第81話「歴史の扉が開くとき」後編
「大阪レジスタンス、ピッチャー交代のお知らせです。羽柴寧々、背番号41」
「ワアアアアア!」
ネネの名前がコールされると、沈黙していたレフトスタンドのレジスタンス応援席から大歓声が上がった。
「羽柴! 羽柴!」
万年Bクラス、三年連続最下位のレジスタンス。オープン戦好調で、今年は違う、とファンたちは期待を込めて楽しみにしていたが、蓋を開けてみれば、10対0という体たらく。
試合も良いところがなく、ストレスのたまる展開だったが、まさかのネネの登板にファンたちのテンションが上がる。
またドームに詰めかけたキングダムファンたちもどよめいていた。
史上初の女子プロ野球選手のペナントレース初登板を生で見れるのだ。それも大事な開幕戦で……観客たちは固唾を飲んでベンチ前のネネの動きに注目した。
ベンチ前で軽く身体を動かしているネネに今川監督が檄を飛ばした。
「負けているが、この試合、何か爪痕を残したい。いいな!」
「はい!」
「よし、行ってこい!」
今川監督がネネの背中をポンと叩く。
「お─!」
ネネは気合を入れて、三塁側のラインを一気に越えた。
ラインを越えると、サードの守備位置に勇次郎の姿が見えた。
今日ここまで三つの三振、特にその内のひとつはノーアウト満塁のチャンスを潰し、キングダムに勢いをつけてしまった。いわば今日のA級戦犯だ。
(勇次郎が辛い気持ちは分かる。だけど、あの人は慰めなんて求めてない。プロは結果が全てだ。だからこそ今日は自分が頑張らないといけない。監督は言った『爪痕を残したい』と、それはつまり『この回をゼロに抑えろ』ということだ)
ネネは大きく深呼吸をしながらマウンドに立った。
「よ─し! ネネ─、頑張れ──!」
「ネネちゃん、いけえ─!」
三塁側スタンドではネネの父と妹のキキが声援を送っているが、対照的に姉の菜々と母親は心配そうな顔をしていた。
「羽柴さん……大丈夫ですか?」
今度は勇次郎母がネネの母を気遣った。ネネの母はニッコリ笑い「大丈夫です。ありがとうございます」と答えた。しかし、言葉とは裏腹にひざの上に置いた手は震えていた。
ネネの登板を受けて、実況席も興奮気味で「さあ、10対0と大量リードをされたレジスタンスはルーキー羽柴寧々を投入します。開幕戦初登板、そして、長いプロ野球の歴史の中でも、女性選手がペナントレースで登板するのは史上初の出来事です!」と伝えている。
「キングダム、六番、レフト亀田」
アナウンスを受けて、先頭バッターが左打席に入る。亀田は35歳のベテラン選手だ。
投球練習を終えたネネはマウンドから北条のミットを見つめた。ライトスタンドからはキングダム応援団の鳴り物が響く。
子供の頃からテレビで見ていたキングダムドームに自分が立っていることに奇妙な感覚を覚えたが、不思議と怖さはなかった。やるべきことがハッキリしていたからだ。「この回を無失点で抑える」という。
北条とのサイン交換が終わると、ネネはゆっくり振りかぶった。同時にカメラマン席からシャッター音が鳴り響き、観客の一部はスマホのカメラをネネに向けた。
四万人の大観衆が見つめる中、短いテイクバックから、歴史に残る第一球が投げられた。
「ストライク!」
その一球はど真ん中に近いストレート。バッター亀田はバットを振らずに見送っていた。審判のストライクのコールにスタンドから拍手が起こった。
スピードガンは139キロを表示。女子が投げていることを考慮すれば、かなり速いスピードだ。しかし、ここはプロ野球の世界。選ばれた一流のアスリートたちが集う場所だ。生半可な球では通用しない。
北条はサインを出す。
(今日はすべて、ホップするストレートと懸河のドロップで全力勝負だ)
ネネは北条の意図を汲み、二球目も再びストレートを投じる。
コースは内角高め。キレのいい速球に亀田のバットが回り、瞬く間にストライクをふたつ奪った。スピードガン表示は先程と同じ139キロ。
そんな亀田の空振りを見たキングダム鬼塚監督は首を傾げた。鬼塚監督はキングダムの監督を九年務めている名将だ。
(140キロに満たないストレートを亀田が空振り? 想像以上に伸びがあるのか?)
また、バッターボックス内の亀田も同じことを感じていた。スピードガン以上に手元でストレートがグンと伸びる、と。しかし、まだどこかに「相手は女」という油断があった。
ネネは振りかぶり、三球目を投げた。
(たかが、女のストレート)
亀田がそう思い、ストレートにバットを合わせようとした瞬間、ボールが視界から消えた。
大きく弧を描いて落ちた球はど真ん中に構えたミットに飛び込んできた。
「ストライク! バッターアウト!」 まずはワンアウトを奪い、レフトスタンドから大歓声が上がった。
(な……? 何だこの変化は……?)
伝家の宝刀「懸河のドロップ」が決まり、タイミングを外された亀田は空振り三振を喫し、その変化に呆然としていた。
「七番、ショート牧村」
次に右打席に立ったバッターは今季入団したルーキーの牧村。大卒で勇次郎のハズレ1位で指名された選手だが、オープン戦で結果を出して開幕スタメンに選ばれていた。特に今日は勇次郎とは対照的に二安打を放っている。
(ルーキーながら二安打を放って絶好調だ。初球から振り回してくるから気をつけろよ)
北条はミットを構える。ネネは振りかぶって渾身のストレートを投じた。
コースは内角高め。糸を引くようなストレートが飛び、牧村はタイミングを合わせて強振するが、ネネの球はグンと伸び、牧村のバットはボールの下を叩いた。
ライトスタンドに力無い打球が舞い上がった。ライトを守る斎藤は打球の位置を確認すると、前進してミットにボールを収めた。
ライトフライでツーアウト。ネネはわずか四球でふたりの打者を打ち取った。
「ツーアウトォ!」
ネネが振り返り、野手陣に声をかけた。レフトスタンドのレジスタンス応援団からはネネを讃えるコールが響く。
(よし……次のバッターはキャッチャーの矢部。正直、バッティングはあまり良くない。今日のネネの出来なら大丈夫だろう)
北条がそう思った時だ。キングダムベンチから鬼塚監督が出て来て、ネクストバッターサークルにいた矢部がベンチに戻るのが見えた。そして球場内にアナウンスが流れた。
「東京キングダム、代打のお知らせです。八番キャッチャー矢部に代わりまして、フィッシュバーン、背番号44」
(フィッシュバーンだと!?)
北条は慌ててキングダムベンチを見た。すると大柄な白人男性がバットを持って出て来るのが見えた。
フィッシュバーンは今季から加入の新外国人選手。メジャー通算200本のホームランを放っている大物助っ人だ。
(来日が遅れ、開幕には間に合わないと言われ、今日もスタメンを外れていたが、まさかこの場面で使ってくるとは……)
フィッシュバーンは素振りを繰り返している。その腕は丸太のように太い。
ネネのピッチングに沈黙していたキングダムファンは、助っ人外国人フィッシュバーンの登場に一気に盛り上がった。
マウンド上のネネはそんなフィッシュバーンをじっと睨みつけていた。




