第65話「キミが思い出になる前に」
アスレチックス主将の城崎を打ち取ることで、不安を自信に変えたネネは完全に自分を取り戻した。
続く五番バッターはショートフライ。次の六番バッターを三振に打ち取りスリーアウト。
失点はホームランのみの一点で食い止めた。点数は6対1のままだ。
「ネネー、お疲れ──!」
ベンチに戻ってきたネネを由紀が笑顔で出迎えた。
「由紀さん、ありがと──!」
プロ初登板を終えたネネはホッとした顔を見せた。
「ネネ……疲れてるとこ悪いんだけど、初登板の感想を聞いていい? これも広報の仕事だから……」
「あ、全然いいです! 何でも聞いてください!」
ネネは笑顔を見せた。
由紀はネネのコメントをまとめる。
「じゃあ、最後の質問ね。マウンドに上がる前に織田勇次郎と何か話してたけど、何を話してたの?」
「あ……」
ネネは先程の勇次郎とのやり取りを思い出した。
「ど、どうしたの? 内容によっては公開しないから大丈夫だよ」
「あ、う──ん、何ていうか、おまじないって言うか、景気付けって言うか……」
「?」
「由紀さん、ごめんなさい。内緒でお願いします」
ネネは照れたように笑った。
一方のアスレチックスベンチ。二回の表の守備に付こうとする石川を久保監督が止めた。
「ああ、石川、今日はもういい交代だ」
石川の代わりに、短髪の精悍な男がレガースを着けている。
「あ……長瀬さん……」
レガースを着けている男の名前は長瀬慎也。アスレチックスの正捕手で背番号「2」が見える。
強気なリードに加えて、強肩強打の頼れる守備の要だ。今日は試合には出ない予定だったが、急遽、試合に出ることになった。
「石川、長瀬のリードを見て勉強しろ」
監督が石川を諭した。
「はは、六点も取られたから懲罰交代だな」
松尾が石川を茶化した。
「そうですね」
しかし、石川は素直に聞いている。
「おっ、どうした? 今までなら突っかかってきたのに?」
「いや、自分の実力は分かってますから……今日は長瀬さんのリードを勉強させてもらいます」
そう言うと、石川は長瀬の動きを観察するため、グラウンドを見つめた。
(……ふうん、コイツ変わったな)
松尾は真剣な眼差しでグラウンドを見る石川の横顔を見つめた。
(羽柴寧々の球を捕球できずに弾いたという話は聞いた。それからコイツの練習態度は変わった)
松尾は三塁側ベンチを見つめる。
(お山の大将だった石川を改心させるとはな……羽柴寧々か……)
「松尾、そろそろブルペンに行ってくれ」
ぼんやりしていると、監督から声がかかった。
「今日は試合後半からって聞きましたが……」
「予定が変わった。悪いがブルペンに行ってくれ」
「はあ……」
(敗戦処理かロングリリーフか? まあいい、考えるな。いつものことだ。粛々と投げるだけだ)
松尾はグラブを持ってブルペンに向かった。
その後、試合は硬直した。
長瀬のリードでピッチャーは生き返り、レジスタンスは無得点が続く。
また、ネネも好投を続ける。ランナーは出すものの要所を締めて得点を与えない。
その頃、ブルペンで肩を作った松尾はモニターでネネの投球を見つめていた。
(球種はストレートとカーブのみか。だが、その二種類の球種が一級品。またキャッチャーのサインに首を振り、自我を通す強い精神力も持っている……)
松尾は苦笑した。
(まるで若い頃の俺にそっくりだな。俺も球種はストレートと落差の小さいスプリットフィンガーファーストボールだけだった。それでも、自慢のストレートは常時150キロを超え三振の山を築いた。時には監督やコーチ、先輩キャッチャーとも衝突した。でも決して自分を曲げなかった)
「羽柴寧々か……」
松尾はモニターを見ながら独り言を呟いた。
(なぜだろう……アイツを見ていると、昔の自分を思い出す。地位も名声も関係なく、ただ野球が楽しくて、チームのためにがむしゃらに腕を振っていたあの頃を……。俺も……できることなら、もう一度、あの頃のピッチングをしてみたい……)
だが、頭を振ると唇を噛みながら右肩を触った。
(この肩が……この肩の故障さえなければ……)
その時だ。ブルペンの電話が鳴り、電話を取った投手コーチが松尾に呼びかけた。
「松尾、出番だ」
その言葉を聞いた松尾はブルペンを出て、グラウンドへ歩き出した。




