第4話「運命のドラフト会議」後編
ネネの自宅に『大阪レジスタンス』の名刺を持った人物が訪れるより、かなり前に時間は遡る。
東京でのドラフト会議を終えたレジスタンスの今川監督は、その足で新幹線に飛び乗って名古屋に向かっていた。
その理由はただひとつ。名古屋にいる織田勇次郎に会うためだった。
『絶対に会いたくない』と面談を拒否していた織田勇次郎だったが、今川監督は強引にアポを取り、聖峰高校に押し掛け、ふたりきりで話したいと無理やり勇次郎と面談した。
聖峰高校の応接室で、今川監督と織田勇次郎はテーブルを挟んで向かい合い、開口一番、今川監督が口を開いた。
「大阪レジスタンスの今川だ。よろしく」
「どうも……」
勇次郎は無愛想に返事をした。
「来る途中に記者たちに聞いたが、お前、レジスタンスに指名されたのが、相当嫌みたいだな?」
「……レジスタンスに指名されて、喜ぶ選手がいますか?」
織田勇次郎は不機嫌そうに答え、その言葉を聞いた今川監督は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに大笑いした。
「はっはっはっ! お前、若いくせに度胸あるなあ! 監督を目の間にして、いきなり球団の悪口かよ!」
しかし、勇次郎は依然、無愛想な表情を崩さない。
「なあ、織田勇次郎……」
今川監督は大笑いした後、急に真顔になると織田勇次郎をじっと見つめた。
「お前を強行指名したのは俺だ。俺はお前が欲しい。バッティングだけじゃない。俺はお前の野球に対するストイックな姿勢、その人間性も含めてお前を評価している。俺はレジスタンスを変えたい。そのためには、お前が必要なんだ」
だが、織田勇次郎は今川監督を冷めた目で見ると、ため息をついた。
「……どんなに説得されようが、俺はレジスタンスに入団する気は全くない」
織田勇次郎は言葉を続ける。
「プロ野球選手にはなりたいが、レジスタンスみたいな球団には入りたくない。俺は社会人に進み、二年後のドラフトを待ちます」
「はっはっはっ、その若さで自分を持ってるねえ。益々気に入ったゼ。どうしても、お前が欲しくなった」
「……しつこいですね」
「ああ、俺はこうと決めたオンナは絶対に口説き落としてきた。オマエも絶対に口説き落としてみせるぜ」
今川監督がガハハと笑い声を上げる一方で、織田勇次郎は壁に掛かっている時計を見た。
「もういいでしょう。時間の無駄だ。俺の気持ちは変わらない。レジスタンスには絶対に入団しない。これが俺の答えです」
そう言い放ち、織田勇次郎が席を立とうとした時だ。今川監督が呼び止めた。
「おい、ちょっと待て。最後にひとつだけいいか?」
「……何ですか?」
「お前、今年の春のセンバツから夏の甲子園も含めて、練習試合や公式戦で一回も三振がないらしいな」
「……それが、何か?」
「その記録、嘘っぱちだろう?」
今川監督のその言葉を聞いた瞬間、織田勇次郎の動きが止まった。今川監督はニヤニヤと笑っている。
「オマエ、調整で出た五月の三軍の練習試合で、無名のピッチャー相手に三振してるだろう?」
織田勇次郎の顔色が変わる。それは、まるで隠していた秘密を暴かれたような子供のような顔だった。
「何で、その三振を公表しない? ああ、あれか? お前もやっぱり人の子。記録とか世間体を気にするタイプ?」
「ち、違う!」
いつも冷静な織田勇次郎が感情的になり叫んだ。
「本当は公表したかった……」
織田勇次郎は再び席に着くと、今川監督と向かいあった。
「だが、監督や部長がそれを許さなかった。俺の三振記録が続けば相手チームのピッチャーとの勝負が増える。だから、チームのために敢えて従ったんだ……」
「そうかそうか」
「でも、なぜそのことを知ってるんですか……?」
「誰も見ていないと思っただろう? だがいたんだよ、あの日あの時、あのグラウンドにウチのスカウトが」
今川監督がニヤニヤしている一方で、織田勇次郎はあの日の記憶を呼び起こしていた。
小さいピッチャーだった。
その小さなピッチャーは全身のバネをフル稼働して、キレのいいストレートを投げ込んできた。
ど真ん中のストレートを完璧にとらえたはずだったが空振りした。ボールが手元で急激に伸びてホップした。
速い球はいくらでも見てきた。だが、あのピッチャーの球は異質だった。しかし、もっと異質なのは……。
『あの日あの時、あのピッチャーの名前がメンバー表になかったことだ』
まるで幽霊のようだった。
周りは『病み上がりだから仕方ない』とフォローしてくれてたが、実はあの日の三振はずっと自分の心の奥底に暗い影を落としていた。
無名のピッチャーに三振を奪われたことが屈辱だった。
あの日の忌まわしい記憶を振り払うようにバットを振り続けてきた。今夏の甲子園での活躍はいわば、その時のピッチャーから奪われた三振がきっかけと言っても過言ではない。
「リベンジしたい?」
「え!?」
織田勇次郎は思わず顔を上げた。今川監督は相変わらずニヤニヤと笑っている。
「お前の性格上、このままやられっぱなしなんて、気がすまないだろう?」
「は、はい……え? でも知ってるんですか? あのピッチャーのことを」
「ああ、知ってるよ」
その一言に織田勇次郎の胸が高鳴った。
(知りたい……お前は何者なんだ? お前は誰だ?)
