第51話「最終回の攻防」後編
一軍対二軍の紅白戦も遂にクライマックスを迎えた。
九回裏、二軍の最後の攻撃。スコアは5対2と一軍が三点のリードだが、状況はワンアウト満塁。
一発でれば逆転サヨナラ勝ちの場面で、バッターは四番に座るゴールデンルーキー織田勇次郎だ。
「タイム!」
そんな状況で、黒田がタイムをかけマウンドへ向かった。他の内野陣も集まろうとするが黒田は手で制する。
「歩かせろ」
黒田が敬遠の指示を出したので、三好は一瞬耳を疑った。
「え……? ま、満塁ですよ……歩かせたら押し出しで、一点じゃないですか……?」
三好は激しく動揺するが、黒田はニヤリと笑う。
「いいじゃねえか、一点入ってもまだ5対3だ。リードは二点ある。どうせ、織田の後のバッターは大したヤツじゃねえ」
「で、でも……」
ドスッ!
「うっ……!」
敬遠の指示に納得いかない三好の腹に黒田の拳が入る。
「……いいから、言う通りにしろや」
「……織田を歩かせるんですか?」
すると、いつの間にかマウンドに蜂須賀と明智が来ていた。
「おお、安パイな五番で勝負しようと思ってな」
黒田がニヤリと笑う。
「黒田さん……」
明智が意を決して口を開く。
「黒田さん……もう止めましょう。こんなことは……」
明智の予想だにしない発言を聞いた黒田は顔色を変えた。
「明智……何だその口の聞き方は? 誰に向かって口をきいてる!」
怒りに満ちた顔で明智の胸ぐらを掴んだ。
「黒田さん、俺らは羽柴寧々に叩きのめされて目が覚めたんです。俺たちは間違ってる……今のままじゃ、ダメだと……」
明智の言葉を聞いて、蜂須賀も無言で頷いたが、黒田は更に怒気を強めた。
「何い……?」
「誤解しないでください。この試合には勝ちたい。でも姑息な手を使ってまで、勝ちたくないんです……」
「何が姑息だ!? 敬遠は立派な作戦だろうが!」
黒田が怒鳴り声を上げた。
その頃、二軍ベンチでは、マウンドの異変に気付いた選手たちが、黒田のやり取りを見ていた。
「な、何か揉めてますね……」
由紀が今川監督に話しかける。
「大方、勇次郎を敬遠するかどうかで揉めてるんだろう。バカなヤツだ。権力に固執するあまり、大事なことを忘れてやがる……」
「そ、そんな……もし、織田勇次郎が敬遠されたら、この試合は……」
「ん……? ちょっと待て、どうやら、この問題を収めるために大御所が登場だ」
今川監督が見つめる先にはひとりの男性がいた。ユニフォームを来たその男性はゆっくりとマウンドに向かっていった。
「何を揉めてるのかな?」
揉めるマウンドにひとりの男性が現れた。その男性の姿を見た黒田は驚きの声を上げた。
「あ、アンタは……?」
黒田は明智から手を離した。三好はホッとした顔で、その男性の名前を呼んだ。
「し、柴田さん……」
突如、現れた男の正体は「柴田省吾」、レジスタンス一筋のベテランピッチャーだった。歳は43になるが、この歳になっても先発ローテーションを守っている。
通算勝利数は198勝。名球界入りの200勝まであと2勝と迫っていて、レジスタンスの生きるレジェンドだ。背番号は歴代レジスタンスのエースが付けた11番を背負っている。
「黒田……三好に勝負させてやりなさい」
柴田はニコニコしながら口を開いた。
「い、いや……いくら柴田さんの頼みでも、それは……一発打たれたら逆転負けですよ」
黒田が焦りながら言う。
「逆転負けになったら何だ? 今川監督体制に戻るだけじゃないか? 何かお前にとって都合が悪いことでもあるのか?」
「い、いや……別に……ただ明智が殴られているから、その……」
