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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第1章 プロ野球入団編
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第8話「その男、危険につき」

 杉山コーチのテストに合格したネネは、早速その日から入団テストに向け特訓を開始した。

 午前中は水間によるフィジカル向上に重視を置いた特訓。午後からは杉山コーチによるピッチング講座で、キャッチャーは伊藤スカウトが務めた。

 実は伊藤は元レジスタンスの選手で、キャッチャーを務めていた過去があり、十年前に現役を引退してスカウトに転身したのだが、まだ経験は衰えておらず、毎日ネネのボールを受ける相手を務めた。

 そして、硬式球に慣れるためのノック練習。夕方は真澄によるマッサージと体幹強化の勉強。夜は杉山コーチによる配球の講義……とネネは文字通り、野球漬けの日々を送ることになった。


 あまりのハードスケジュールに、ネネが音を上げないかと皆は心配していたが、その心配は杞憂に終わった。

 ネネは今まで独学で行っていたトレーニングをプロの人たちに教わることができて、毎日が新鮮で嬉しく、弱音は一切吐かなかった。

 素直で負けず嫌いのネネは、乾いたスポンジが水を吸収するように、もの凄い勢いでプロが教える知識や技術を習得していった。


 そして、そんな特訓の日々はあっという間に終わり、遂に入団テストの前日を迎えた。

 明日の勝負に備え今日は早めに切り上げる予定で、ネネがクールダウンのランニングをする中、杉山コーチは伊藤スカウトに声をかけた。


「伊藤、大丈夫か、左手は?」

 伊藤スカウトの左手は真っ赤に腫れあがっていた。毎日、ネネの球を受けていたからだ。伊藤は左手にコールドスプレーをかけて、熱を冷ましている。

「はい、何とか……それにしても、えげつないですね、ネネの投げるボールは……」

 この頃には、ネネとコーチ陣は皆、打ち解けていて「ネネ」と下の名前で呼んでいた。

「ネネのホップするボールを毎日何百球と受けてるからなあ……」

 杉山コーチは苦笑いする。

「それなんですが、毎日あれだけの球数を投げてネネの指は大丈夫なんですか? 爪が割れたり、マメができたりとかしないんですか?」

「それなんだがなあ……」

 杉山コーチは回想する。


 急激に投げ込みをさせたので、指の爪やマメが心配だったが、ネネの指を見て驚いた。爪も割れておらずマメもできていない。指はキレイなままなのだ。

 そのことについて尋ねると、ネネは「あ、私、指にマメができたことがないんですよ」と、あっけらかんと答えた。

「は、はあ?」

 マメができないのは、高校時代に本格的に野球をやっておらず、何百球もボールを投げることがないからだと思ったが、更に詳しく話を聞いてみると違うことが分かった。

 ネネは野球部の部員相手にバッティングピッチャーを務めていて、時には四百球以上投げる日もあったらしい。それでも爪が割れたり、マメができたことはなかったと言う。

(そんな馬鹿な……ストレートが武器のピッチャーにとって指のトラブルはつきものだ。……となると体質か?)

 そう推測したが、それも違った。どうやらネネは他のピッチャーと指の使い方が違うのだ。


 通常、ピッチャーはボールを放す瞬間、威力をつけるため指でボールを強く押し込む。

 しかしネネは違う。ボールを押し込むのではなく、浮かすように『滑らせて弾く』というのだ。

(滑らせて弾く?)

 初めてその話を聞いた時、杉山は理解に苦しんだ。そんな投げ方をするピッチャーを今まで見たことも聞いたこともなかったからだ。


 ネネがなぜそんな投げ方をしているかというと、子供の頃からの日課「石投げ」がルーツらしい。

 ネネの説明だと、百メートル以上ある川の対岸に石を届かせるには、石を力任せに投げるだけではダメで、石を風に乗せて浮かすようにして投げないといけないらしく、その投げ方を無意識のうちにピッチングに応用していたらしい。

 そのため指に負担がかからず、マメなどの指のトラブルには無縁だというのだ。


「そうなんですね……じゃあ、ネネの投げ方をマスターしたら、誰でもホップするストレートが投げれるってわけですか?」

 伊藤がスカウトが質問してきたが、杉山コーチは「ノー」と答えた。なぜなら……。

「石投げで得た独特の指の感覚」

「子供の頃からのランニングによる強靭な足腰」

「中学時代に外野からの遠投で鍛えた地肩の強さ」

「動物のような異質な筋肉」

 これらのすべてが揃うことで、ホップするストレートが生まれるからだ。


 そのため、杉山はネネの上半身の動きには手をつけずに下半身の使い方を教えた。腕のしなりや肩の強さは十分のため、上半身と下半身が上手く連動するように足腰と膝の使い方をアドバイスした。

 これで、当初130キロに満たなかったネネの球速は短期間でマックス135キロまでアップすることに成功した。


 更にボールの握り方、指の掛け方も変えた。ネネは女性ということもあり手が小さい。そのため、体格のハンデを逆手に取って普通の右投げの投手が握るのとは逆の向きでボールを握らせた。

