第26話「ドンマイ」
「おかしいなあ……待ち合わせ場所、間違えたかなあ……?」
大勢の人が行き交う、大阪の玄関口である「新大阪駅」の改札出口。
新幹線を降りたネネは、スーツケースを片手にキョロキョロと辺りを見渡していた。
午前10時にレジスタンスの球団職員が迎えに来て、これから住むマンションの入居手続きに向かう予定なのだが、予定時間を三十分過ぎても、職員らしき人は来なかった。
もう少しだけ待ってから球団に電話をしよう、と思っていると、バタバタとひとりの若い女性が走ってきた。
「あ──! 見つけた! 貴女が羽柴寧々さん?」
「は、はい……」
「ゴメンね〜遅れて! 私、大阪レジスタンス広報部の浅井由紀です。これから貴女のお世話係を兼任するの。よろしくね!」
浅井は息を切らしながら、ネイルでジャラジャラした手を差し出してきたので、ネネも慌てて手を差し出して握手をした。
球団の人というから、てっきり伊藤スカウトみたいな中年の男性が迎えに来ると思ったのに、若い女性が迎えに来たのでネネは正直驚いた。
(それにしても……)
ネネは浅井の姿をまじまじと見た。
ネイルに加えて、茶髪の巻き髪にカラコン、つけまつげ、白いふわふわのコートにブーツ姿……と、派手な格好だった。
(球団職員にしては、凄い格好だなあ……)
また、浅井も浅井でネネの顔をじっと見つめた。浅井は彫りが深く、いわゆるキレイ系の顔立ちだった。
「やだ〜、羽柴さん、新聞で見るより可愛い〜」
(え? えへへ……普段、そんなこと言われないから、照れるなあ……)
ネネは恥ずかしくなり、少し頬が赤くなった。
「さ、行こう! 羽柴さん。車、あっちに停めてるんだ!」
そう言って、浅井はネネのスーツケースを手に取った。
「あ……! 浅井さん、大丈夫ですよ! 自分で持ちますから!」
「い─から、い─から! 羽柴さんは身体が資本が大事なんだから気にしないで!」
浅井はニコニコしながら、ネネのスーツケースを手にすると、ゴロゴロと運んでいった。
(……見た目は派手だけど、優しい人なのかな?)
ネネはホッとしながら、浅井の後を追いかけて行った。
駐車場に着いたネネは浅井の車を見て更に驚いた。国産だけど高級車だったからだ。
「す、すごいですね、この車。高級車ですよね?」
「お父さんに買ってもらったの」
「お父さん?」
「羽柴さん、面識あると思うよ。入団会見の後に行った焼肉屋で会っているはず」
(入団会見の後の焼肉屋……?)
ネネは手をパンと叩いた。
「も、もしかして、お父さんって、広報部の浅井部長……?」
「うん、そうよ」
浅井部長と言えば、身なりがしっかりしたダンディーなイケオジだったことを思い出した。そう言えば、顔立ちも似ている……とネネは改めて浅井を見た。
浅井は靴をブーツからスニーカーに履き替えると、車を発進させた。
「お父さん、言ってたわ。羽柴さん、女の子だけど、男並みの食欲で、食べっぷりが気持ちいいって」
「え? そ、その節はすいませんでした……」
ネネは焼肉屋で二十人前以上、爆食したことを思い出し、恥ずかしくなった。
「や──だ──。責めてるんじゃないわよ。でも、羽柴さん、よく食べるって言うから、どんなゴツい子かと思ってたけど、めっちゃスレンダーでびっくりしちゃった」
浅井はクスクスと笑う。
「それと、びっくりしたでしょ? 部長と私が親子なんて……いわゆる『縁故採用』ってやつなのよ」
「そうなんですか……でも、浅井さん、広報の仕事をしてるなんて、何かドラマにでてくる人みたいでカッコいいです。私には絶対、縁がない仕事だから憧れます!」
「え……あはは、そ──かなあ」
しかし、ネネに褒められる一方で、ハンドルを握る浅井は胸が痛むのを感じていた。
浅井は大阪ではなく、お隣、兵庫県神戸市の出身で高校卒業後は東京の大学に進学した。
その後、地元に戻り、大手の銀行に就職したのだが、浅井はそこで職場の雰囲気に馴染めなかった。
事務量の多さや、規律の厳しさ、また人間関係に疲れて、半年で出社ができなくなり、退職を余儀なくされたのだ。
退職後は実家に戻ったのだが、心配した父が社会復帰のため、レジスタンスの広報部に契約社員として入社させたのだ。
しかし、父の浅井部長からすれば、娘が広報部に籍を置き、一年が経ったが、振り返ってみると失敗ばかりしていた一年だった。
