第36話「一軍対二軍」③
一回表、一軍の攻撃、ワンアウト満塁のピンチに、五番の黒田をセンターフライに打ちとったが、何とセンターが落球し、一点を先制される。
(え……? そんなバカな……)
グラウンドにいる選手は勿論のこと。ベンチにいるネネも目を疑った。
(風は吹いてないし、太陽の光が目に入ったわけでもなさそう……それなのに何であんな平凡なフライを落とすの……?)
すると、一塁ベース上の黒田がニヤニヤと笑っている姿が目に入った。
(な、何? あの笑いは? もしかして、あのセンターの人、黒田軍団のひとりで、わざと落球したんじゃあ……?)
ネネが疑惑を抱いていると、隣で由紀がレジスタンスの今季の選手名鑑をパラパラとめくり、エラーしたセンターの選手を調べていた。
「あ、この人だ……」
ネネも選手名鑑を覗き込んだ。
センターの選手の名前は「毛利小次郎」、今年が三年目の25歳、背番号は「53」。
「毛利さん……何気に明智さんや蜂須賀さんと同年代なのね」
(黒田軍団のふたりと同年代? 怪しい……やっぱり、黒田さんの手先?)
ネネがそう思った時だ。由紀が毛利の経歴を読み上げた。
「大学卒業後、ドラフト二位で神戸ブルージェイズに入団、二年目のオフに自由契約になり、大阪レジスタンスに入団」
(え……? それって、今年からレジスタンスに所属だから、黒田さんたちとは関係ないってこと? それなら、ますますエラーの理由が分からないわ……)
毛利の黒田軍団所属の疑惑は解決したが、このエラーが原因で大谷はリズムが狂い、結局、二軍チームは初回にいきなり三点を取られてしまった。スコアは3対0だ。
何とか初回の守りが終わり、選手たちがベンチに帰ってくる中、センターの毛利は青い顔をしていた。ただでさえ小柄な体格なのに、背を丸めて監督に「すいませんでした! すいませんでした!」と帽子を取って謝っている。今にも泣き出しそうな顔だ。
「……やっぱり、まだダメか?」
監督が腕組みをしながら毛利に話しかけるが、毛利は「すいません、すいません」しか言わない。
ひとしきり謝ると、今度は先発の大谷に頭を下げまくっている。その謝罪ぶりに、どっちが歳下か分からないくらいだ。
「おい、謝るのはいいから、さっきのエラーを取り返してこい」
今川監督が毛利にヘルメットを渡す。
「頼むぞ、先頭バッター」
すると、バットを持ってグラウンドに出た毛利の顔つきが変わった。背筋は伸び、眼光も鋭く、先程のオドオドした人物とは思えない。
「はい! 任せてください!」
毛利は堂々と胸を張って、左バッターボックスに向かった。
(え? え? え?)
ネネはますます毛利という選手のことが分からなくなった。
「ククッ、面白れ─だろ? アイツ、グラウンドと外じゃあ、性格が変わるんだよ」
ネネが戸惑っているのを見て、今川監督が面白そうに話しかけてきた。
「普段はネガティブでヘタレ。だが、一歩グラウンドに出れば攻撃的プレイヤーに変身する。それが毛利のストロングポイントだよ」
「え? じゃあ、さっきのエラーは?」
「ああ、アレは……」
今川監督が説明しようとした時だった。グラウンドから、カキン! という快音が聞こえた。
「よっしゃ! 行け!」
今川監督が叫ぶ。毛利が打った打球は右中間を抜けていく長打コースだ。全力で走る毛利の姿を見て、ネネは目を見張った。
「は、速っ!」
毛利の走るスピードは、先程の蜂須賀よりも速かった。二塁を何の迷いもなく蹴った毛利は頭から三塁に飛び込んだ。いきなり三塁打だ。
「す、すごい……!」
ネネは拍手をする。
「おう悪い、それでどこまで話したっけ?」
今川監督も拍手をしながら、ネネの方を見た。
「あ、え──と、エラーの件で……」
「ああ、ありゃ、イップスだ」
「イップス!?」
イップス。それはスポーツ選手に多いと言われる心の病で、一般的には何か原因となる事件があり、何ともないプレーが出来なくなってしまう症状と言われているが、正式な原因は分かっていない。
「じゃあ、毛利さんは何らかの事件がきっかけで、フライが捕れなくなったんですか?」
「おう、そうだ。正確には『デーゲームの野外の球場』だと、弱気の虫が発動し、身体が萎縮してフライが捕れなくなるらしい」
今日の試合は『デーゲーム』に『野外の球場』と確かに条件が揃っている。
「神戸の一年目のクライマックスシリーズで落球してから、イップスになったらしい。それで二年目はボロボロ。自由契約になったんだが、走攻守揃ったプレイヤーだし、ポテンシャルも高いから、ウチが引き取ったのさ」
「え? でもフライが取れないんでしょ?」
「神戸は屋外球場だが、ウチはドームだ。なぜかは分からないが、ドームならイップスは発症しないんだよ」
「た、確かに……でも、それなら、わざわざイップスの条件が重なるこの試合に起用しなくても……」
そうネネが言いかけたときだ。
「おし! ナイスラン!」
今川監督が手を叩いた。
二番バッターのスクイズは、浅いセンターフライだったが、毛利はタッチアップを試み、俊足を飛ばしてホームを駆け抜けていた。まずは一点を返して、3対1となった。
「お前の言うことは分かるよ。でもなあ、そんな目先のことを考えて選手を起用してたら、選手がダメになっちまう……俺はアイツを高く評価している。何とか今日の試合でアイツに一皮むけてもらいたいわけよ」
今川監督はニヤリと笑うと、ベンチに帰ってきた毛利を出迎えた。
「よっしゃ、よくやったぞ! 毛利!」
先程の攻撃的な性格は鳴りを潜め、毛利はおどおどしながら、ハイタッチをしている。
(す、すごいなあ……)
ネネは今川監督の器の大きさにびっくりした。
(自分のクビがかかった試合で、選手を信じて、こんな思い切った起用ができるなんて……それにその信頼に応えて、すぐに一点を取り返す毛利さんも凄い……)
ネネは改めて、自分がいる「プロ野球」の世界に感動し、ブルっと武者震いした。
「おっ、どうした、どうした? いつになく嬉しそうな顔をして?」
今川監督がネネの顔を覗き込む。
「いや、今更ながらプロ野球の世界に感動していました。それと、監督はすごいなあ、と思いまして」
「はっはっはっ、今頃、俺の魅力が分かったか。でもダメだ。俺はEカップ以上のナイスバディのお姉ちゃんしか相手にしないからな」
今川監督は両手で自分の胸を盛る動作をして、ガハハと笑った。
「さ……サイテ──! 前言撤回します! このセクハラ変態監督!」
ネネは今川監督をポカポカと叩き、ベンチ内で笑いが起こった。
しかし、二軍ベンチが明るい雰囲気になっている一方で、一軍は内野陣が全員マウンドに集まり、不穏な空気を醸し出していた。




