第39話「一軍対二軍」⑥
一軍対二軍の紅白戦は、三回表でスコアは5対2、一軍が三点のリード。
一軍はまだ攻撃中でツーアウトながら、ランナーは二、三塁。五番の黒田をバッターに迎えたところで、今川監督はネネをマウンドに送った。
ネネがマウンドに立ち、足元をスパイクでならしていると、そこに北条がやって来た。
「どうだ? 緊張してるか?」
「え? ええ……少し」
「リードは任せろ。レジスタンスの選手のことは全て俺の頭の中に入っている。お前は俺のミットだけ見て投げればいい」
「はい! 分かりました!」
ネネは元気よく返事をする。
「ただ、黒田は何だかんだ言っても得点圏打率は高い。一塁は空いてるから、最悪歩かせてもいいぞ」
「大丈夫です。キッチリ、打ち取ります」
「そうか、任せたぞ」
北条はネネの肩をポンと叩くとホームに戻った。
北条がポジションに戻ると、打席には黒田が待ち構えていた。
「こんなに早く、あの小娘と対決できるとはな」
ニヤニヤと笑っている。
「美味しくいただいてやるよ。仔猫ちゃん」
北条はバッターボックスでバットを構える黒田をチラリと見た後、今日の早朝のブルペンでのネネのピッチングを思い返した。
マウンドから投げるネネの球を初めて捕ったが、想像以上の球だった。ボールが伸びてホップする。受けたことがない規格外のボールだった。
また、変化球……ドロップのキレもいい。そして、何と言ってもコントロールがいいのが気に入った。
(コイツはリードしがいがあるピッチャーだな)
北条はマスクを被り直すと、初球のサインを出した。
(ネネ、頼むぞ。この試合はお前にかかっている)
ネネは北条のサインに頷くと、ランナーを警戒し、セットポジションから第一球を投じた。
指先から放たれたのは、糸を引くような綺麗な回転のストレート。北条が構えたど真ん中に決まる。
「ストライク!」
黒田はバットを振らなかったが、想像以上のストレートに顔色が変わった。
「どうだ? 黒田」
北条はネネにボールを返す。
「なめてかかると逆に食われるぞ。アイツは猫は猫でも肉食獣だ」
(……面白え)
黒田はバッターボックス内で足元を固めると、さっきより少し後ろに立ち直し、腰を深く屈めた。
二球目、ストレートにタイミングを合わせようとする黒田だったが、北条はドロップを要求。ネネの投じたドロップに黒田はタイミングが合わず見送ることになる。
「ストライク!」
ネネと北条のバッテリーは、たった二球で黒田を追い込んだ。
(何だ、このオンナ……?)
黒田は一旦、バットを下ろすと、マウンド上のネネを見つめた。ネネは北条から受け取ったボールを指に馴染ませている。
(ストレートは伸びるし、カーブは大きく曲がる……こんなボールを投げるピッチャーなど、男でもそうそういないぞ)
黒田の顔に焦りの色が出始めた。
黒田をツーストライクに追い込むと、北条は外角低めにミットを構えた。
ネネは頷き、三球目を投じる。
糸を引くようなストレートがアウトローに飛ぶ。ストライクゾーンからわずかに外れたコースだった。
見逃せばボールだったが、追い込まれた焦りから黒田は手を出した。
ガキン!
鈍い音がして、ボールは三塁ファールゾーンに飛んだ。
レジスタンスのベテランを相手にルーキーのネネが完全に主導権を握っている。
そんなネネのピッチングを見た二塁ランナーの明智は違和感を感じた。
(……おかしい。以前、二軍練習場で打ち込んだ時より、ストレートの威力が上がってるような気がする。何があったんだ? この短期間に?)
またサードを守る勇次郎も同じことを思っていた。
(自分と対戦したときや、育成サバイバルゲームの時より、ボールに力がある。一体何があったんだ?)
「ネネのストレートの威力が増している原因はキャッチャーだよ」
ベンチで今川監督が腕組みをしながら由紀に答えた。
「え? キャッチャーですか?」
前田を医務室に連れていき、ベンチに戻ってきた由紀は首を傾げた。
「キャッチャーが代わるだけで、こんなにネネのストレートの威力は増すんですか?」
「ああ、ネネは今までキャッチャーのことを考えて無意識の内に力をセーブしていた、だが、今日は力を解放して投げている。なぜなら、今日のキャッチャーは球界屈指のキャッチング能力を持つ北条だからだ」
今川監督はほくそ笑む。
「今日の姿こそが、アイツの真の姿だよ」
由紀は以前、二軍練習場で福岡アスレチックスの石川のマスクを吹き飛ばしたネネのストレートの威力を思い出していた。
(アレがネネの全力投球だったんだ……だから監督は北条さんと組ませたんだ。ネネの力を全て引き出すために……そして、ネネと組ませたことで、解雇寸前の北条さんをも生き返らせた……すごいわ、この監督……)
由紀は今川監督の手腕に感嘆した。
一方でマウンド上のネネは北条から出るサインを確認していた。
ネネは北条に全幅の信頼を置いていた。ピッチャーとバッテリーはよく夫婦に例えられるが、このふたりの関係はまるで親子のようだった。
(黒田はストレートを待っている。どうする? 一球、ボール球を投げるか?)
(いえ、黒田さんの目が慣れるのが怖いから、ここは一気に勝負を付けたいです)
(分かった。それなら敢えて、黒田の待っているストレートを投げて打ち取るぞ)
言葉を交わさなくとも、ネネと北条は以心伝心で互いの意思を確認する。
ランナーはネネを揺さぶろうと、リードを広げた。しかし、ネネはランナーを牽制しながらも、あくまでバッターに集中し、投球モーションに入った。
(私がやることは北条さんのミット目掛けて投げ込むだけだ! いけえ!)
ネネの指先から弾丸のようなボールが放たれた。コースは内角の高め。一球外してくるかと予想していた黒田は一瞬戸惑ったが、得意な内角高めに思わず手が出た。
ネネが投じたストレートは唸りを上げてホップする。
ガキン!
黒田のバットはボールの下を叩き、ボールは高く舞い上がった。
(まずい! 打ち取ったのはいいが、センターへのフライか!?)
北条はマスクを脱ぎ捨てて、打球の行方を確認した。しかし、北条の心配をよそに、マウンドのネネが手を挙げる。
「オーライ! 捕ります!」
黒田の打った打球は高く舞い上がったもののピッチャーフライだった。
ネネはマウンドから動かず、真っ青な空から落ちてきたボールを大事にキャッチした。これでスリーアウト、チェンジだ。
「よ─し! よくやった!」
二軍ベンチでは今川監督やチームメイトたちが手を叩きネネを讃えている。
「よく抑えた。立派だぞ」
北条がキャッチャーミットでネネの頭を撫でる。
「はい! ありがとうございます!」
ネネも笑顔で応える。
一方で凡退した黒田は歯軋りをしながら、ベンチに戻るネネの後ろ姿を見つめていた。
(バカな……ピッチャーフライだと? あのオンナの球は一体何だ?)
しかし、ネネを迎える二軍ベンチを見て、すぐに不気味な笑みを浮かべた。
(今のうちにはしゃいでおけよ。お前らの負けは確定している……なあ、前田……)




