第28話「ナニワのプリンス」
「ったく……こんなとこで、恥さらしてんじゃね─よ」
突如現れたレジスタンスの四番バッター、明智隼人はバットで石川を小突いた。
「す、すいません、明智先輩……」
さっきまで尊大な態度だった石川だが、明智の前では借りてきた猫のように大人しくなっていた。
「由紀さん……あの明智って人って……?」
ネネは由紀に尋ねる。
「う、うん……」
由紀は明智のことを説明し出した。
明智隼人、ポジションは遊撃手、背番号は「6」で、レジスタンスの四番バッターを務めている。
高卒のドラフト一位で指名されてレジスタンスに入団したのは七年前、今年で25歳だ。
一年目は二軍生活だったが、二年目の開幕戦でスタメンに名を連ねると、そのままレギュラーに定着した。
打撃に定評があり、過去には首位打者と最多安打賞を獲得したこともある。また長打力もあり、三年連続で二十本以上のホームランを放っている。
身長は180センチでモデル体型、甘いマスクで圧倒的な女性人気を誇り、その風貌からついたあだ名は「ナニワのプリンス」。
「広報部の浅井部長のお嬢か……まあ、勘弁してくれや、コイツら高校の後輩で一緒に自主トレしてんだ」
明智は由紀を見ると、石川たちを親指で指した。
由紀は高校というワードであることを思い出した。
明智は高校野球屈指の名門校「大阪樟蔭高校」の出身だ。プロ野球でも樟蔭高校出身者は多いが、同校の出身者は気性が荒くヤンチャな選手が多いことでも有名だ。
明智はチラッとネネを見た。
「お前が羽柴寧々か?」
ネネは頷き「はい、よろしくお願いします」と頭を下げた。
「お前の噂は聞いてるぜ」
明智はツカツカとネネに歩み寄った。
「オンナのくせにプロ野球の世界に首を突っ込む、勘違いで生意気なヤツだってな」
ネネの顔が強張る。そして、由紀が声を上げた。
「ちょ、ちょっと明智さん。そんな言い方はないんじゃないんですか!? これから一緒にシーズンを戦うチームメイトですよ!」
だが、由紀の言葉を聞いた明智は鼻で笑った。
「チームメイト? ははっ、笑わせんな。どこの馬の骨か分からないオンナとレジスタンスの四番を一緒にするなよ。俺がお前と同じグランドに立つなんてことは一生ね─から」
その言葉を聞いたネネは明智を睨んだ。
「……何だよその目は?」
明智はネネに顔を近づけると、鋭い目付きで睨みつけた。
「俺に相手をしてもらいたい女は山ほどいるんだ。オマエみたいな乳臭いオンナなんか眼中にないぜ……とっとと失せろ」
明智はドスの効いた声でネネを恫喝したが、ネネは顔をそらさず明智を睨み続けていた。
「ほ─……俺にビビらないとは、オンナのくせになかなか肝が座ってんな」
明智は薄ら笑いを浮かべた。
「気が強い女は嫌いじゃないぜ。ちょっと遊んでやるよ」
そして、バットをネネに向けた。
「一球勝負だ。マウンドに立てや」
「あ、明智先輩……俺がキャッチャーっすか?」
明智は石川をキャッチャーに指名した。石川は防具を着け直したが、さっきのネネの球を見て、キャッチャーを嫌がっている。
「ああ? おめ─しか、キャッチャーいねえだろうが」
「先輩、あのオンナの球、ヤバいですよ! 異常に伸びるし、しかも浮くんですよ!」
「……おい、誰に向かって言ってんだ? テメエ」
明智は石川を睨んだ。
「す、すいません! でも俺、アイツの球、捕りたくないですよ!」
「心配すんな、お前が捕ることはねえよ」
明智は右バッターボックスに入ると、バットを構えた。
「さあ来な、仔猫ちゃん」
一方で、マウンドに立ったネネは明智から発せられる圧を感じていた。
(同じだ……以前、今川監督や勇次郎から感じた獰猛な肉食獣のような圧力。これがレジスタンスの四番の圧力か……)
全身の体毛が逆立つような感覚を覚えた。
(……よし!)
ネネは明智の圧力を払いのけて、大きく振りかぶった。
(いけえ!)
ゆったりしたフォームから、弾丸のような球が放たれた。内角に唸りを上げてストレートが飛ぶ。
しかし、明智はネネのストレートの軌道を読みきっていた。バットが鋭く一閃した。
カキン!