 その結果、ボールの縫い目が指にかかりやすくなり、スピンは以前より多くかかるようになった。

(やるだけのことはやった。後は明日の勝負を待つだけだ)

 杉山コーチはそう確信し、ネネを待ってミーティングを行おうとした。

 ……だが、その時、招かざる訪問者が現れた。


 クールダウンのランニングを終えたネネが杉山コーチたちとミーティングをしている時だ。突然、誰かに太ももを鷲掴みにされて身体に悪寒が走った。

「ひっ……! な、何……!?」

 振り返ってみると、ガラの悪いサングラスをかけた男がネネの後ろにしゃがみこんで、両手で太ももを触っていた。

「キ……キャアアア!」

 ネネは悲鳴を上げると、持っていたグラブで変質者の顔を思い切りぶん殴った。

「う、うわ!」

 ミットで思い切り殴られた変質者は後ろに吹っ飛んだ。

「チカン! 変態! 変質者! いや──っ!」

 間髪入れず、ネネは変質者の頭をグラブでバンバンと叩いた。

「い、痛え! 痛え!」

 変質者は悶絶するが、ネネはお構いなしに殴り続け、今度は近くに置いてあったバットを手に取って振り上げた。


「や、やめろ! そんなんで殴られたら死んじまう!」

 変質者が慌てて叫び、それを見た伊藤スカウトがネネを羽交い絞めにした。


「ま、待て! ネネ! それは今川監督だ!」

「え……!?」

 バットを振り上げたネネは固まり、目を白黒させた。

(い、今川監督……? この変質者が来季からレジスタンスを束ねる今川監督……?)


「い、痛てて……」

 今川監督は殴られた頭をさすっていた。

「大丈夫ですか? 監督」

 伊藤スカウトが今川監督の様子を確認する。

「ど、道具は大事にしろと習わなかったのか、このアマ……」

 今川監督はスッと立ち上がった。

 身長は180センチ以上、がっしりしているが贅肉のない引き締まった体型、髪はオールバック、派手なシャツの上にはこれまた派手な色のスーツ、そして極めつけは趣味の悪いサングラスと金のネックレス……と、どう見ても、まともなプロ野球の監督の姿ではなかった。


(な、何この人……? 完全にチンピラじゃない……)

 唖然とするネネに今川監督は話しかけた。

「……お前が羽柴寧々か?」

「は、はい……」

 今川監督が近づいてきたので、ネネは反射的に胸を隠した。

「心配すんな。そんな残念な胸に興味はないぜ」

「な……!」

(む、胸がないってこと!? 人が気にしていることを……! 何なのよ、このデリカシーのない男は!)

 ネネは怒り心頭で今川監督を睨んだ。


「監督、どうしました、今日は?」

 杉山コーチがニコニコしながら、尋ねてきた。

「おお、明日がコイツと織田勇次郎との対戦の日だと思うと、年甲斐もなく興奮してな! 一度、勝負の前にコイツを見たくなって、ここまで来ちまったよ!」

 その言葉を聞いて全員の顔色が変わった。


「は!? 織田勇次郎? 明日の私の対戦相手は、あの織田勇次郎なんですか?」

 ネネも驚き大声を上げた。

「か、監督! 何、バラしてるんですか!」

 伊藤スカウトが怒りの声を今川監督に向けた。

「あれ? 内緒だったのか」

「そうですよ! ネネに余計なプレッシャーを与えないように、皆、黙っていたんですよ!」

「はっはっはっ、そりゃ悪かったな」

 全然悪びれる様子もなく、今川監督は馬鹿笑いした。

(ちょ……ちょっと待ってよ。織田勇次郎? あの織田勇次郎が、明日の私の対戦相手なの?)

 ネネの脳裏に聖峰三軍との練習試合で対峙した織田勇次郎の姿が浮かび上がった。


「まあ、そう緊張せずに頑張れや」

 今川監督はヘラヘラと笑い、ネネの肩にポンと手を乗せたが、ネネはその手を振り払った。

「おろ?」

「……触らないでください、変態監督」

 ネネは今川監督を睨みつけた。当たり前だが、先程のことをまだ怒っている。

「カッカッカッ、い─ねえ、い─ねえ! 気が強くて! 明日の勝負が楽しみだわ!」

 今川監督は再び馬鹿笑いし、対照的にネネは怒りに満ちた目で今川監督に話しかけた。


「……そもそも、何で織田勇次郎が私の相手なんですか? あの人はレジスタンス入団を拒否してるし、私の入団テストとは何の関係もないじゃない」

「いやいや、それが十分関係あるんだよ」

「は?」

「まあまあ、ところで監督、今日来た本当の目的は何ですか? ネネの姿を見に来ただけじゃないでしょう」

 杉山コーチが会話に割って入った。

「おお、そうそう」

 今川監督はそう言うとバットを手に取り、真顔になってネネを見た。

「明日の勝負の前に、お前に足りないことを教えに来たのさ」


 ネネはボールとグラブを持って屋外のグラウンドへ出た。ここが明日の勝負になるグラウンドだ。今日は季節外れの気候で午後4時を過ぎているがまだ暖かい。

 今川監督はネネに「一球でいいので、自分がバッターボックスに立つので投げてみろ」と言った。「一球投げれば、明日の勝負にお前に足りないものが分かるはずだ」と付け加えて。