頑張ってはいるのだが、何故か空回る。
本人も自覚しているし、悪気はないから責めることはできないのだが、当然、他の職員への示しが付かず、部内の人間関係は悪くなっていた。
そこで浅井部長は一計を仕組んだ。
娘をネネのお世話係に任命したのだ。
正直、球団はネネの扱いに困っていた。女性のプロ野球選手の前例がなく、これからどう対応していいのか、分からなかったからだ。
男だらけの中に女性がひとり入ることで、不協和音や男女関係のトラブルが起こる可能性もあるし、女性特有の悩みもある。
そのためには、付き人のような存在が必要なのだが、昨今の人手不足から、羽柴寧々ひとりのために人員を割くわけにはいかない。
しかし、浅井由紀がマネージャーのような立場になれば問題はすべて解決する。ネネのサポートしながら、身近で広報としての仕事をすることもできる。また他の職員から距離を取ることで、広報部内の人間関係も保たれる。
浅井部長からすれば、一石二鳥に値するプランであった。
「さ、着いたよ、羽柴さん」
新大阪駅から車を走らせること数十分、車は郊外にある十階建てのマンションに着いた。
「女性専用のマンションだし、オートロックだから防犯面も完璧! さ、中に入ろ!」
ネネと浅井はエレベーターで十階まで上がると、部屋に入った。部屋は角部屋で中は2LDK、とまあまあ広かった。
カーテンを開けて、窓からベランダに出ると大きな川が見えた。自然もあって、どことなく実家の風景に似ていた。
(わあ……今日から、ここでひとり暮らしかあ)
しかし、ネネが感慨に耽っていると、背後から浅井が電話で何か話しているのが聞こえてきた。会話の内容からして、揉めてるみたいだった。
浅井が青い顔をして戻ってくる。
「は、羽柴さん、ゴメン……私の手違いで、この部屋使えるの三日後からだった。水道、ガス、電気……まだ通ってないの……」
「え…!?」
(じゃあ、私、今日からどこに泊まれば……)
ネネも青ざめた
「と、とりあえず私の家に来て! 今日から三日間は私の家に泊まって!」
宅配で送っていた荷物は届いていたので、当面の着替えや野球道具を持って、ネネは浅井の家に向かった
浅井の家は市内にある高級賃貸マンションだった。父親が借りてくれて、ひとり暮らしだというが、ネネはその豪華さに息を呑んだ。部屋もさっきの自分が見た部屋より広い。
「羽柴さん、ゴメンね……とりあえず、三日間はここで我慢して」
浅井は本当にすまなさそうな顔で謝るが、ネネは(いやいや、こんな広いお家なら逆に大満足ですよ)と心の中で呟いた。
空いているという部屋に案内され、着替えや日用品等をチェックしていると、窓の外に夕陽が見えて、日が暮れるのが分かり、お腹がグ─っと鳴った。
(そう言えば、今日はお母さんが作ってくれた天むすしか食べてなかった……夜ごはん、どうしよう?)
そう思っていたら、キッチンから美味しそうな匂いが漂ってきた。
「羽柴さ──ん、良かったらご飯、一緒に食べない?」
エプロンを付けた浅井がニコニコしながら、ネネを呼びに来たので、キッチンに出向いたネネは驚いた。
煮物、揚げ物、焼き魚、酢の物、サラダ……。テーブルには、ありとあらゆる料理が並んでいた。
「え……ええ!? コレって、全部浅井さんが作ったの!?」
「そ─だよ、羽柴さんの好きなものが分からないから、いっぱい作っちゃった。冷蔵庫の余り物で作ったから、適当だけど」
(いやいや、適当ってレベルじゃないよ)
派手な外見からは見た目もつかないくらい家庭的な女性だと思い、ネネは浅井を見る目が変わった。
ふたりは椅子に座り、夕食を食べ出した。
「お……美味しい!」
ひとくち食べてネネは思わず声を上げた。実家の母や姉の料理も美味しかったが、浅井の料理はそれ以上に美味しく、ネネはガツガツと料理を食べまくった。浅井はそんなネネの姿をニコニコしながら見ている。
「うわあ……煮物も揚げ物も全部美味しい! 浅井さん、ありがとうございます」
「良かった──。料理は家でずっと作ってたから、結構自信あるんだ──」
「へえ、凄いですね。自分で作ってたなんて」
自慢ではないが、ネネは料理など一切したことがない。
「うん……ウチ、お母さんが早くに亡くなっちゃったから、私がずっとご飯を作ってたの」
「え……? そうなんですか……」
