第56話「エースの憂鬱」後編
「え、え─と、じゃあ、ルールを説明します」
柴田が皆の前で声を上げた。
「今から全員でステーキを食べて、一番多く食べた人が優勝。そして、優勝者は今日の会費はタダです」
急遽、開催されることになったステーキ大食い勝負……皆が戸惑う中、朝倉、松永、ネネの三人はヤル気十分で、ステーキが到着するのを今か今かと待っていた。
ドン!
皆の目の前に1キロのステーキが置かれた。ジュウウウ……と鉄板の上で肉の塊がすごい音を立てている。
「ケッ、これくらい余裕だぜ」
朝倉がナイフとフォークを手に取った。
「同感だ。それよりお前、ギブアップするなら、今のうちだぜ」
松永がネネを見る。
「何、言ってるんですか? こんな美味しそうなステーキ、私、ペロリですよ」
ネネは目を輝かせて、ステーキを見つめている。それを見た朝倉と松永は密かに闘志を燃やす。
「さ、さあ、じゃあ始めようか。制限時間は一時間で……みんな、決して無理はしないようにね」
柴田の号令で、フードバトルが始まった。
皆、一斉にキコキコと肉を切り出す。
「わ、わあ〜! 肉肉しくて、美味しい〜、幸せ〜♪」
ネネは肉をガッツリ頬張っている。
「羽柴さん、無理しないでいいからね」
前田がネネを気遣う。
プロ野球選手といえど1キロの肉を完食するのは至難の技だ。皆、無言で肉を次々と口に運ぶ。
そんな中、ネネが店員を呼んだ。
「すいませ──ん。ライスを大盛でくださ──い」
周りが……特に朝倉と松永が、はあ? という顔をした。
(何考えてんだコイツ……米なんか食べたら、それだけで腹が膨れるだろうが……)
「おい、言っとくが、いくら米を食べてもカウントはしないからな」
松永が怪訝そうな顔をするが「分かってますよ。でも、私、肉は米がないと食べれないんですよ─」と、ネネは無邪気な笑顔を見せた。
そして、ネネの目の前に大盛のライスが置かれた。
1キロのステーキを食べるだけでも、ひと苦労なのに、ネネは実に美味しそうに、肉と米を交互に口に運ぶ。
「お、お代わりだ」
「お、俺もお代わり」
朝倉と稲葉が更に1キロのステーキを追加した。
他の選手たちを見渡すと、自分たち以外は1キロのステーキを食べるのが限界のようだった。
(羽柴も米を食べている以上、お代わりはできないだろう。どうやら、コイツと一騎討ちだな……)
朝倉と稲葉は無言で顔を見合わした。
目の前に二皿目のステーキが置かれると、ふたりは一心不乱に肉を切り出した。その時だった──。
「お代わりくださ──い」と、ネネの声が聞こえた。
朝倉と松永は肉を頬張ったまま、驚いた顔でネネを見た。
ネネは1キロステーキとライス大盛りを完食し、二皿目の1キロステーキに取り掛かろうとしていた。
「あ、それと、ライスのお代わりもお願いしま─す」
辺りが……レジスタンス投手陣だけじゃない。周りで食事をしていた人たちもざわつき始めた。
「ま、マジかよ?」
「どこに入っていくんだ!? すげえな羽柴!」
皆の声が聞こえる。いつの間にか、朝倉、松永両グループの選手たちがネネを取り囲んでいた。また周りの客たちも、何事か? とテーブルに集まってきた。
「美味し──!」
二皿目に入ってもネネの食べるペースは落ちない。笑顔で肉と一緒にライスを食べている。
朝倉と松永は青ざめた。
「お、おい、オンナに負けてられるか! 俺たちも食うぞ!」
「お、おう!」
あれほどいがみ合っていた朝倉と松永だったが、ネネという共通の敵が現れたことで、意図せず奇妙な連帯感が生まれていた。
そして、四十分が経過した。
この時点で、ステーキを食べているのは、ネネと朝倉、松永の三人だけになった。そんな中、店長の声が聞こえた。
「すごいね! 流石、女性初のプロ野球選手だけあるね! コレ、ウチのおごりだから食べて!」
フードバトルをしていることを知らない店長がネネの食べっぷりを気にいって、ロブスターのグリルとフライドポテトをテーブルに置いた。
ステーキ以外に食べ物が増えて、普通なら顔をしかめるところだが、ネネは逆に目を輝かせた。
「え──! いいんですか!? 店長さん、ありがとうございます!」
ネネはステーキに加えて、ロブスターとポテトも食べ出した。
「いい食いっぷりだなあ、羽柴寧々選手だっけ? 俺、ファンになっちゃったよ。今年はレジスタンスを応援するね」
ネネの食べっぷりに店長も嬉しそうだ。
「はい、ありがとうございます!」
ネネはニコニコと笑う。
(ば、化け物か……アイツ……?)
何とか二皿を食べ切った朝倉と松永だったが、ふたりも既に満腹で限界を迎えていた。
だが、ここで止めるわけにはいかない。なぜならネネは三皿目までお代わりしそうな勢いだったからだ。
(あれ?)