室内練習場に快音が響き渡った。明智がジャストミートした球は、ライナーで室内練習場の天井に突き刺さった。
「やったあ! さすが明智先輩!」
石川がキャッチャーマスクを脱ぎすてて、大声で叫んだ。
「……バックスクリーンへのホームラン、ってとこだな」
明智がバットを手に満足気に笑った。
「ざま─みろ、バカ女! これに懲りて二度とデカい顔すんなよ!」
石川ともうひとりの選手は嬉しそうだ。
「じゃあな、小娘、身の程を知れや」
明智はネネを一瞥すると、そのまま練習場を出て行き、ネネは天井に当たり落ちてきて地面に転がっているボールをじっと見つめていた。
「ね、ネネ……」
由紀は打たれたショックでネネが落ち込んでいないか、気が気でなかった。
しかし、ネネに落ち込んだ様子はなく、達観した顔をしていた。
その頃、明智は石川たちを引き連れて練習場の廊下を歩いていた。
石川は明智を褒め称えているが、明智は釈然としない顔をしていた。
(何だ、あのオンナ? あれだけ完璧に打たれたら、普通はもっと落ち込んだりするもんだ。だがアイツの目は全く死んでいない。むしろ、打たれることを想定していたみたいで不気味だ)
石川たちはこれから繰り出す夜の街のことではしゃいでいるが、明智は別のことを考えていた。
(石川に投げた球より、さっきの球は球威がなかった。しかもコースは打ちごろのど真ん中……もしかして、俺を試した?)
明智は口元に笑みを浮かべた。
(少なくともアイツは俺に屈服していねえ、羽柴寧々……面白えじゃん。ああいう気の強い女を屈服させるのも一興だな……)
明智はククッと忍び笑いを漏らした。
「ネネ……大丈夫?」
マウンドから降りてきたネネに由紀が心配そうに声をかけた。
「……? あ、うん、大丈夫だよ」
ネネはニッコリと笑う。
「あの明智って人、さすがレジスタンスの四番だけあるね。あれだけ完璧に打たれたのは初めてだよ」
怒ってるわけでもない、落ち込んでるわけでもない、淡々と客観的な口調だった。
「ネネ……」
「あ、由紀さん、私なら本当に大丈夫だよ。あの人は味方なんだから、あれくらい打ってくれないと逆に心配だよ」
打たれたことを、ネネは本当に気にしてない、といった様子で笑った。
「ネネ……ゴメンね、私が余計なことしたばっかりに……」
「ううん、全然。それより由紀さん、私がひとりで練習してるのを見て、練習相手を探してくれてたんだよね。気を使わせてゴメンね」
「ネネ……」
「マウンドで投げれたし、いい自主トレになったよ。由紀さん、ありがとね」
ネネはニッコリ笑う。その笑顔とネネが自分の気持ちを汲んでくれたことに由紀は感動して涙を流した。
「う、うう〜ネネ〜……」
「え? どうしたの由紀さん? 私、何か変なこと言った?」
その時、由紀の携帯が鳴った。
「ぐす……はい、浅井です。え! そうなんですか!? あ、ありがとうございます!」
「どうしたの? 由紀さん?」
「うん! マンションの管理会社から連絡あって、今日からあの部屋使っていいって! 電気や水道も使えるみたい!」
「わ──! ありがとう、由紀さん!」
ネネは、その日のうちに新居へ引っ越して、本格的なひとり暮らしがスタートすることになった。
そして翌日──。
午前中、用事があるとのことで、正午に由紀が迎えに来たのだが、その姿を見てネネは驚いた。
由紀は髪の毛をバッサリ切って、ショートカットにしていた。またジャラジャラしたネイルも全部外していた。それから、服もトレーニングウェアに変わっていて、靴もスニーカーを履いていた。
「どどど、どうしたの? その格好?」
あまりの変わりようにネネが驚きの声を上げた。
「私も、ネネみたいになりたいなあって思って……まずは見た目から変えようって思ったの……変かな?」
「ううん! 似合ってるよ! あ……もしかして午前中、用があるって言ってたのはこのこと?」
「う、うん……あとはコレを買いに行ってたの……」
由紀はおずおずと紙袋からあるものを出した。それは野球のグラブだった。
「由紀さん、これは……?」
「あ……肩慣らしのキャッチボールくらいなら、私でもできるかなあって思って……でも野球のミットって硬いんだね。手にはめてみたんだけど、なかなか馴染まなくて……」
するとネネは「由紀さん、グラブ貸して」と言って、グラブを左手にはめると、バンバンと右拳でグラブの腹を叩き、ギュッギュッと揉み出した。
「ネネ、何してるの?」
「新しいグラブは硬くて使いにくいから、こうして馴染ませるんです」
そして、ある程度揉みほぐすと、グラブを由紀に渡した。
「由紀さんありがとう、私、由紀さんとキャッチボールできるなんて嬉しい」
その言葉に由紀はまた泣きそうになった。
それから、由紀はネネを助手席に乗せると練習場に向けて車を走らせた。
髪を切り、ネイルを外し、服を着替えただけだが、なぜか自分が生まれ変わったような気がした。
練習場に行って、ネネとキャッチボールすれば、また違う自分を見つけることができるかもしれない。
由紀は笑顔でアクセルを踏み込んだ。