織田勇次郎の目の色が変わるのを見た今川監督は不敵な笑みを浮かべた。
そして、織田勇次郎と今川監督の面談から時間が流れた後の羽柴家──。
突然訪ねてきた大阪レジスタンスのスカウトだと名乗る伊藤という男性を、ネネ、それと父と母の三人が自宅の居間で応対していた。
伊藤スカウトは三人に向かって訪問した理由を説明した。その内容を聞いたネネたちは驚いた。
「え? ええ? 大阪レジスタンスは、ネネをプロ野球の選手としてスカウトしたい、っていうんですか?」
「はい」
伊藤スカウトは真顔で返事をした。こんな夜更けに訪問したのは、ネネをプロ野球選手としてスカウトしたい、というのが目的だと言うのだ。
突然のスカウト話にネネは狐につままれたような気分であった。
「ぷ、プロって言っても……あ! あれですか? 最近、東京キングダムが中心になり、女子プロ野球のチームを作るというニュースを見ました。レジスタンスも女子プロ野球に参戦するとか……?」
「いいえ」
伊藤スカウトは首を横に振った。
「正真正銘のNPBが主催するプロ野球です。羽柴寧々さんには、我が大阪レジスタンスにピッチャーとして入団してもらい、プロの男性相手に投げてもらおうと思っています」
伊藤スカウトは再び真顔で答え、その場にいた全員が言葉を失った。
「で、でもなぜ……」
父親がおずおずと問いただす。
「何でネネなんですか? 何の実績もない……ましてや、女性ですよ?」
「いや、実績はありますよ」
伊藤スカウトは身を乗り出した。
「あの織田勇次郎から、唯一、三振を奪ったという実績がね」
そのひと言にネネは固まった。
また事情を知らないネネの両親に、伊藤スカウトはあの日の練習試合の詳細を説明し、両親はその内容に絶句した。
伊藤スカウトは話を続ける。
「ネネさん……あなたは、まだ本当の力を出し切れていない。織田勇次郎を空振りさせたストレート……あの球を完璧にコントロールできるようになれば、女性でもプロの世界で活躍することは夢ではないと思っています」
あまりにも突拍子な話に呆然としていた両親だったが、事態を把握した父親が口を開いた。
「は、話は分かりました……でも、あまりに無茶な話でしょう? いきなりプロでやらないかなんて……」
「そうです。ネネは女性ですよ。そんなネネがプロ野球だなんて……」
母親も続けて言葉を発した。
しかし、そんなふたりを尻目に伊藤スカウトはネネに問いただした。
「ネネさんの気持ちはどうなのかな? プロの世界で……女性初のプロ野球選手として活躍してみる気はないかな?」
ずっと黙っていたネネだったが、その問いに口を開いた。
「あの……本当に……本当に私のストレートは、男だらけのプロの世界でも通用するんですか?」
ネネは真っすぐに伊藤スカウトを見つめ、両親はネネの発言に驚いた。
「ああ、少なくても僕はそう信じているよ」
伊藤はスカウトはニッコリと微笑んだ。
ネネの頭に子供の頃の夢が甦る。
『プロ野球選手……女性初のプロ野球選手……』
ネネは大きく息を吸った。
「私……なりたい」
「え?」
両親は再びネネを驚いた顔で見つめた。
「私……プロ野球選手になりたいです」
ネネは伊藤スカウトをしっかり見つめると微笑んだ。その目はキラキラと輝いていた。