第50話「最終回の攻防」前編
一軍対二軍の試合も残すところ九回のみとなった。
スコアは5対2、一軍リードのまま九回表は一軍の攻撃になり、迎え打つ二軍のマウンドには、ネネに代わって前田が登板していた。
(あの野郎、裏切りやがって……)
一軍ベンチでは黒田が歯軋りしている。
ガン! そして、ベンチを蹴り上げて怒号を上げた。
「お前ら、相手はあのヘタレの前田だ! ビビることはねえ! 徹底的に叩きのめしてこい!」
一方で北条はキャッチャーマスクを被り直してサインを送る。
(肩はすぐ作れるといっていたが本当か? とりあえず、ボールになる球で様子を見るか?)
しかし、マウンドの前田は首を振る。
(大丈夫です。ストライクを投げて勝負します)
前田の強い意思が伝わってくる。
(そうか……じゃあコレはどうだ?)
北条が再び出したサインに前田は頷く。
前田は大きく振りかぶった。身長が190センチあるからまるで巨人のようだ。
ゆったりしたモーションから、長い左腕がムチのようにしなり、ど真ん中に伸びのあるストレートが放たれた。
バッター強振するも、空振りでワンストライク。
(ほう……度胸あるじゃないか……)
北条は感心する。
前田は堂々とマウンドに立っていた。
(羽柴さんのピッチングを見習え。絶対に……絶対に逃げないぞ……)
二球目は外角低めにストレート。これもギリギリ決まり、ツーストライクだ。
スピードは目を見張るほどではないが、長い手足を生かした投球なので、球持ちが良く、またストレートに伸びがある。それとコントロールが抜群だ。
(コントロールが良いな。しかもサウスポー、コイツはまたリードしがいがあるピッチャーだ)
北条はほくそ笑んだ。
(ぐ、ぐぬぬ……!)
堂々としたピッチングを見せる前田に、黒田は更に怒りを募らせた。
(何だ、何だ、ヘタレの分際で……!)
「前田! テメエ、覚悟してろよ! 絶対に許さんぞ!」
黒田の大声に前田は一瞬ビクッとして、弱気の虫が顔を出したが、すぐにネネの言葉を思い出した。
『臆病じゃなくて、人一倍優しいだけ』
(羽柴さん、ありがとう。今まで、僕にそんな前向きな言葉をかけてくれた人はいなかった。君が0点で抑えたマウンドは僕が守ってみせる……!)
前田は大きく振りかぶって三球目を投げた。ど真ん中にストレートが飛んでくる。
バッターはチャンスと思い、強振するが、ボールはストレートと全く同じ軌道で減速すると、真下にスーッと落ちた。
「ストライク、バッターアウト!」
ストレートと同じ軌道から、真下に落ちる前田のウイニングショット『パームボール』だった。
「いいぞ、前田!」
前田はコーナーを正確に突くストレートとパームボールを駆使して好投を見せる。
また北条のリードも冴え渡り、終わってみれば危なげない投球で、この回を三者凡退、無失点に抑えた。
「ナイスピッチだ! やればできるじゃねえか!」
ベンチでは今川監督が笑顔で出迎えてくれる。
「前田さん、ナイスピッチです!」
「よく投げたぞ!」
毛利や他の選手たちからも、労いの言葉が飛ぶ。
前田は由紀に抱き抱えられ、寝ているネネの様子を伺った。ネネはスヤスヤと眠ってる。
「羽柴さん、ありがとう。君のおかげで僕はまたマウンドに立つことができたよ」
前田は寝ているネネに声をかけた。
「フン、まあまあのピッチングね」
由紀がツンとした表情で褒めると、前田はニッコリと微笑んだ。
そして、九回裏、二軍最後の攻撃となる。スコアは5対2と一軍の三点リードだ。
攻撃前に今川監督が円陣を組み、檄を飛ばした。
「さあ、最後の攻撃だ! この試合に延長はない! 四点取って逆転サヨナラだ!」
「おう!」
二軍の先頭バッターは九番のピッチャー前田から。本当は代打を送りたいが、交代できる選手がいないため、前田がそのまま打席に立つ。
左バッターボックスに入る前田。一軍の最後を締めるピッチャーは、抑えを担当している「三好和博」、背番号は「21」だ。
その三好に黒田はあるサインを送っていた。
初球、三好が投じたのはストレート。だが軌道がおかしい。
ボールはストライクゾーンを外れ、前田の右肩を直撃した。
(俺を裏切った報いだ。これで意気消沈しやがれ……)
黒田は、ほくそ笑む。しかし……。
黒田の意図に反して、前田はガッツポーズして一塁に向かった。
(な、何い……?)
今までなら怖気付いて、シュンとなっていたはずだ。そんな前田が闘志を全面に出していることに黒田は目を疑った。
「ナイスファイトだ! 前田!」
二軍ベンチから声援が飛び、前田は一塁ベース上で笑顔を見せる。
「毛利! 後に続け!」
皆の声援を受け、毛利が打席に向かう。
(バカな……なぜ、あんなにチームがまとまってるんだ……?)
その声援の中心には今川監督が見える。
(アイツか……今川あああ……!)
黒田は更に憎しみを募らせる。
ノーアウト一塁の場面で、左バッターボックスに毛利が入る。
初回の攻撃以降、毛利は徹底的にマークされていて、厳しいコースへの攻めが続いていた。
毛利はバットを大きく構えた。その構えからスクイズはないと判断したのか、三好が内角の厳しいコースに一球目を投げた。
すると、すかさず一塁ランナーの前田がスタートを切った。
(ヒットエンドラン!?)
守備陣が動揺した隙に、毛利は素早くバントの構えに切り替え、セーフティスクイズを仕掛けた。絶妙なバントで三塁線にボールが転がる。
(な…!?)
完全に意表を突かれたサード黒田はスタートが遅れた。黒田がボールを掴むころには、毛利は一塁ベースを駆け抜けていた。これで、ノーアウト、一、二塁だ。
(ど……どいつもこいつも俺をコケにしやがって……!)
黒田の怒りはピークに達した。
続く二番バッターは初球を叩くが、打球はボテボテのファーストゴロ。
しかし、当たり損ないが幸いした。送りバントのような形になり、ランナーはそれぞれ進塁。ワンアウト、二、三塁となった。
二軍の畳み掛けるような攻撃で、一発出れば同点のチャンスだ。
打席には三番バッターが入る。ネクストバッターサークルには織田勇次郎の姿が見える。
(くっ……織田まで回るか!)
黒田は歯軋りする。
「おいピッチャー、絶対抑えろよ!」
黒田がピッチャーに檄を飛ばす。しかし、これが逆効果だった。
三好は元々、そんなにメンタルが強くない。動揺したのかストライクが入らず、フルカウントから粘られフォアボールとなる。これで、ワンアウト満塁になった。
そして、迎えるバッターは四番、織田勇次郎。二軍ベンチからは大声援が飛ぶ。
「いけえ! 織田!」
「逆転サヨナラだ!」
たまらず、黒田はベンチの土田コーチにピッチャー交代のサインを出す。
しかし、土田は泣きそうな顔で、身体の前で大きくバツを作った。一軍もピッチャーを使い切っていたのだった。
一発でれば、二軍が逆転サヨナラの場面だ。
しかし、なぜか黒田は不適な笑みを浮かべていた。それは、まるでまだ何か切り札を隠しているような顔だった。




