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ライジングキャット★ベースボール  作者: 鈴木涼介
第1章 プロ野球入団編
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第5話「危険な賭け」

 伊藤スカウトが帰った後、羽柴家では急遽、家族会議が開催された。

 羽柴家では大事なイベントの時には、家族全員の多数決で決める、というルールがある。本日の議題は『ネネが大阪レジスタンスに入団するかどうか』だった。


 参加者は、当事者のネネに父と母、それとネネの三つ上で地元の信用金庫で働いている姉の菜々、ネネの三つ下で中学三年生の妹の希貴キキの五人だ。


「え──! すごいじゃん、ネネちゃん! プロ野球の球団からスカウトされるなんて! 契約金とか、ガッポリもらえるんでしょ? い──な──!」

 開口一番、妹のキキが無邪気に言葉を発した。

「いや、それがすぐにプロで、ってわけじゃないんだ。なあネネ?」

 父が腕組みをしながらネネの方を見た。ネネはうなずいて、先程の伊藤スカウトの話を説明し出した。


「プロ野球の世界には『育成選手制度』というものがあるの。これはプロ野球の選手として球団に所属できる一定の選手以外に育成を目的として契約された、いわば練習生という立場の選手のことで、今回大阪レジスタンスは、私をこの育成選手として契約したいと言っているのよ」

「え──? でも、プロはプロなんでしょ──? ちゃんとお金も貰えるし、一体何が違うの──?」

 キキが首をかしげている。今度は父が説明を始めた。

「スカウトさんの話だと、育成の場合、契約金はなし、年俸も少ない。また試合も出場できるのは二軍の試合まで、それと三年の期限があり、期限までに球団の『支配下登録選手』にならないと契約は解除……つまり解雇になるらしい」

 父は難しい顔をして更に話を続ける。

「それともうひとつ条件があって、レジスタンスはネネに対して入団テストを行ないたいと言っているんだ」


 一連の説明を聞いて、次は姉の菜々が口を開いた。

「えっと……つまり、まずは入団テストに合格しないとダメ。それから更に育成契約から支配下登録選手にならないと、プロとして一軍の試合に出ることができないってこと?」

 姉の問いにネネは無言でうなずき、父は更に説明を続けた。

「しかも、レジスタンスには育成選手が三十人近くいるから、その中でも毎年支配下登録選手になれるのは、ひとりかふたりらしい。また育成選手と言っても、そこにいるのは甲子園出場者や大学、社会人、独立リーグ経験者の高いレベルの選手ばかりだ。そんな中に、何の実績もないネネが飛び込んで、支配下選手になれる保証はない」


「そう……結構、厳しい条件なのね……ねえ、ネネはどうしたいの?」

 普段から温厚な菜々はネネに優しく問いかけた。

「厳しいのは分かってる。でも、私は……」

 ネネは言葉を絞り出す。

「私は……それでもプロ野球選手になりたい……」


 しかし、そんなネネに対し「私は反対です。男だらけの世界に女のネネが飛び込んでもいいことなんてひとつもない。それに今まで女性のプロ野球選手なんてひとりもいなかった。絶対に反対です」と、母親が強い口調で言い切った。

「そ、そうか? でも成功すれば、女性初のプロ野球選手の誕生だよな」

 父が場を和ますように笑いながら発言した。

 すると母がテーブルをバン! と叩き父を睨みつけた。

「いい加減にしてください! 何かあって傷つくのはネネなんですよ!」

 いつも温厚な母が怒っている……。全員、シーンと静まり返ったが、良い意味で空気を読まないマイペースな妹のキキが沈黙を破った。


「え──? 何で反対なの? 私はネネちゃんがプロ野球選手になることに、さんせ──い。だって、ネネちゃん自身がプロ野球選手になりたいって言ってるし、反対する理由なんてないじゃん」

