第60話「夢みる少女じゃいられない」前編
2月27日、レジスタンスの春季キャンプが終了した。
監督の解雇を賭けた紅白戦から始まり、投手陣の邂逅、公にはなってないが千野組との事件、と色々あったキャンプだが、その他には特に大きな事故や事件もなく終了した。
キャンプ途中、再び一軍対二軍の紅白戦が行なわれ、一部の選手の入れ替えがあったが、概ね大きな変動はなかった。
野手陣はゴールデンルーキー、織田勇次郎の加入により、打線に一気に厚みが増したことで、今川監督は打線の核となる四番打者を誰にするか決めかねていた。
四番候補は四人。
まずは、ここ数年、不動の四番を務めている「遊撃手、明智隼人」
それから、改心し復活を目指す「一塁手、黒田寛治」
キャンプ中盤から目を見張る打撃を見せている「右翼手、斎藤誠」
そして、ルーキーながら非凡な勝負強さを見せる「三塁手、織田勇次郎」だ。
今川監督と岩田打撃コーチは、この四人を三月から始まるオープン戦にてテストしていく予定でいた。
そして、投手陣も久しぶりに現場に復帰した杉山コーチ指導の元、着々と整備が進められていた。
先輩ローテーションを担う最有力候補は四人。
まずは昨年の勝ち頭「背番号18、朝倉俊樹」
次いで、朝倉に対抗心を燃やす「背番号17、松永茂樹」
通算198勝のレジェンド「背番号11、柴田省吾」
それから、紅白戦以降、めざましい活躍を見せている「背番号47、前田勇季」だった。
先輩陣は通常五人でローテーションを組むのが一般的であり、あとひとり、誰が先発ローテーション入りするかが最大の論点であった。
そして、この最後の……五人目の先発ローテーション入りを巡り、急遽、浮上してきたのが、史上初の女子プロ野球選手「背番号41、羽柴寧々」だ。
キャンプ中の紅白戦、練習試合にネネは好投した。当初は女性でルーキーのため、短いイニングで使っていく予定であったが、あまりに良い結果を残したので、先発の芽が出てきたのだ。
そして、今川監督はネネをテストすることにした。3月1日に一斉に開催されるオープン戦の先発投手にネネを指名したのである。
しかも、その相手は、昨年のパリーグの覇者でもあり、日本シリーズで東京キングダムを破り、名実ともに日本一の球団になった「福岡アスレチックス」だった。
オープン戦はアスレチックスの本拠地「福岡アスレチックスドーム」で開催される。
更にその試合、四番に座るのは織田勇次郎と決まった。
オープン戦とは、公式戦であるペナントレース前の実戦感覚を養う試合であるが、そんなオープン戦に、ルーキーが揃って先発と四番を務めるとは前代未聞であり、各スポーツ紙は「新生レジスタンス、前代未聞の発進」と伝えていた。
そして、迎えた3月1日。福岡アスレチックスドームに乗り込んだレジスタンスナインは、試合開始の午後二時に向けて練習を行なっていた。
打撃練習が終わる頃、明智が毛利に声をかけてきた。
「毛利、昨日はネネたちと食事行ったんだよな」
この頃には、チームメイトたちはネネとすっかり打ち解けて、下の名前で呼ぶようになっていた。
「アイツ、今日先発だが、どうだ? アスレチックス相手に緊張してなかったか?」
「いや……それより、昔から憧れてる選手がアスレチックスにいるからって、楽しみにしてたよ」
「へえ、珍しいな。アイツがそんなこと言うなんて。誰なんだよ?」
「松尾さんみたいだよ」
「え!? あのマツケンさんか!?」
松尾憲二郎、投手、33歳。
福岡アスレチックスに所属しているが、四年前までは東海レッドソックス、通称「Tレックス」に所属し、クローザーだった男だ。
細身で甘いマスク。150キロを越すストレートが武器。「マツケン」という愛称で、Tレックスきつての人気選手だったが、六年前に肩を壊して以来、中継ぎに転向し、打たせてとるピッチングにモデルチェンジした。
だが、中々結果が出ず、四年前にアスレチックスにトレードされていた。
「松尾さんに憧れてたみたいだから、背番号も同じ『41』にしたみたいだよ」
毛利が説明する。松尾はTレックス時代もアスレチックスでも背番号41を背負っている。
「マツケンさんはイケメンでスタイルも良くて、女に人気あったからなあ。しかし、ネネもやっぱり女だな、イケメン好きとはな」
明智が笑う。
「いや……顔じゃないみたいだよ」
「ほう」
毛利と明智が話している中、ネネがやってきた。
「明智さん……」
「どうしたネネ? ちょうど、今、お前の憧れの人の話をしてたところだ」
明智がネネを茶化す。
「あ……実はそのことで相談があって」
ネネはモジモジしていて、明智と毛利は首を傾げた。
レジスタンスの全体練習が終わると、明智とネネはアスレチックスベンチに向かった。
「明智さん、すいません……明智さんはアスレチックスの石川さんと知り合いだったから、無理なお願いしちゃって」
ネネはすまなさそうな顔をしている。