しかし、その時、ふたりはネネの皿を見て違和感を覚えた。同じようなペースで食べているのに、ネネのステーキはまだ半分以上残っていたからだ。気のせいかステーキが増えたように見えた。
(意外に食ってないな、アイツ……)
「あと10分だ」
柴田からラスト10分の合図が入った。すると、ネネが「う──ん、三皿目は無理かなあ……」と言う声が聞こえてきた。
ネネの発言を聞いた朝倉と松永は息を吹き返した。
どうやら、羽柴は2キロが上限みたいだ。それならあと少し食べれば勝ちだ……と。
ふたりは示し合わせたように、100グラムのステーキを注文した。
(これを食べ切れば、100グラムの差で勝ちだ……)
朝倉と松永は必死でステーキを口に運んだ。
「そこまで──!」
ふたりが100グラムのステーキを食べ終わる頃、タイムアップの声が掛かった。
パチパチパチ……。
拍手の音が聞こえる。食べることに夢中で気付かなかったが、いつしか店内の客が全員集まり、フードバトルを観戦していた。
朝倉と松永はネネの皿に目を移した。ネネはステーキは食べ終わっていたが、二皿目がラストだった。
ふたりは顔を見合わせ、心の中で会話をした。
(……どうやら、引き分けのようだ)
(……ああ、でも羽柴には勝ったぜ)
ふたりの間に奇妙な友情が生まれていた。
「では、優勝者を発表する……優勝は……」
柴田が結果発表をする。
(ふたり同時優勝だ。負けはない)
朝倉と松永に笑みが浮かぶ。
「優勝者は……羽柴寧々!」
「やったあ──!」
だが、名前を呼ばれたのはネネだった。ネネは飛び上がって喜んだ。
その姿を見て、周りのチームメイトや来店客たちがネネを称えた。
「すごいよ、羽柴さん!」
「すごいな、お前! 男でもここまで食えないぞ!」
「女の子なのに、すご──い! 野球も応援するね!」
「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ! 羽柴が食べたのは二皿でしょ? 計算がおかしいですよ! 俺たちの方が100グラム多く食べてるはずです!」
「そうですよ! あとロブスターとポテト、ライスもカウントしてませんか!? あれはノーカンですよ!」
勝利を確信していた朝倉と松永が柴田に抗議するが、柴田は首を振った。
「いや……羽柴は1キロステーキを二皿食べただけじゃなく、前田が残したステーキも食べてるんだ」
(は、はあ? てことは、俺たちが二皿目を食べ終わった時に羽柴が食べていたのは、前田が食べきれなかったステーキ!?)
朝倉と松永は呆然とした。
食べてる途中、ネネの食べているステーキの量が増えた気がしていたが、気のせいではなかった。それは前田の分のステーキだったのだ。
「ま、前田が残したステーキは何グラムだったんですか?」
「500グラム……」
「は、はあ──!?」
朝倉と松永は同時に大声を上げた。
(ステーキを2.5キロ完食しただけでなく、ロブスターにポテト、それに大盛りのライスまで食べた?)
すると、呆然としているふたりの前に、ガラスの器に入ったアイスクリームが置かれた。
「え? これは……?」
「コースのデザートです」
女性店員がニッコリ笑う。
(た、食べれるワケないだろうが……)
だが、ネネは目を輝かせると、スプーンを持ってアイスを食べ出した。
「わ──、アイス、美味しい──!」
「羽柴さん……よ、よく食べれるね……」
隣に座る前田はネネの食欲に驚愕している。
「うん、だってデザートは別腹だもん」
ニコニコしながらアイスを食べるネネを見て、朝倉と松永はテーブルに突っ伏した。
(な、何て女だ……バケモンか……?)
そして、翌日の練習前。投手陣は皆、ネネの周りに集まって楽しそうに話をしていた。
元々、紅白戦で活躍して、ネネの実力は知れ渡っている。そこに昨日の大食いをしたことで一気に親しみが増して、ネネは投手陣の人気者になっていた。
一方で朝倉と松永はポツンとしていた。自分のグループの選手たちは、全員、ネネの元に集まっていた。
また、ふたりはネネの内蔵の強さに驚愕していた。昨日の大食いが祟り、胸焼けして今朝は朝食が食べれなかったのに、ネネはしっかり朝食も食べたという。
(何なんだ? あのオンナは一体……? そして、俺らの立場は……)
そんなふたりの姿を見つけたネネが近寄ってきた。
「あ! 朝倉さん、松永さん、ストレッチの時間ですよ」
ネネは笑顔でふたりの腕を引っ張っると、皆の輪に連れていった。
(……敵わねえなあ、コイツには)
ふたりは苦笑いしながら、ストレッチの輪に加わった。
ストレッチが終わると、ランニングが始まる。
柴田は一番後ろについて、皆の走りを眺めていたが、ふと、あることに気付いた。
それはランニングの様子だった。
今までは、朝倉派、松永派に分かれてランニングしていたのだが、皆、派閥もなく、一緒にまとまって走っていた。リーダー格の朝倉、松永でさえも並んで走っている。
ランニングの先頭はネネだった。元気に走る背番号41の背中が見えた。
柴田は一番後ろから投手陣を見守りながら、ニッコリと微笑んだ。




