第75話「本拠地初登板」前編
オープン戦最終戦、レジスタンス対神戸ブルージェイズ戦が始まった。
試合は六回を終わって、レジスタンスが2対1と一点リード。
また四番争いも大詰め。この日も四番に座った勇次郎が打点を叩き出して、開幕四番の座をほぼ確定させていた。
七回が始まると、ネネはブルペンで投球練習を始めた。
杉山コーチからの話では、今日は八回に1イニング限定で登板予定だという。そして、その投球内容によって、開幕一軍の切符を手にするか、二軍に降格するかを決める、と伝えられていた。
「ネネ……」
ある程度、肩を作り、ブルペンのイスに座っていると、本日先発だった前田が話しかけてきた。
ノミの心臓、とバカにされていた前田だったが、一軍対二軍の紅白戦を経て覚醒。ここまでオープン戦では二勝をあげており、今季の先発ローテーション入りが確定。今日も先発して、五回を無失点と好投していた。
「前田さん、ナイスピッチング! 今日もまた無失点だったね!」
ネネがまるで自分のことのように喜ぶと、前田は照れ笑いした。
「ありがとう……これも全部ネネのおかげだよ。ネネのピッチングが僕に勇気を与えてくれたんだ」
「ううん、私は何もしてないよ。全部前田さんの実力だよ」
ネネはニッコリと笑った。
「そろそろ登板だよね……何か僕に手伝えることあるかな?」
前田が心配そうにしている。
「紅白戦から一緒にやってきた下剋上メンバーは全員一軍に残りたいんだ」
そう……紅白戦で二軍から上がったピッチャーたち、大谷と荒木も今回開幕一軍の切符を手にしていた。
「そうだよね、みんな揃って一軍に残ろうね」
ネネはそう言うと、立ち上がった。
七回の裏、レジスタンスの攻撃もツーアウトになった。このままいけば、八回の表、登板となる。ネネは大きく深呼吸をした。
その時、ブルペンの電話が鳴った。
「ネネ、出番だ。いくぞ」
電話を切った杉山コーチが声をかけてきた。
「はい!」
ネネは返事をすると、帽子を被り、グラブを持ってブルペンを出た。
「ネネ! 頑張れ! 一緒に一軍に残ろう!」
前田がエールを送り、ネネは笑顔を見せる。そして、登場口であるライトフェンス裏口に向かっていった。
「ネネ──!」
通路を歩いている途中、由紀が駆け寄ってきた。
「由紀さん……」
「あ、表情が固いよ。スマイル、スマイル」
由紀は口の両端を指で上げた。
「うん、スマイル、スマイル、だね」
ネネも同じように口元の両端を上げ、笑顔を作ると、由紀を見つめた。
「由紀さん……本当にありがとう」
「え?」
「私がこうしてまたマウンドに行けるのは、由紀さんが私のクセを見つけてくれたおかげだよ」
そして、頭を下げた。
その言葉を聞いた由紀は涙が出そうになった。
(何言ってんのよ……お礼を言うのはこっちの方だよ)
目をゴシゴシと拭った。
(少し前までは広報部のお荷物と言われ仲間外れだった。でも最近は皆、自分のことを認めてくれている。仕事もミスがなくなった。ネネのおかげだよ、ネネが私を変えてくれたんだよ……)
「由紀さん、じゃあ私、行ってくるね」
ネネは頭を上げると、由紀に背を向けて歩き出した。
「ネネ……」
由紀は大きく息を吸った。
「が……ガンバレ──! 負けるな! 羽柴寧々──!」
由紀が大声でエールを送ると、ネネは右手を高々と上げて、真っ直ぐ歩いて行った。
ネネがライトフェンス裏まで来ると、目の前に大きな扉が見えた。ホームでの試合の時、リリーフピッチャーはこの扉を開けてグラウンドに出て、マウンドに向かうのだ。
マウンドへは「リリーフカー」か「歩き」かを選択できるので、ネネは歩きを選択した。
扉の前で深呼吸をしていると、アナウンスが聞こえてきた。
「大阪レジスタンス、ピッチャーの交代をお知らせします。ピッチャー九鬼に代わりまして、羽柴、羽柴寧々、背番号41」
扉の向こうで歓声が聞こえてきた。ネネは目を閉じて集中力を高めた。
「扉、開けます! 注意してください!」
スタッフがネネに声をかける。
ギイイイ……。扉が内側に開く。
「準備OKです。羽柴選手、お願いします!」
「はい!」
目を開けたネネの目の前に、緑色の芝生と眩いライトが飛び込んできた。
ネネはグラウンドに一歩踏み出した。
「ワアアアアア!」
大歓声が背後から聞こえてくる。扉を出たすぐ後ろはライト側レジスタンス応援席。応援団の声援が響く。
「キタ──! 羽柴だ──!」
「待ってました──! やったれ──!」
「ネネちゃん、頑張って──!」
(す、凄い……!)
ネネは背中に浴びせられるファンの声援に鳥肌が立った。
レジスタンスドームの本日の入場者数は一万人弱と聞いている。一万人と言えばちょっとしたライブの観客数と一緒だ。その人数が自分に声援を送っていると思うと胸が熱くなった。
「ネネ、頑張れよ!」
センターから毛利が声をかけてくれる。
ライトを守る無口な斎藤は左手を上げて笑みを浮かべエールを送る。
ネネはふたりを見て微笑んだ。
マウンドに向かう途中、振り返ってオーロラビジョンを見ると、そこには自分の映像と、ある文字が映し出されていた。
それは「Rising Cat 羽柴寧々」という文字。
北海道ブレイブハーツ戦、新垣の試合後のインタビューがきっかけで付けられたネネの愛称だった。
新垣がネネのことを肉食獣に例えて「Wild Cat」と評し、ホップするストレートをメジャーで見た「ライジングストレート」と、コメントしたのだが、それを伝え聞いた今川監督が「ははっ、それならアイツはふたつ合わせて『ライジングキャット』だな」と言ったため、球団がネネの愛称として名付けたのだ。
ネネは微かな笑みを浮かべると、マウンドに向かっていった。




