第33話「アンタッチャブルな男」
今川監督に促され、織田勇次郎が部屋に入ってきた。その姿を見た二軍選手たちは騒めいた。
「お、おい……ドラフト一位ルーキーの織田勇次郎だぜ……」
当然、ネネも驚いた。
(な、何で、勇次郎が二軍メンバーに入るの?)
「お前らが驚くのも当然だよな。まあ、どうしてもコイツが俺と一緒にやりたいって言うからよ。今回特別に二軍メンバーに入れてやったわけよ」
今川監督が笑いながら説明すると「デタラメ言わんでください。不可抗力ですよ。こうなったのも」と、勇次郎は憮然とした表情で言い放った。
「とりあえず、スターティングメンバーを確認しよう」
北条が監督からもらったメモ用紙を広げた。
メモ用紙には、スタメンの名前と打順が書いてあった。勇次郎は四番サード、北条はキャッチャーで八番だ。
(投手陣は……?)
ネネはメモに目を走らす。二軍メンバー15名の内、自分を入れてピッチャーは4人いた。
名前の後に予定イニングが書いてあり、、ネネの名前の後ろには八〜九回と書いてあった。
(一番後ろで投げるのか……)
ネネの鼓動が高鳴った。
「投手陣はあくまで予定だから、試合展開によっては登板の前後はあるからな」
今川監督がそう説明し、緊急ミーティングは終わった。
各自が部屋に戻る中、ネネは勇次郎を呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。勇次郎……」
「……何だよ?」
勇次郎は不機嫌そうに振り向いた。
ふたりはホテルの庭の海が見えるテラスに腰掛けた。
空には満月、目の前には真っ暗な海が広がり、ザザン、ザザン……と波の音が聞こえた。
「何でよ、何でアンタが二軍のメンバーに入るのよ、一軍にいたんじゃないの?」
ネネが勇次郎にそう尋ねると「一軍に居場所がないんだよ」と無愛想な顔をして答えた。
「え? どういうこと?」
「一昨日、ある主力メンバーを怒らせちまって、一軍に居られなくなっちまったんだ」
「もしかして、明智さん?」
「いや違う、黒田さんだ」
「黒田さん?」
黒田寛治……35歳、ポジションは三塁手、打順は五番で背番号は「3」。
レジスタンスを代表する選手だが、近年、成績はピークに比べ下降している。しかし、生え抜きの重鎮ということで、チーム内で彼に物申す人はおらず、また球団幹部との太いパイプもあることから、チーム内ではアンタッチャブルな存在になっている男だ。
「なかなかの大物を怒らせたわね……」
ネネは勇次郎らしいなあ、と逆に感心した。
「まあな、それとポジションが被っているから、どっちにしろ明日の試合には出れない。それで監督に相談したら、二軍メンバーに入ることを勧められたんだ」
勇次郎は真っ黒な海を見つめながら答えた。
「あと、明日一軍の指揮を執る、土田ヘッドコーチがどうも気にいらなくてな……」
土田ヘッドコーチは、ここ数年、レジスタンスのヘッドコーチを務めており、昨年は監督がシーズン途中で休養したため監督代行を務めた。
今季はそのまま監督に就任と思われていたが、球団社長の鶴のひと声で今川が監督に就任したため、再度ヘッドコーチになった経緯があり、噂では今川監督を逆恨みしているという。
「球団幹部にゴマスリ、黒田さんや一部の主力選手の言いなり、他の選手には威張り散らす最低なヤツだよ」
勇次郎は吐き捨てるように言った
「多分、今回の監督解任の黒幕はこの土田コーチと黒田さんだ。黒田さんも今川監督だけには頭が上がらないって言うからな……恐らく明智さんが殴られたと聞いて、今川監督を辞めさせるチャンスだと思ったんだろう」
ネネは勇次郎の話を黙って聞いている。
「最低だとは覚悟していたが、この球団がここまで腐ってるとは思わなかった。クソ……こんな球団、やっぱり入団するんじゃなかったぜ」
勇次郎は悔しそうに吐き捨てる。
「じゃあ、変えようよ」
「は?」
「明日の紅白戦に勝って、私たちでレジスタンスを変えようよ、ね?」
ネネは勇次郎に向かってニッコリ笑いかけた。
月に照らされ、ネネの顔が輝いて見えたので、勇次郎は一瞬、ドキッとした。
「また大口叩いてんな、小娘の分際で」
すると、急に後ろから声がしたので、ふたりは振り向いた。そこには口元に湿布を貼った明智と、明智より少し小さな男性が立っていた。
「明智さん……それと蜂須賀さん…」
勇次郎が呟く。
明智と一緒にいる男は「蜂須賀吾郎」。ポジションは二塁手、打順は三番を打っている。長打力はないがアベレージヒッターで足も速く守備も上手い。
25歳で背番号は「4」、三年前のドラフト一位の選手だ。
明智より入団は後だが同学年。また明智と二遊間のコンビを組むことから公私共に仲が良い。
「お前か? 隼人に喧嘩を売ったっていう、羽柴寧々っていう生意気な女は?」
蜂須賀はネネを挑発するような言い方をした。
「そうですけど、それが何か?」
ネネはムッとした顔で答えた。
「クク……変わらねえなあ、その強気な態度。気にいったぜ、今ここで謝れば俺らの舎弟にしてやる」
明智は笑みを浮かべた。
「それと織田……お前もだ。黒田さんはご立腹だが、床に頭を擦り付けて土下座すれば許してやるって言ってる……どうするよ?」
ふたりはニヤニヤして、勇次郎を挑発した。
勇次郎は見るからに不愉快な顔をして、何か言い返そうとしていたが、それより先にネネがふたりに向けて、右まぶたを引き下げて舌を出すと、アカンベーをした。
「な……!?」
それを見た勇次郎はククッと笑った。
「明智さん、蜂須賀さん、これが答えですよ」
「……上等だよ。明日、お前らふたり、叩きのめしてやるよ」
明智はそう言うと、蜂須賀と一緒に去っていった。
ネネと勇次郎は顔を見合わせると笑った。
「これで、明日は勝つしかなくなったな」
「あら? 初めからそのつもりでしょ? 明日は頼むわよ、しっかり打ってよね」
「お前こそ、しっかり抑えろよ」
空には煌めく冬の星座。明日の決戦を前に沖縄の夜は更けていく。




