第35話「一軍対二軍」②
午前10時、天気は快晴、一軍対二軍の試合が始まる。
表向きは同じチーム同士の紅白戦。しかし、本当は今川監督の進退を賭けた試合であった。
先攻は一軍、トップバッターは「斎藤誠」、28歳、ポジションは右翼手、背番号7。
大卒六年目の中距離バッター。見た目は強面でパッと見は反社系。また無口でほとんど喋らないため、コミュニケーション能力は低いが、仕事はキッチリこなすタイプで、左バッターボックスに入る。
一方で、二軍ベンチのネネと由紀は一軍のスターティングメンバー表に目を通して各バッターをチェックしていた。
三番、セカンド、蜂須賀
四番、ショート、明智
五番、サード、黒田
今川監督が話すところによると、レジスタンスは黒田を筆頭とした派閥があり、その下に付くのが明智と蜂須賀であり、その三人がそのままクリーンアップを形成しているらしい。
しかし、実力は折り紙付きだ。
三番の蜂須賀は長打力はないが、出塁率は高く。四番の明智は打率も高く、ホームランも打てる。
そして、五番の黒田は打点を上げる能力が高く、過去には打点王を獲得したこともある勝負強いバッターだ。
(この三人、特に四番と五番の前にランナーを出すと厄介ね)
ネネが過去のデータに目を通していると、ベンチ内からため息が上がった。
グラウンドに目を移すと、一番バッターの斎藤が四球で一塁に歩いているのが見えた。
「あらら……大分、改善されたと思ったけど、制球力はまだまだダメだな」
今川監督も眉間にシワを寄せる。
先発した大谷は150キロを超えるストレートが魅力だが、コントロールが悪く、四球からリズムを壊すことが多いらしい。
昨年は一軍で一回投げているが、やはり四球が多く、すぐに二軍落ちしている。
続いて二番バッターが打席に立つが、当然のように送りバントの構えだ。
北条はファーストとサードに前進守備を命じる。
バント対策は完璧だった。
しかし、大谷の制球は乱れ、ストライクが入らない。
結局、二者連続でフォアボール。いきなり、ノーアウト一、二塁の場面を迎えてしまった。
「おい、荒木、肩を作っておけ」
今川監督は二番手のピッチャー荒木に肩を作るよう指示を出した。
ネネは今川監督の指示を聞きながら、今度は自軍のメンバー表に目を通した。
そこには自分を含めた二軍投手陣の名前と投げる回が書いてあった。
大谷、一〜三回
荒木、四〜五回
前田、六〜七回
羽柴、八〜九回
と割り振られている。
(今川監督は投手陣の登板は流動的だと言った。でも、もし先発の大谷さんがこのまま崩れるようなら、皆の登板が繰り上がり、自分の登板も早まるかもしれない)
ネネは鼓動が高鳴るのを感じた。
その頃、グラウンドではノーアウト一、二塁の場面で三番バッターの蜂須賀が右バッターボックスに入っていた。
(蜂須賀はパワーヒッターじゃない。一発が出る確率は低い。大谷の球威なら力で押し切れるはずだ)
と、キャッチャーの北条は判断して、わざと、ど真ん中のサインを出した。
大谷はサインに頷いて、ど真ん中に力強いストレートを投げ込んだ。
ズバン、と乾いた音を立てて、ボールはミットに飛び込む。蜂須賀は平然と見送っていたが、ストライクだ。
(やっとストライクが入ったな。大谷にコーナーを突く制球力はない。このまま力で押し切るか)
北条は二球目もストレートを要求。大谷は強く腕を振ってストレートを投じた。
しかし、そのストレートを蜂須賀は叩いた。
カキン! 鋭い打球が三遊間に飛ぶ。
抜けた! と皆が思った瞬間、サードの守備に付く勇次郎が横っ飛びしてボールを押さえた。
ランナーは、それぞれ次の塁に走っている。勇次郎はゲッツー狙いで、二塁にボールを送球し、一塁から走ってくるランナーをアウトに仕留める。
次いで、セカンドから一塁にボールを送球するが、ボールより早く蜂須賀は一塁ベースに到達していた。
「セーフ!」
ゲッツーは取れずに、ワンアウト一、三塁と状況は変わる。
「は、速っ!」
ベンチのネネは思わず声を上げた。
(どう見てもゲッツーコースなのに、悠々セーフってあり得ないでしょ。あの蜂須賀って人、何て足の速さなの……?)
「速えよなあ、アイツ」
今川監督がボソリと呟いた。
「ありゃあ、どう見ても一番か二番を打つタイプだぜ。勿体無い使い方してやがるなあ……」
そして、右バッターボックスに四番の明智が入る。
(明智さんの実力は、この前見ている。北条さんは、どんなリードをするんだろうか……)
以前、ホームラン性の当たりを打たれているネネは、バッテリーがどう攻めるのかに注目した。
しかし、結果はまた四球。
ストライクが入らず、明智はバットを一度も降らずに一塁に進んだ。
いきなり、ワンアウト満塁のピンチ。
迎えるバッターは、この試合の黒幕、五番サード黒田だ。左バッターボックスに入る。
「タイムだ」
北条がマウンドに向かい、大谷に声を掛ける。
「ビビらなくていい。全盛期に比べたら黒田は力が落ちている。ストレートで押すぞ。多少甘く入ってもいいから、しっかり腕を振れ。お前の球威なら大丈夫だ」
不安気な表情をしていた大谷の目付きが変わった。
マウンドから戻ってきた北条がマスクを被り直して腰を下ろすと、黒田が低い声で話しかけてきた。
「アンタ、まだ生きてたんだな」
「まあな」
黒田は素っ気なく返す。
「……引導を渡してやるよ」
黒田はバットを構えた。
(外野フライでも一点だが、それは仕方ない。とにかく低めに投げろよ)
北条はミットを外角低めに構えた。
大谷はストレートを投じる。
だがコースは甘く、真ん中近くに入った。その失投を見逃さず、黒田はバットを一閃する。
ガキン!
ボールはセンター方向に舞い上がった。
投げた大谷も失投だったが、黒田も打ち損じた。浅いセンターフライで、犠牲フライにするには厳しく、黒田は明らかに「しまった」という顔をした。
(ラッキー、打ち損じてくれた)
北条は胸を撫で下ろした。
(正直、ホームランでもおかしくない球だった)
センターが落下地点に入る。北条がアウトを確信した時だった。
「ええ──!?」
二軍ベンチから悲鳴が上がった。何とセンターが平凡なフライを落球したのだ。
(な、何い……!?)
北条は呆然とした。ワンアウトだったから、ランナーは走っていなかったが、三塁ランナーは悠々帰還し、一軍が一点を先制した。
(ば……バカな? 小学生でも捕れる平凡なフライだぞ? な、何なんだ、アイツは……)
一方で、一塁ランナーの黒田はセンターを守っている選手を見た。背番号「53」が見える。
(ん……? アイツは……?)
そして、ほくそ笑む。
(成程、成程……コイツはラッキーだったぜ……)




