第63話「ラインを越えて」
レジスタンス対アスレチックスのオープン戦。
今川新監督の元、新生レジスタンスは初回から怒涛の攻撃でいきなり四点を取った。
またそれだけでは終わらず、続く五番黒田、六番斎藤も連続ヒットを放ち、終わってみれば打者一巡の猛攻で、スコアは6対0になっていた。
ようやくレジスタンスの攻撃が終わり、アスレチックスベンチに戻った石川は、ため息をつきながらレガースを外した。
「かなり、取られたな」
ベンチで待機している松尾が石川に話しかけた。
「……はい、去年までのレジスタンスからは想像もできない波状攻撃でした」
「まあ、でも相手の先発はあの女だ。すぐに取り返せるだろう」
「松尾さん……」
石川は松尾を真剣な眼差しで見た。
「……自分、あの女の球を受けたことがありますが、アイツ、女とは思えない、えげつない球を投げますよ」
一方で初回から大量得点を取り、盛り上がるレジスタンスベンチから、ナインが守備に付き出した。
「頼むぞ、ネネ!」
「点差はある。気楽に投げればいいぞ!」
ネネは皆の声援を受け、グラブ手に取るとベンチから出た。
「ネネ、ガンバってね!」
広報担当でベンチ入りしている由紀もネネに声援を送った。
ネネは少し強張った顔でベンチを出て、三塁側のファールラインをまたごうとしたが、ドームの雰囲気に鳥肌が立った。今までテレビで見ていた風景に自分が溶け込むような感覚を覚えて足がすくんだ。
ここは敵地。大量リードを奪われたアスレチックスファンは自分が打たれることを期待している。又、女の自分がどこまでやれるか、好奇の目に晒されている。
(怖い……このラインを超えてマウンドに行くのが怖い……)
ネネはラインの前で立ちすくんだ。
「ネネ、大丈夫かな……?」
ファールラインの前で立ちすくむネネを見て、由紀が心配そうな顔をした。
「大丈夫じゃないだろ」
今川監督は足を組みながら、ヘラヘラ笑っている。
「敵地で初登板だぞ。しかも、アイツは女だし、皆の好奇の目にさらされてる。今、アイツの頭の中は恐怖でいっぱいなはずだ」
「だ……だったら、監督らしく、ネネに何か声をかけてあげなさいよ──!」
由紀が怒り、ヘラヘラしている今川監督の首を絞めた。
「お、落ち着け! コレはアイツにとっての通過儀礼だ!」
「……通過儀礼?」
由紀は首を絞める手を離した。
「ゲホゲホ……アイツがプロでやってくには様々な試練が待ち構えている。アイツはそれをひとつひとつクリアしていかないといけないんだよ。マウンドに上がる恐怖を克服するのも、その試練のひとつ。そして、それは自分で克服するしかないんだ」
(そ、そんな……)
由紀は立ちすくむ背番号41の背中を見つめた。
ネネは足がすくみ、目の前のラインが越せない。その時だ──。
「何やってんだよ、お前」
三塁の守備に付こうとする勇次郎がネネに声をかけた。
「早くマウンドに行けよ」
だが、ネネは無言でうつむいていた。
「おいおい、まさかマウンドに行くのが怖い、とか言うんじゃないだろうな?」
勇次郎がそう言うと、ネネは何も言わず黙りこんだ。
「は? 冗談だったのに本気か?」
「うん……」
ネネはようやく言葉を発した。
「マウンドに行くのが怖くて足が動かないの……」
ネネは何かにすがるような目で勇次郎を見た。
「勇次郎はすごいね。初めての公式戦なのにホームランを打って……私なんか全然ダメだよ……怖くて足が動かないもん……」
ネネがそう言うと、勇次郎はため息をついた。
「何、言ってんだ。俺だってビビったぜ。頭部近くに球を投げられてよ」
「え?」
「まあ、誰かさんが大声出すから、怖さなんてどっかに吹き飛んじまったけどな」
勇次郎は腕組みしながら苦笑いした。
「なあ、お前は何のためにプロになったんだよ? この世界で成功するためだろ? それには、まずこのラインを越さないと始まらないぜ」
勇次郎の言葉を聞いたネネは再び足元のラインを見た。だが足は動かなかった。
「……昔、甲子園でなあ、お前みたいにマウンドに行けなくなった後輩のピッチャーがいたんだよ」
「え? それでどうしたの?」
ネネは勇次郎を見つめた。
「ああ……それはな」
話している途中で勇次郎はグラブを叩いた。
「よし、説明するより行動だな。その時と同じことをしてやるよ」
そう言うと、勇次郎はネネの背中に手を当てた。
(えっ? え……?)
ネネは勇次郎の意外な行動に胸が高鳴るのを感じたが、勇次郎に照れているような様子はなかった。
野球に関してストイックで真面目な勇次郎のことだ。恐らく真剣に自分のことを考えてくれてるのだろう。ネネは勇次郎に全てを委ねることにした。
背中に勇次郎の手の温もりを感じた。大きな手はネネに安心感を与えてくれた。ネネの心から不安や恐怖が消えていく。
「いいか? 大声出して恐怖を吹き飛ばすんだ」
「声を?」
「ああ、俺が『行くぞ』って言うから、お前も何か大声出せ」
「う、うん……」
勇次郎は大きく息を吸うと、大声を出した。
「よっしゃあ! 行くぞ!」
「お……おお──!」
そして、ネネは勇次郎に背中をぐいっと押され、右足を一歩踏み出すとラインを越えた。
「ほ、ホントだ。声を出したら足が動いた……」
「俺ができるのはここまでだ。後はお前次第だぜ」
勇次郎はそう言うと、三塁の守備位置に走っていった。
(ありがとう、勇次郎……)
ネネは帽子を被り直すと、キッと顔を上げてアスレチックスドームのマウンドに向かった。