「ああ、全然いいぜ、アイツは舎弟だからな。それより何だよ、その古いボールは?」
ネネは古いサイン入りボールを大事に両手で持っていた。
「コレは……私の宝物です」
ネネは恥ずかしそうに笑い、サインボールにまつわる昔話をしだした。
それは12年前──。
当時6歳のネネは父親に連れられて、Tレックスドームに来ていた。生まれて初めての野球観戦だった。
初めて来た野球場。グラウンドを躍動するプロ野球選手のプレイにネネは心を奪われた。
その中でも一番印象に残ったのは、その日、クローザーで出てきた背番号41の松尾だった。
細身の身体から150キロを超えるストレートを連発し、三振を奪う姿にネネは心を奪われ、松尾のファンになった。
そして、ネネはどうしても松尾のサインが欲しくて、ドーム裏で出待ちをした。
松尾はイケメンだったから女性ファンが多く、小さいネネは皆の隙間から松尾を探した。
「あ、来た──! 松尾く──ん!」
「ケンちゃん、今日もカッコ良かったよ──!」
「サイン、ちょうだ──い」
松尾が通用口から現れると、女性ファンたちの黄色い声が飛んだ。
殺到するファンに球団関係者が声をかけた。
「ダメだよ! サインは禁止! 松尾選手は疲れてるんだから!」
すると松尾はにっこり笑った。
「いいですよ。みんな待っててくれたんだから……でも皆さん、ちゃんと並ぼうね」
「キャ──! 性格までイケメン!」
爽やかな松尾に促され、皆が列を作り、サインをもらうために並び出した。
「ネネー、お父さん、疲れたから、あっちのベンチにいるからな──」
ネネの父はそう言うと行列から離れた。
「う、うん……」
ネネは売店で買ったTレックスの硬式球を大事に手に持ってひとりで列に並んだ。その間も列はどんどんと長くなる。
松尾はサインをしてプレゼントを受け取る。
そして遂にネネの番が来た。目の前の人のサインが終わったら自分の番だ。
だが、そこで球団の人から声がかかった。
「松尾くん、もうそのあたりで……キリがないよ」
「あ、じゃあ、あとひとりサインしたら終わります」
(……良かった、ちょうど、私だ)
前の人のサインが終わり、ネネが歩き出したときだった。
「ちょっと、どいてよ!」
突然、後ろにいた中年の女性にネネは突き飛ばされた。
(あ……ボールが……!)
手に持っていたボールが転がり、ネネはボールを追いかけて列を離れた。その隙に後ろの女性が松尾の前に立った。
「松尾くん、今日もカッコ良かった──! サインちょうだい」
順番を抜かされたネネは呆然とした。現場を見ていた球団関係者も見て見ぬふりだ。
(私の順番だったのに……)
ネネは悲しくて涙が出そうになった。その時だった。
「ダメだよ、順番抜かしちゃあ」
松尾が爽やかに女性を注意した。その言葉に女性は唖然としていた。
松尾は列から離れて、しゃがみ込んでいるネネの所に歩み寄った。
「大丈夫? 怪我はない?」
松尾はネネの手をとり、爽やかな笑みを浮かべた。
「は、はい……」
(私が並んでたところを見ててくれたんだ……)
ネネは松尾の優しさに胸が熱くなり、おずおずとボールを差し出した。
「名前は?」
松尾は優しい声で話しかけてきた。
「は、はしばねね……」
ネネはドキドキしながら答えた。
「ネネちゃんかあ、可愛い名前だね。野球好きなのかな?」
「は、はい! 大好きです! 将来はプロ野球の選手になりたいです!」
「そっかあ」
松尾は笑みを浮かべながら、ボールにサラサラとペンを走らせ、サインボールをネネに手渡した。
サインボールには『ネネちゃんへ プロの世界で待ってる 松尾 41』と書かれていた。
「じゃあね」
ネネは颯爽と立ち去る松尾の背中と背番号41をポーッとみていた。
「……その日から、このボールは私の宝物なんです」
アスレチックスドームの通路を歩くネネは、松尾のサインボールを大事に両手で包んだ。
「そんなことが、あったのか……」
隣を歩く明智はネネを優しい目で見つめた。
選手通路を歩いていくふたりはアスレチックス側のベンチ裏に着いた。
そこには背番号15を着けた石川がいた。以前、自主トレ中にネネの怒りを買い、全力のストレートを投げられたアスレチックスのキャッチャーだ。
「石川さん、お久しぶりです。今日はありがとうございます」
ネネはペコリと頭を下げる。
「あ、ああ……」
前の件があって以来、石川はネネを警戒している。
「悪いな石川。ネネがどうしても松尾さんに会いたいっていうからよ。それで松尾さんは……?」
明智が尋ねると、ベンチ側のドアが開き、松尾が出てきた。
松尾は若い頃のシュッとした面影はなく身体は中年体型になり、無精ひげを生やしていた。
しかし、ネネには外見が変わろうが関係ない。12年前にサインをくれた松尾に変わりはない。再び会えたことに嬉しく、憧れの目で松尾を見つめた。
だが、そんなネネとは対照的に松尾は死んだような目をしていた。