柴田は優しい目で明智を見つめた。
「明智……今川監督を恨んでいるのか?」
「い、いえ……悪いのは俺だったから、恨んでるとは……」
柴田の前では嘘はつけない。明智は正直に答えた。
「黒田……」
柴田は黒田の肩に手を置いた。
「お前の試合に賭ける執念は分かる……だがな、まだ実戦経験のないルーキーを押し出ししてまで敬遠させるのは、三好のプライドをズタズタにしているのと同じだぞ」
「柴田さん……」
三好は潤んだ目で柴田を見つめた。
「もう一度言う……黒田、三好に織田と勝負をさせろ。これは、レジスタンス投手陣のリーダーとしての命令だ」
柴田は穏和な表情から一転、黒田を強い口調で諫めた。
流石の黒田も最年長の柴田には逆らえず「わ、分かりましたよ……」と、渋々、返事をした。
黒田たち野手陣は各ポジションに戻り、柴田もベンチに戻った。その様子を見ていた二軍ベンチでは、今川監督が腕組みをした。
「どうやら、勝負だな」
「ええ」
北条が今川監督の隣に座る。
「あとは織田を信じましょう」
長いタイムが終わるのを見届けた勇次郎は打席でバットを大きく構え、その姿を見た三好は気合いを入れ直した。
(まだ高校生のガキに負けるか……)
三好はセットポジションに構えた。
勇次郎は集中力を高める。すると周りから音が消えて、目の前のピッチャーだけが、ぼうっと浮かび上がるのが見えた。
『私たちでレジスタンスを変えようよ』
不意に昨日のネネの言葉が再生される。
(大したオンナだぜ、アイツは。結局、一軍を0点に抑えちまった。アイツとなら……本当にこの球団を変えることができるかもしれない)
勇次郎は微かに笑みを浮かべた。
ワンアウト満塁、緊張の第一球。
三好が投じたスライダーが外角いっぱいに決まりワンストライクを奪う。
勇次郎のバットはピクリとも動かない。
二球目は外角アウトローにストレート。
これもギリギリに決まりツーストライク。またしても勇次郎のバットは動かない。
ツーストライクに追い込まれたが、勇次郎は全く動じていない。その落ち着き振りに三好は不気味さを感じた。
(何だコイツの落ち着きぶりは? ルーキーとは思えないぞ。一体、何を待ってるんだ?)
バッテリー間に緊張が走る。
三球目は外角へのスライダーだが、明らかなボール球。これも勇次郎は悠然と見送り、カウントは1-2となる。
三好はキャッチャーとサインを確認する。
バッテリーが出した結論は、一球内角に厳しいボールを投げて、最後は外角に逃げるスライダーで打ち取る、というものだった。
三好はセットポジションから勇次郎の胸元……インコースにストレートを投じた。
決め球を投じる前の「撒き餌」のための一球。コースは内角高めで、見送ればボールになる球だ。
だが、勇次郎はこの内角のストレートを待っていた。
ホームランを打つには、このコースのストレートを打つのが一番確立が高いからだ。
勇次郎は上手く腕を折りたたむと、バットを勢いよく振り抜いた。
カキ──ン!
快音を残して、ボールは高々とレフト方向へ舞い上がった。
沖縄の青空に白いボールが溶けて、全員が打球の行方を見つめた。
勇次郎はバットを放り投げると、ゆっくりと一塁に向かって歩いた。
ベンチから打球の行方を見届けた今川監督は確信する。
(この場面で何て勝負強いヤツだ。間違いない……コイツは天性のクラッチバッターだ……)
綺麗な放物線を描いたボールはレフトスタンドに突き刺さり、直後、二軍ベンチから歓喜の絶叫が響き渡った。
勇次郎が放った一発は、二軍を勝利に導く劇的な逆転サヨナラ満塁ホームランだった。