 そう言うと、ネネの方を見て笑った。

「わ、私も賛成します……」

 続いて姉の菜々がおずおずと手を挙げた。

「ネネがやりたいっていうなら、私は応援してあげたい……」

「キキ……それにお姉ちゃん」

 姉妹ふたりが自分の夢を応援してくれている。それがネネには嬉しかった。


「ははっ、こりゃ決まりだな。俺も娘の夢は応援してやりたい。ネネに一票だ」

 父親もネネを支持した。これで四対一、多数決はネネの勝ちだ。しかし、母は納得のいかない顔をしている。

「お母さん、ごめんなさい……でも私、自分に嘘はつきたくないの」

 ネネがそう訴えるが、母は「勝手にしなさい」と言い、テーブルを立った。


 こうして、羽柴家の家族会議は終わった。

 ネネはすぐに伊藤スカウトに連絡を取ると、改めてプロ野球選手になりたい、と伝えた。伊藤はその言葉に喜び、また連絡すると言い残し電話を切った。


 電話を切った後、ネネは自分の部屋のベッドに仰向けになり、硬式のボールを手に取った。

 シュルル、シュルル……。

 指先でスピンをかけて天井ギリギリまでボールを投げる。ボールは天井まで真っすぐに上がり、投げた手元に正確に落ちてくる。

(今日は夢みたいな日だったなあ……まさかプロ野球のスカウトが家に来るなんて。芸能界にスカウトされる子も、こんな感じなのかな?)

 ネネは嬉しくなって、えへへ、と笑うと、先程の伊藤スカウトの言葉を思い出した。


『キミの投げるボールには、とても奇麗な縦のスピンがかかっている。それが織田勇次郎を空振りさせたストレートの正体だ』


(奇麗な縦のスピンか……確かにあの日、石投げと同じように風に乗せる感覚でボールを弾いたら、マウンドから見て自分が投げたボールが浮いたように見えた。そのストレートが私の武器なんだ……)

 しかし、同時に不安にもなる。

(伊藤スカウトは入団テストを行うと言った。それは果たしてどんなテストなんだろう?)


 その頃、ネネからの電話を受け取った伊藤スカウトは名古屋の繁華街の居酒屋にいた。

 カウンターでひとり飲んでいると、隣にガラの悪い男が腰を下ろした。先程まで織田勇次郎と面談していた今川監督だった。


「姉ちゃん、生中ひとつね」

 今川監督は注文を取りに来た女性に、すぐさま生ビールを注文した。

「監督、織田勇次郎との面談、お疲れさまでした。どうでしたか?」

「ああ、予想通りだ。レジスタンスのことを相当、毛嫌いしてやがる」

 今川監督は渋い顔をした。

「そうですか……」

 ビールが運ばれてきたので、今川監督は伊藤スカウトのビールジョッキに軽く乾杯すると、ビールをグイグイと流し込んだ。

「ああ、うめえ! 慣れねえことしたから、喉がカラカラだ!」

 そう言うと、スーツを脱ぎネクタイを緩めた。

「残念でしたね。わざわざ名古屋まで足を運んだのに」

「そんなことないぜ」

「え?」

「例の練習試合の三振の話をしたら、アイツ、喰いついてきやがった」

「ほ、本当ですか? じゃあ……」

「ああ『指名権譲渡制度』を使わせてもらう」

 今川監督は残りのビールを一気に飲み干すと、二杯目を注文した。


『指名権譲渡制度』

 それは近年制定されたドラフトにおける新制度だ。

 仕組みはシンプル。ドラフトで優先交渉権を獲得した球団が条件を出して、その交渉権を別の球団に譲り渡すというものだ。その条件は何でもよい。人的保証、金銭、来年のドラフト指名選手の譲りあい……双方の球団が合意すれば、どんな条件でも良いのだ。

 しかし、この制度を行使することは難しい。なぜなら交渉権を譲渡する側が相手球団の足元を見て、破格な条件を要求することがあり、話がまとまらないことが大半だからだ。


 今川監督の元に二杯目のビールが置かれた。

「おっと、そっちの方はどうだった?」

「はい、育成でもいいから、レジスタンスに入団したいとの意向は確認しました」

「そうかそうか……」

 今川監督はニヤリと笑うと、二杯目のビールに口を付けた。

「決まりだな、そいつの入団テストを兼ねて、織田勇次郎と勝負させる。織田が勝てば指名権譲渡制度を使い、キングダムに織田を譲り渡す。だが、織田が負ければ奴はレジスタンスに入団してもらう」