「明日の勝負があるから、一球だけですよ」

 審判を務める杉山コーチが念を押す。

「分かってるよ」

 今川監督はスーツの上着を脱ぎ捨て、バットをブンブンと振った。

「で、どうでした?」

「あん? 何が?」

 今川監督はとぼけた返事をして、素振りを繰り返している。

「ネネの下半身を触ったのは、筋肉を確かめるためだったんでしょう?」

 杉山コーチの言葉を聞いた今川監督は素振りを止め、バットから手を放すと両手をじっと見つめた。

「ありゃあ、オンナの筋肉じゃねえな……あんなの初めて触ったぜ、しなやかで弾力があって……まるで猫のような身体付きだった」


 その後、素振りを何回か繰り返した今川監督は、ヘルメットを被らず打席に入った。

「ヘルメットを被ってください。ボールが当たったら怪我しますよ」とネネが忠告するが、今川監督は「ああ? 要らねえよ」と返した。

(はあ? この変態監督が……!) 

 更に怒るネネだったが、今川監督がバットを構えると、空気が一変するのを感じた。

 身体中に寒気が走った。それは今まで感じたことがない感覚だった。

(な、何これ……?)

 ネネは身体が動かなくなった。足が震える。ボールを握る手に力が入らない。冷や汗まで噴き出してきた。


 身体が動かなくなった原因は、今川監督から発せられるプロのバッターの圧力だった。

『プロはその一球すべてに人生が掛かっている。勝って栄光を手にするものもあれば、負けてすべてを失うものもいる。余興や酔狂じゃない。お前にそんな世界に飛び込んでくる覚悟が本当にあるのか? 夢とかそんな甘いことでやってける世界じゃないぞ』

 そういった思い全てを、今川監督は無言の圧力としてネネに浴びせかけてきたのであった。


 しかし、ネネにはその感覚が何か分からず固まっていた。まるで大型の獰猛犬と対峙した子猫のような気分だった。

(怖い、投げるのが怖い……どこに投げても打たれるイメージしかない。 何で? 何であんな男にびびってるの? いつも通り……そう、いつも通り、振りかぶって投げるだけじゃない? それなのに何で動いてくれないの? 私の身体……何で、何で……?)


 マウンドでネネが動かなくなり、どれくらい時が流れただろう。

 「はっはっはっ!」

 今川監督の笑い声で、その沈黙は破られた。ネネは力が抜けてヘタヘタとその場に座り込んだ。

「羽柴寧々、もういいぜ、合格だ」

 その言葉にネネは驚いた。

「な、何を言ってるの? 私、投げることができなかったのに……」

「相手の力量を察知して『投げない』っていう選択肢もピッチャーにはありだ。敬遠も立派な作戦だしな」

 今川監督はバットを伊藤スカウトに渡すと、スーツの上着を拾い汚れを払った。

「ちょ、ちょっと待ってください! 納得いきません! もう一回……もう一回投げるチャンスをください!」

 ネネがマウンドから叫ぶ。

「はっはっはっ、その闘志は明日にとっておけ」

 そう言うと、今川監督は上着を肩にかけグラウンドを後にした。杉山コーチが後を追う。

 ネネはマウンドに座り込んだまま、立ち去る今川監督の後ろ姿を見ていた。


「監督、かなり荒っぽい洗礼でしたね」

 グラウンドからの通路を歩きながら、杉山コーチは今川監督に話しかけた。

「ああ、プロのバッターの圧力を全力でぶつけてやったからな。俺もまだ現役でいけるかもな!」

 今川監督はワハハと笑った。

「ネネをどう見ました?」

 杉山コーチが話しかけると同時に、今川監督は肩にかけていた上着を落とした。

「おっと」

 上着を拾おうとするが、手が震えて上手く上着が拾えず、今川監督はブルブルと震える右手を左手で必死に押さえた。

「か、監督……?」

「杉山さんよ……あのオンナ、とんでもないヤツだな。俺の圧を振り払うようかのように、更に強烈な闘争心をむき出しにしてきやがった……」

 プレッシャーを受けていたのはネネだけではなかった。今川監督もネネのプレッシャーを受け、必死で耐えていたのだ。

「羽柴寧々……想像以上だ。ピッチャーに必要な闘争心と危険察知能力を両方搭載してやがる。ククク……女のくせに大したヤツだよ」

「女……だからじゃないですか?」

 杉山コーチが上着を拾うと、パンパンと汚れをはたいた。

「あん?」

「女だからこそ、度胸と繊細さを兼ね備えていると思いますがね」

 杉山コーチは微笑みながら上着を手渡した。

「ははっ、違いねえ! ただ、これでアイツはプロのバッターの圧力を体感することができた。明日の勝負はこれで五分五分だな!」


 今川監督は満足そうに上着を受け取ると、再び肩にかけて歩き出した。


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