇次郎は焦っていた。デビュー戦、キングダム沢村の前に四打席連続三振を喫した。
その後は徹底的に変化球攻めをされた。流石はプロだ、変化球の切れ味、コントロールはアマチュアの比ではない。分かっていても外角の変化球にバットが回る。変化球を狙い打とうとすると、嘲笑うかのようにストレートが決まる。
憂いを払うようにバットを振り続けたが、実戦で結果が出ない。勇次郎はかつてない焦りを覚えていた。
(無様なもんだな……オープン戦調子が良く、プロでやれる自信がついたが、全てが水泡と化した)
ふと一塁ベンチに目を向けると、腕組みをする渋い顔をした今川監督の姿が見えた。
(情けねえな……あれだけ監督に啖呵を切っておきながら、こんなザマじゃあな……)
勇次郎はある決意を固めた。
(……当てるバッティングをしよう。もう三振は嫌だ。とにかく当てる。どんな無様な格好でもいい、バットに当てよう)
そして、プライドを捨て、バットを短く持ったときだった。
「勇次郎──! 頑張れ──!」
ベンチからネネの声が聞こえてきた。
「いいなあ、色男。可愛い女ピッチャーに応援してもらって」
広島エンゼルスのキャッチャー、立浪がニヤニヤしながら勇次郎を茶化した。
勇次郎はネネの声援を聞き、内心、ムッとした。
(何が頑張れ、だ。頑張って打てるなら、誰も苦労しない。他人事だと思い簡単に言いやがって……)
だが、あることに気付いた。
(いや……違う……簡単に言ってたのは自分の方だ……)
勇次郎はネネと交わした会話のことを思い出していた。
(自分は羽柴寧々に上から目線で好き勝手言ってきた。育成選手から支配下登録選手になれ、と言った。育成サバイバルゲームでキャッチャーが怪我をしている状況でベストを尽くせ、と言った。オープン戦でクセが見つかったときには、クセを直さないと終わりだ、と言い放った。しかし、アイツは……羽柴寧々は、そんな無茶振りをすべて乗り越えて、今、プロの世界で結果を出している……!)
勇次郎はカッと目を見開いた。
(情けねえ、情けねえ、情けねえ! 目の前にいるじゃねえか、プロの壁を次々とぶち壊すヤツが……それなのに俺は……俺は……!)
勇次郎は一旦、打席を外すとバットを再び長く持ち直した。
(負けてたまるかよ……羽柴寧々に負けてたまるか!)
勇次郎のプライドに火が点いた。
勇次郎が打席に入り、試合は再開された。
カウント1-1からの三球目、内角高めに150キロのストレートが来る。
勇次郎は豪快にバットを振り抜くもバットは空を切った。
これでカウントは1-2。あとストライクひとつで、ゲームセットの状況まで追い込まれた。
レジスタンスドームに絶望の雰囲気が漂う。だが、広島バッテリーは冷や汗をかいていた。
(何だコイツ? 何て思い切りの良いスイングをしやがる……やっぱり並のルーキーじゃねえな……)
立浪は紅林の決め球、フォークのサインを出した。
レジスタンスベンチでは選手たちが固唾を呑んで戦況を見守っている。
「すごい……」
ネネが声を上げた。
「すごいって何が? 紅林の投球がか?」
北条が声をかけるとネネは首を振った。
「違います、勇次郎のスイングです。何の迷いもなく振り切っている。ピッチャーからすると、あんな恐ろしいスイングはありません」
ネネは目を輝かせている。
「北条さん、前言撤回です。私なら内角高め全力のストレートで勝負します。中途半端なボールだと打たれそうなので」
ネネはニコッと笑った。
その頃、打席に立つ勇次郎は、周りの景色が段々と消えていき、目の前のピッチャーだけが浮かび上がるような感覚を覚えていた。
(前にもあったぞ、こんな感覚は……)
スタンドからの歓声も消え、音のない空間が広がっていった。
(これは、あの一軍対二軍の試合、最終回の打席と同じだ)
勇次郎はバットを握りしめ、ピッチャーの動きを凝視した。
ピッチャー紅林がセットポジションから右腕を引き絞った。その時、勇次郎には見えた。ピッチャーがボールを指で挟んでいるのを。
(……フォークだ!)
紅林の投じたボールは外角に飛んできた。軌道はストレート。勇次郎は左足を踏み込んだ。
(ここから落ちる! 空振りで終わりだ!)
そうキャッチャー立浪が確信した瞬間、恐るべきスピードで、勇次郎のバットがフォークボールの落ち際を叩いた。
カキ──ン!
勇次郎はフォークボールをすくい上げた。快音を残した打球はセンター上空へ舞い上がった。
「いけえ! 入れ──!」
スタンドからは観客たちが祈るように叫んだ。全員がボールの行方を見上げる。
センターが壁に手を付いた。打ったボールは失速せずにグングン伸びるとバックスクリーンで跳ねた。次いで、スタンドからは大歓声が上がった。
「ぎゃ……逆転ツーランホームラン! 九回裏ルーキー織田勇次郎の待望の一発が飛び出しました!」
実況席も大興奮。
大歓声の中、バットを放り投げた勇次郎は、ゆっくりと一塁に向かった。