 今川監督はジョッキをテーブルにドン、と置いた。しかし、喜ぶ今川監督とは対照的に、伊藤スカウトは浮かない顔をした。

「本当に、これで良かったんでしょうか……」

「良いに決まってんだろ。まともに交渉しても織田勇次郎は絶対にレジスタンスには入団しない。それにヤツもこの条件で承諾したんだ」

「い、いえ……そうじゃなくて」

 伊藤スカウトは、すっかりぬるくなった残りのビールを流し込んだ。

「その……監督は、織田勇次郎を三振に取ったピッチャーが何者か知ってますよね?」

 今川監督は伊藤スカウトをチラリと見た。

「女……だろ?」

「そ、そうです! 織田勇次郎を三振に仕留めたのは女……羽柴寧々という全く無名の女子高生です。しかも、そのピッチング内容を見ているのは自分だけ。なぜです? なぜ、監督はそんな無謀な賭けをするんですか?」


 今川監督はビールを口につける。

「……アンタが推薦したから」

「は……?」

「アンタ、その練習試合の日、本当は休みだったのに、わざわざ予定のない聖峰高校の練習試合……それも、誰も見ない三軍戦の試合を見に行ったんだろう? なぜだ?」

「そ、それは……」

「アンタは懇意にしている地元のスポーツ店の店主から頼まれた『怪我で聖峰高校の三軍にいる将来有望なピッチャーが調整登板するから是非、見に行ってほしい』と」

 伊藤スカウトは少し沈黙した後、口を開いた。

「そ、そうです……」

「アンタは休みの日なのに試合を見に行った。しかし、そのお目当てのピッチャーは、まだ怪我が治ってなくて投げなかった」

 伊藤スカウトは沈黙したが、今川監督は構わずに話を続けた。

「本来なら、それで義理は果たしたから帰ってもよかった。しかし、アンタは帰らず、その場に留まると試合を見続けた。なぜそんなことをした?」


 伊藤スカウトは少しの沈黙の後、言葉を発した。

「……三軍とはいえ、他に埋もれた人材がいるかもしれないと思った……可能性がある限り、すべての選手をチェックするのは私のスカウト方針です」

「そして……羽柴寧々を見つけた」

 今川監督はニヤリと笑い、伊藤スカウトはあの日のことを思い出していた。

 ネネが織田勇次郎から三振を奪った、あの日のことを。

「はい、あの子は素晴らしかった。小さな身体をフルに使い、とんでもないストレートを投げていた。全身に電流が走った。スカウト業になり十年、こんな感覚は初めてでした。間違いなく埋もれた人材と確信した。しかし……まさか、その子が女とは思わなかった……」

「でも、アンタはその後も独自に羽柴寧々を追い続けた。そして確信した」

「はい、あの子には力がある。女性だろうが関係ない、あの娘ならやれる」

 そう言葉を絞りだすと、伊藤スカウトはすっかりぬるくなったビールを一気に飲み干した。

 今川監督は伊藤スカウトの肩に手を置いた。

「アンタ、スカウトの鑑だぜ。そのアンタがそこまで言うんだ。俺はアンタの目を信じるぜ」

 その言葉を聞いた途端、伊藤スカウトの目から涙がこぼれた。

「監督……私は嬉しいです……監督がドラフト前の編成会議で『どんな問題のある選手でもいい、見どころがあれば報告しろ』と言い、私が羽柴寧々を紹介した時、正直、怒られることを覚悟した……しかし、監督は怒るどころか喜んで、挙句の果てにはレジスタンスの入団、そして織田勇次郎を入団させるための切り札にまで使ってくれた……」

 伊藤スカウトは涙を拭う。

「こんなスカウト冥利に尽きることはありません」

「何、言ってんだ? 今時、競馬だって牝馬のほうが強い時代だぜ。女性のプロ野球選手……上等じゃねえか」

 今川監督は笑いながら、二人分のビールを追加注文した。

「それにまだ終わっていないぜ。羽柴寧々が織田勇次郎に勝たなければ、このプランも台無しなんだからな」

「そうですね……」

「まあ、とりあえず今日は飲もうぜ、慣れないことしたから疲れちまった」


 今川監督はそう言うと豪快に笑い、ジョッキに口をつけた。


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