「あ、ごめんね。暗い話しちゃって! ねえ、羽柴さん、このお漬物も食べてみて! コレ、私が漬けたのよ!」
「本当ですか!? わ──! ホントだ! 美味し──!」
ネネは幸せそうに浅井の作った料理をすべて平らげた。
ネネは思う存分夕食を食べて、デザートにアイスまでいただいた。羽柴家では記念日くらいにしか食べれない、某高級メーカーのアイスだった。
その後はお風呂に入り、パジャマも借りて、実家のようにくつろいだ。
やがて夜も更け、ソファーで寝ようとしたら「ダメダメ、羽柴さん、大事な選手に、そんなとこで寝させられないよ」と寝室に案内された。
寝室にはキングベッドが一台鎮座していた。ひとりで寝るには充分余裕があるくらい大きかった。
「わ──! すごい大きなベッドですね。本当にここで寝てもいいんですか?」
「うん、自由に使って」
「ありがとうございます! あ、あれ? じゃあ浅井さんはどこで寝るんですか?」
「私? 私はソファーで……」
「え!? ダメですよ! あ! それなら、こうしましょう! このベッド大きいから一緒に寝ましょうよ」
かくして、ネネと浅井は同じベッドに寝ることになった。
「……羽柴さん、ゴメンね。せまいし、邪魔じゃない?」
「全然! ベッドが大きいから余裕です。それとウチは女姉妹だから、お姉ちゃんや妹と一緒に寝てた頃を思い出します」
ネネが明るい声で話す。
「そっかあ……私はひとりっ子だったから、何かうらやましいなあ……」
浅井はポツリと呟いた。
電気が消されて、暗闇が訪れるとネネは目を閉じた。
本格的にひとり暮らしが始った。今日は浅井がご飯を作ったりしてくれたけど、これからは何でもひとりでやらなくてはいけないのだ。
そう考えると、今まで自分がどれだけ恵まれた環境にいたのかが、痛いほどよく分かった。
家に帰れば母が作ったご飯があった。汚れた服は洗濯機に入れておけば母が洗濯してくれた。ちょっと遠出したいときは母が送ってくれた……。
ネネの脳裏に名古屋駅で新幹線のドアに手を付いて、泣き叫んでいた母の姿が浮かんだ。母のことを思い出すと少しさみしくなり、実家が恋しくなった。その時だった──。
「ねえ、羽柴さん……起きてる?」
暗闇の向こうから、浅井が話しかけてきた。
「あ……起きてますよ」
「今日はゴメンね……」
「え? 何が?」
「住む所のこと……私、こういうミス、何回かやっちゃうんだ……」
「あ、全然、大丈夫ですよ! てか、その代わりにこんな広いベッドを使わせてもらったり、美味しいご飯食べさせてもらったり、逆に申し訳ないですよ!」
浅井が話しかけてくれたおかげで、さみしさが紛れた。ネネは弾んだ声で話した。
「ありがとう……羽柴さんは私の仕事をカッコいいって言ってくれたけど、私、本当は仕事でミスばかりして、全然ダメダメなんだ……」
「え……?」
「広報部の皆も呆れてる……父が部長だから面と向かっては言わないけど、本当は皆に嫌われてるの……」
暗闇の向こうで、浅井が鼻をすする音が聞こえる。
「私……もう自分がイヤでイヤで仕方ないの……」
「ドンマイですよ、浅井さん!」
「え?」
話の途中で、ネネが明るい声を上げたので、浅井は驚いた。
「ドンマイ、ドンマイ! 野球でエラーとかしたら、こう声を掛けるんです。『ドンマイ』って」
「ど、ドンマイ……?」
「『気にしないで』って意味なんですけど、私、この言葉、大好きなんです。気持ちを切り替えて、次、頑張ろうって気持ちになれるから」
「羽柴さん…」
「部屋の件はエラーだったかもしれないけど、浅井さんはその後、私のためにご飯を作ったり、家に泊めたりしてくれました! それだけでもうエラーの分は取り返してますよ!」
浅井は胸が熱くなり少し心が軽くなった。明るいネネが励ましてくれると、何だか元気が出てくる。涙を拭うと「ありがとう……」と呟いた。
「私……本当はとても不安だったんです、初めての土地での一人暮らし。でも浅井さんが優しい人で、とても安心しました。これから、よろしくお願いします!」
「羽柴さん……」
「あ、私のことは下の名前、ネネって呼んでください。さんづけは逆に照れ臭いです」
ネネは笑いながら言う。
「……じゃあ、私も下の名前で呼んで」
「はい、由紀さん」
「ありがとう、ネネ。改めてだけどよろしくね」
こうして、ネネの大阪での初めての夜は更けていった。




